百十九話 甘く満ちゆく琥珀の夢を
一瞬、胸の中で心臓が大きく打つ。テオバルトがこうして過去に触れるようなことを言ってくるのは初めてだった。それがどういう意味を持つのか、考えずにはいられなかった。
隠し事をするつもりはない。ただ咄嗟に何を言えばいいのか分からず、オフィーリアは口ごもる。
「……エリオンとは、友人として親しくさせていただいていました。当時のエリオンは、宮中行事でも何か特別な役目を担うようなことはなかったと思います」
隣国でもあるので、あの国の噂は自然と耳に入ってくる。成人したエリオンに立太子の兆しがないことは把握しているが、直接の心当たりがあるわけではない。
オフィーリアの知る限りエリオンは次代の王としての教育を受けており、即位を望まれていたはずだった。例えそれが、父王への失望の裏返しだったとしても。
なにより、王位継承権を持つのはエリオンしかいない。唯一の後継者が成人後も立太子しないのは、やはりどこかおかしいと思わせるものがある。
「王弟殿下は常に人々の中心にいらっしゃいました。私のような者にも気さくに声を掛けてくださって……。公務をご一緒することもありましたが、個人的に親しくさせていただいていたわけではありません」
当時エリオンはまだ成人しておらず、もちろん政にも関わっていない。オフィーリアが行事や宴席に出席する際、ロランが同行することもあった。
家庭教師たちがエリオンに『ロラン殿下をお手本に』と言うほど、社交的で顔が広く、洗練された振る舞いをする人だった。
王位に興味はなく、政には関わらないと言いながらも、貴族たちの間で何か揉め事があれば仲裁役を担うことも多かった。
王家でありながら公職に就かない気安さが、かえって相談しやすいものだ。——侍従長がそう言っていたことを覚えている。
記憶を辿るように話しながら、オフィーリアはテオバルトの様子ちらりと伺った。
彼は黙って話を聞いている。しかし真剣な眼差しの奥に、何か考え込むような色が見えた。普段とは違う、どこか張り詰めたそれは、交歓会でも見た外務卿としての顔だ。
「何か具体的に知りたいことがあるのでしたら教えてください。思い出せるはずです」
話してほしいと言われても六年間にわたる記憶は膨大で、なにから話していいか悩んでしまう。
オフィーリアの言葉を受けて、テオバルトは少し黙った。言葉を選んでいるようにも、何かを迷っているようにも見える。
「……王弟殿下が、以前は社交的に活動されていたというのは意外でした。現在は動向がまったく掴めずにいましたので」
「そうなのですか?」
「はい。こちらでも調べを進めます。何かあればまたお伺いするかもしれませんが、無理に思い出す必要はありませんよ」
「無理だなんて。私がお役に立つことがあればいつでも仰ってください」
「……わかりました」
繋いだままの手にそっと力が込められると、その温もりに、今更ながら胸が高鳴る。二人きりだと意識してしまったらどうにも落ち着かない。
目を合わせるのが急に恥ずかしくなって、かといって逸らすのも不自然で、繋がれた手ばかりが妙に気になる。けれど、その感覚も心地良いものだ。
話が終わったら彼が離れていってしまう気がして、オフィーリアはそっとテオバルトに身体を寄せた。
「テオバルト様。もう少しだけ、このままでいてもいいですか?」
「もちろんです」
穏やかな、低い声が耳朶を撫でる。するりと腰に回された腕に引き寄せられると、二人の距離がぴたりと埋まった。
自然と持ち上がった視線の先で、端正な美貌が微笑んでいる。その笑みはいつもより甘く、琥珀の瞳が熱を帯びているように見えた。
「最近のあなたは、孤児院の子供にかかりきりでしたからね。リア?」
その声がどこか拗ねているように聞こえるのがおかしくて、オフィーリアは小さく笑う。
「テオバルト様こそ、いつもお忙しいではありませんか」
「それはそうですね。もう少し、そばにいられたらいいのですが」
繋いでいた指が解けて、長い指が悪戯にオフィーリアの頬をなぞった。思わず目を閉じれば、くすぐったさに漏れた吐息を掬い取るように唇が重ねられる。
こうして当たり前のようにそばにいて、触れ合える。名前を呼んで、呼ばれて、微笑みかけられたらそれだけで満たされる。
誰かにこんな感情を抱けるようになるなんて想像もしていなかった。ずっと、幸せな夢を見ているよう。
この腕の中にいられる幸せに浸りながら、オフィーリアはその温もりに身を預けた。




