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百十七話 ひとり歩いた夜の果て

 定例会談がつつがなく終わり、書記官たちは静かに退席していった。テオバルトが傍に控えていた補佐官アリスを下がらせると、執務室に残ったのはテオバルトと大公ハインリヒだけだった。

 ハインリヒが椅子の背凭れに深く身体を預ける。こちらへ向けられる眼差しには、先程までの威厳は残りつつ、見覚えのある親しみが宿っていた。

  

「さて、ここからは友人としての会話をしようじゃないか。——先日の件だが、近衛の者をつけてやろう」

「近衛ですか」

「ああ」


 オフィーリアの護衛を増やしたいと相談を持ちかけたのは、つい最近のことだ。新たに人を雇うには時間がかかり、軍の人間を私的に使うことはできない。

 しかし王宮や大公家の警備などを担う近衛であれば、ある程度は大公の権限で動かすことができる。実力はもとより、素行や家柄まで精査されて選ばれた近衛は、護衛としてこれ以上ない適任だ。


「君としては、これでは不服か?」

「いいえ、十分です。ご配慮いただき感謝します」


 そう答えれば、ハインリヒは鷹揚に頷く。

 

「同性が望ましいのだろうが、もともと女性は少なくてな。多少は許せよ」

「承知しました。その点はよく理解しております」


 急ぎ護衛を増やすにあたって、近衛の存在にはすぐ思い至った。しかし流石に私事で借りたいなどと自ら口に出すことは憚られた。

 そのあたりは彼にも見透かされていたはずだ。あくまで友人として差し出された厚意に甘えることに、後ろめたさはある。だが、今はオフィーリアの安全が最優先だ。

 その発端はもちろん、先日のフェリクスからの警告だった。ただの悪戯心であのようなことを言ってくるとは思えない。そこにエステリエが絡んでいるかもしれないなら尚更、油断はできない。


 昨年成人した王子エリオンは、未だ立太子の気配がない。無能で知られるガレス王に代わり即位を望む声もあるが、仮に若い王子が王座に就いたところで、宰相をはじめとする古い重鎮達に操られるだけだろう。先の会談でもその話題に触れたが、ハインリヒも概ね同じ見解だった。

 かつては有能と称された王弟ロランは既に王位継承権を放棄しているが、ここ数年は表舞台に姿を見せていない。調べても動向がまったく掴めないのは、それはそれで不可解に思える。

 

「それにしても厄介な話だ。あの国も早いところ落ち着いてくれればいいのだが」

「同感です。引き続き注視していきます」


 ハインリヒは足を組み替えると、口元にわずかな笑みを浮かべた。


「しかし君がいきなり結婚などするから、私も家臣たちに急かされる羽目になってしまった」

「閣下のお立場であれば、それもやむを得ないことかと」

「もうしばらく先でいいと思っていたんだ。だが最近、結婚もそう悪くないものに思えてくるよ」

「まだ婚約の段階ではありますが……良いか悪いかで言えば、間違いなく、良いものです」


 言いながら、自然とオフィーリアの姿が浮かぶ。

 その生い立ちを考えれば慣れないことばかりだろうに、家政や社交、慈善活動と、懸命に取り組んでくれている。

 書斎で教本を開く時の真剣な眼差し。わからないことがあれば素直に尋ね、ひとつひとつ吸収していく姿勢。その向上心には、時に自分も背筋が伸びる思いがする。

 孤児院の子供たちに向ける眼差しには、上辺だけではない心からの慈しみが宿っている。面倒見の良さは生来のものなのだろう。

 未だ結婚の返事ができないと気にしている節があるが、その歩みを急かすつもりはない。彼女が自分で答えを出すまで、傍で支えていければそれでよかった。


「ああ、友の惚気など聞くものじゃないな」


 ハインリヒの声は軽く、だが穏やかに響いた。肩を竦めるその動きは呆れまじりの余裕がある。


「以前の君は危なっかしいところがあったが、今は安心して見ていられる」


 「そうでしょうか」とテオバルトが首を傾げれば、「そうだ」とハインリヒは笑った。

 確かに変わったのかもしれない。自分の帰りを待つ人がいる今のほうが、以前よりずっと満たされている。

 悪くない変化だった。


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