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百十八話 冷たく沈んだ灰の陰

「護衛、ですか?」


 思わずオフィーリアが聞き返すと、テオバルトはひとつ頷いた。


「はい。あなた専属の護衛を増やします。外出する時には、行き先がどこであっても護衛を連れていただきたい」


 もちろん今でも出掛ける時は侍女の他、必ず護衛を連れている。そこから更に護衛を増やすのはなんだか物々しすぎる気がした。しかしテオバルトが言うのだから、そうするだけの理由があるのだろうとも思う。

 そして、オフィーリア自身にも幾らかの心当たりはあった。あまり楽しい話ではないが、ここしばらく気掛かりのひとつではあったのだ。

 オフィーリアは読んでいた本を閉じて、傍の小卓に置く。テオバルトがわざわざ隣に腰を下ろした意味はわかっていた。ベルナたち侍女が退室するのを待って、彼が口を開く。


「リア。先日の、ローゼンタール卿の話を覚えていますか?」

「はい」


 ——聡明な月を我が物にしたいと考えるのは、太陽だけとは限らない。


 社交場での言葉遊びには相応しくない、物騒な発言だった。揶揄いの延長だとしても趣味が悪い。

 しかしあれをそのままの意味で受け取るなら、何者かが自分を狙っているということになる。

 テオバルトがどこか慎重に、言葉を続けた。


「もしそうしたことを企む者がいるとすれば、エステリエの関係者だと、私は思っています」

 

 聞き慣れたはずの名に、オフィーリアは思わず膝の上で冷たい両の指を組んだ。そうして身体の震えを抑え込む。


「そう、なのかも、しれません。だって——」


 認めたくはない。けれどそんな動機を持つ者を、他に知らない。

 かつて声を失ったあの夜を夢に見ることはもうないが、それでも、あの記憶に触れるたび喉の奥が締め付けられて、酷く息苦しい。

 あの冷めた灰色の瞳が、今もどこかからこちらを見ているのではないかと、ふとそんな思いが胸を掠める。


「リア」


 両手を包み込む大きな温もりに、穏やかな低い声に、オフィーリアは顔を上げた。その先には、太陽のような、琥珀色。


「大丈夫です。あなたは私が守ります」

 

 オフィーリアはゆっくりと息を吐いた。少しずつ、張り詰めていたものがほどけていく。

 組んでいた指から力が抜けると、その隙間にテオバルトの指が絡んできた。皮膚が硬くざらついているのは、かつて剣を握っていた名残なのかもしれない。

 大きな手のひらにすっかり収まってしまう自分の手は華奢で、頼りなく見える。けれどあの王宮にいた頃より、多くのことができるようになった。

 そして今は、この手を握ってくれる人がいる。それだけでこんなにも心強い。

 

「まだ確実なことは何もわかっていません。あの国が絡んでいると決めつけるのも早計でしょう。それでも警戒するに越したことはありません」

「はい……」

「護衛を増やすと言っても、外出時だけです。屋敷内ではこれまで通り過ごしてもらって構いませんよ」

 

 必要以上に外出を控えることもしなくていい。ただし、いつどこで誰と会うのか、それだけは事前に共有しておいてほしいとテオバルトは続けた。

 確かに、屋敷に閉じこもったところで事態が良い方向に向かうとは限らない。相手の正体が掴めないのであればそれは尚更だ。


「こちらでも調べを進めてはいます。しかし——王家に関する部分となると、そう簡単ではありません。あの方々とどのような関わりがあったか、話せることがあれば教えてください」


 一瞬、胸の中で心臓が大きく打つ。テオバルトがこうして過去に触れるようなことを言ってくるのは初めてだった。それがどういう意味を持つのか、考えずにはいられなかった。


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