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第十四話 静かに春を待つように

『庭の花々が少しずつ彩りを増しています。それがあなたの心にも温かなものを届けてくれますように』


 今朝届けられたカードの言葉を思い返すたび、オフィーリアは胸の奥がそわそわするのを感じていた。

 彼の言葉はいつも優しく寄り添ってくれる。決して無理強いはせず、けれどそっと背中を押してくれるような力強さもある。

 

 昨日より明るい光が差し込む朝。サロンの窓から見える庭は、どこまでも穏やかで静かだ。風に揺れる花々、木漏れ日に照らされる草木。それはまるで美しい絵画のよう。

 そう感じるのは、今のオフィーリアにとって庭はただ眺めるためのものだから。自分があの陽の当たる場所へ出ていくなんて——あまりにも現実離れしているような気がして。

 

 花瓶には今朝もまた新しい花が活けられている。


(これも侯爵様が用意してくださったのかしら……)


 朝の陽射しを浴びながら、あの美しい庭で花を愛でる彼の姿をふと想像して、視線を窓の外へ向ける。

 そうして景色を眺めているうちに、胸の奥でじわりと何かが動いた。まるで長いあいだ閉ざされていた扉がゆっくりと開きかけているような感覚。


 この花が窓の向こうのどこで咲いているのか、自分の目で確かめてみたい——その思いが自然と足を動かした。

 庭へ続く扉には、鍵はかかっていなかった。大きなガラス扉はとても重そうに見えるのに、意外にもオフィーリアの非力な腕でも簡単に動く。


(……大丈夫。少し、歩くだけよ)


 自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。


 サロンの扉を押し開けると、空気が変わった。室内の静けさとは異なる、外の世界の音と匂い。オフィーリアは立ち止まり、その新鮮な感覚をそっと受け止めた。それはまるで長い眠りから目覚めたような、生命の息吹に触れる瞬間だった。


 足元の石畳は陽の光を受けて白く輝き、細やかな影がその上に模様を描いている。小道は緩やかな曲線を描きながら木々の間へと、まるでオフィーリアを導くように優しく伸びていた。

 その左右には綺麗に整えられた花壇があり、色とりどりの花が風に揺れている。ベルナが教えてくれた花の名前を思い出しながら、一輪一輪を確かめるように見つめて歩いた。 

 その先で、小道が左右の二手に分かれている。顔を上げれば、目の前に大きな木が一本、堂々と根を張って立っていた。石畳はその木をぐるりと囲うように伸び、更に先へ続いている。


 次にオフィーリアが目を止めたのは、濃い緑の葉から溢れる木漏れ日を浴びながら、木の根本に静かに佇んでいる真新しいテーブルとイスだ。

 テーブルの脚は優雅な曲線を描いており、椅子の座面にはやわらかな布が張られている。触れると、滑らかな質感が指先を撫でる。


(……こんな場所があるなんて、知らなかった) 


 テーブルの上に置かれた小さな箱を何気なく手に取り、蓋を開ける。丁寧に揃えられたカードとペン——この場所が誰のために用意されたのかを語っている。


 ふと、風に乗って揺れる白い花が視界の端に留まる。オフィーリアの視線が自然とそちらに向かうと、花壇に咲く一輪の花が、そよ風にそっと花弁を揺らしているのが見えた。その姿が、朝に侯爵から届いた花と重なり合う。


(……ここに咲いていたのね)


 花弁が風に揺れ、まるで招くように頷いている。

彼が摘んだ時、この花もこんな風に光を浴びて揺れていたのだろうか。

 その時、背後から近づいてくる気配に気づき、オフィーリアは驚いて振り返った。ベルナが、いつもと変わらない穏やかな微笑みを浮かべている。


「お嬢様、こちらにいらっしゃったのですね」


 急にサロンから姿を消した自分を探していたのかもしれない。謝ろうとペンに手を伸ばすより早く、ベルナはオフィーリアのためにイスを引いた。


「今日はこんなに素敵なお天気ですもの、こうしてお庭で過ごすのはきっと気持ち良いはずですよ。ここで本を読んだり、お茶をしたり……ただお花を眺めるだけでも、素敵な時間になると思いませんか?」


 オフィーリアの戸惑いを見透かすように、焦茶色の瞳をそっと細めてベルナは続けた。


「この木陰は、春から秋まで本当に心地良い場所なのだそうです。夏には涼しい風が通り抜けて、秋には葉が黄金色に染まって……その変化を見るのを、楽しみにしているんです」


 ベルナの言葉に、思わずその光景を想像してしまう。季節ごとに装いを変える木や花々の様子を、この目で見ることができたら、それはきっと素敵なことに違いなかった。

 お茶の用意をすると言って去っていくベルナの背中を見送りながら、オフィーリアは静かに息を吐いた。


(侯爵様は、きっと誠実な人なのね。だからこそ、傷ついた私をそのままにしておけないのでしょう)


 その想いには、感謝と共に密やかな痛みが伴う。

 白い花に目を向けると、その純粋な輝きに、昨日までとは違う思いが込み上げてくる。

 

(ああ、私も……)


 ずっとこの場所にいたい。そう願う自分から、もう目を背けることはできなかった。 

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