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百十六話 いつかあなたに届く光

 不安そうに自分の服を掴んだままでいる弟の頭を撫で、「大丈夫よ」と囁く。

 ようやく手が離れ、弟妹たちの背中が曲がり角の向こうに消えるのを待って、リアは改めて視線を彼へと向けた。


「あの、昨日の人は、どうなったんですか?」

「全員まとめて憲兵に引き渡した」

「……じゃあ、死んでない?」


 彼は一瞬目を見開いてから「当たり前だろ」と、少し強い声で言った。

 それを聞いて、リアはほっと胸を撫で下ろす。「よかった」と、自然とそんな声が漏れる。昨日あの場で倒れた男の姿がずっと頭の片隅から離れなかったのだ。


「——世の中には、死んだほうがいい人間もいるのにな」


 静かな呟きだった。

 それは、誰かに向けた言葉ではなかったかもしれない。言いながらも視線は足元に落ちているのに、どこか別のほうを見ているようだった。

 リアはその言葉の意味を考えてみたが、よくわからない。死んだほうがいいだなんて、誰かに対して思ったことはこれまで一度もなかった。

 わずかな沈黙が落ちたあと、彼はふと顔を上げた。何かを振り払うように首を振って、こちらを見る。


「なんでもない。……危ないから、お前も早く帰れよ」


 弟妹たちが走っていったほうを見やりながら言うその言葉は、やはりリアを案じるものだ。

 きっと住むところにも食べる物にも困らなくて、楽しいことばかりの毎日を送っているはずなのに、どうしてだろう。彼はどこか疲れていて、とても悲しそうに見えた。

 そのまま立ち去ろうとする背中を、今度はリアが呼び止めた。


「ねえ、もしかして、誰か死んじゃったの?」

「…………」

「大切なひとだった?」


 リアがそう言うと、彼の表情が変わった。

 きらきらした色の瞳がふっと滲み、唇をきゅっと噛む仕草が、弟妹たちが泣く前に見せる一瞬を思わせた。

 そんな時、リアはいつも、ある話をする。


「あのね、私の家族もお空にいるんだよ」

「……空に?」

「そう。お空ではお腹が空かなくて、痛くも寒くもなくて、みんな幸せに暮らしてるの。私たちもいつかお空に行くでしょ? そうしたら、また会えるんだって」

 

 空が少し曇っているのは、みんなが雲の上でお昼寝をしているせい。晴れている日は、きっと空からもこちらの様子がよく見えるはず。

 雨は、お花にあげたお水がこぼれてしまったから。雪は空からのお手紙。溶ける前に読まなきゃいけないけど、これまで一度も読めたことがない。

 空の上で、みんな幸せでいる。だから、小さな手がどんなに冷たくなってしまっていても、悲しまなくていい。


「だから、だからね——」


 言葉を紡いでいたリアは、ふと彼が路地の壁に背中を預けて、じっとこちらを見ていることに気付いた。


「……それで?」


 リアが思わず黙り込んでしまうと、続きを促すような低い声が届く。笑ってはいないけど、怒ってもいないようだった。

 足が自然と前に進む。その途中で路端に咲いていた花を摘んだ。

 向かい合って立つと、彼の顔を見るには、思いきり顎を持ち上げなければならなかった。

 小さな花を差し出すと、お兄さんはどこか驚いたような顔をしながらも、わざわざ腰を落として受け取ってくれた。


「だから……いつかまた笑顔で会えるように、正しく生きていかなきゃいけないの。そうしたらきっと、自分を大切にしてくれる人にも出会えるんだって」

「…………」

「お兄さんの大切な人がお空で幸せにいられますようにって、歌ってあげるね」

 

 返事を待たずにリアは歌った。

 教会の前を通りかかった時に聞いた歌。ゆっくりとした旋律に祈りを乗せて、お空の上まで届くように。

 

 そうして歌い終えてから、リアは気付いた。家族以外に歌を聞かせたのはこれが初めてかもしれない。そう考えると急に気恥ずかしくなってくる。しかし俯きかけた視界にふと、金色の光が差し込んだ。

 半ば強引に握らされたそれを見て、リアは目を見張った。手のひらに収まる小さな硬貨は、まるでお日さまのような綺麗な色をしている。


「歌の礼に」


 驚いて顔を上げたリアは、咄嗟にそれを突き返しそうになった。

 しかしそうできなかったのは、お腹を空かせた家族の顔が思い浮かんだからだ。


「本当にもらっていいの?」

「ああ」

「これで、みんなお腹いっぱいになれる?」

「お前にやったんだ。自分のために使えよ」


 お兄さんはそう言って眉を顰めたが、リアは金貨を握りしめたまま首を横に振った。


「嬉しいことはみんなで分け合うの。そうすると()()()()になるんだよ」

「ばいばい? ……ああ、()()か」

「そう!」

「なるほどな」


 そう呟いた彼の口の端がわずかに持ち上がったのを見て、リアはほっとした。


「じゃあこれも倍々にするか」


 その言葉と共に、手の中に、金色がもうひとつ落ちてくる。

 お日さまの光をぎゅっと集めたような、きらきらと輝く二枚の金貨。こんなに綺麗なものを見たのは生まれて初めてだった。

 歌ってお金がもらえるなんて、なんて素敵なんだろう。嬉しさのあまりまた歌い出してしまいそうになるのを我慢して、リアは何度もお礼を言った。


「その一枚はお前が持っておけよ」


 お兄さんはそう言ったけれど、二枚とも院長先生に渡そうと決めていた。これだけあればきっとたくさんの食べ物や薬が買える。

 もう一度、リアは彼の顔を見た。きらきらした、お日さまみたいな、綺麗な色だったことを覚えている。別れ際にも何か話したような気がするけれど、その声が少しずつ遠ざかり、視界が、ふっと白く滲む。


 ——歌を褒めてくれた、金貨をくれたあの人は、誰だったんだろう。

 太陽のような煌めきだけが、やけに鮮やかに残っている。


 

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