百十一話 確かな光に照らされて
ベルナが扉に手をかけようとした、その直前——扉が外から開いた。そこに立つ人影を見て、オフィーリアは思わず息を呑む。
ゆるく波を描くように流れる金の髪が、光を受けて明るく輝いている。琥珀色の瞳はオフィーリアの姿を捉えると、その色が優しげに濃くなる。また心臓が強く高鳴った。それは先程とは違い、痛みではなく甘さを伴うものだ。
「テオバルト様……どうしてこちらに?」
「もちろん、あなたを迎えに来ました。オフィーリア」
低く落ち着いた声が、自分の名を呼ぶ。たったそれだけのことがこんなにも嬉しい。
しかしテオバルトの視線が自分の背後へ回った時、その瞳が微かに冷たさを帯びる。
「お会いできて光栄です、外務卿閣下。オフィーリア様とは大変興味深いお話をさせていただいておりました」
「それは結構。しかしあなたがいるとは思いませんでしたが」
「リントベルク侯爵に頼まれまして、エミリエ夫人のお迎えに参った次第です」
フェリクスの言葉を受けて、貴婦人たちが小さくざわめく。その中で、リントベルク侯爵家の若夫人エミリエが頬をわずかに染めて微笑んでいるのが見えた。
その家名には覚えがある。直接顔を合わせたことはないが、新派の有力貴族のひとつだ。リントベルク侯爵がフェリクスを信頼して若夫人の迎えを任せたのだとしたら、彼がどれほど新派の中に足場を築きつつあるのかがわかる。
「最近は随分と広く交流を持たれているようですね」
「えぇ、おかげさまで」
「それは何より。どうぞ今後とも有意義な時間をお過ごしください」
テオバルトの声は低く平坦で、フェリクスと必要以上の会話をするつもりはないようだった。
けれどフェリクスは意に介した様子もなく、薄い笑みを浮かべたまま再び口を開く。
「閣下こそ最近はエステリエ関係でお忙しいでしょうに、こうしてお迎えにいらっしゃるとは実に献身的で。とはいえあれほど美しい月、心を奪われるのも無理からぬことですが」
「奪われたのではなく、捧げたのです。誤解なきように」
「愛を語る時の言葉が華やぐのも歌姫の影響でしょうね。——しかしオフィーリア様は何もご存じでないと見える」
愉しそうな月白色の瞳が、揶揄うようにこちらに向けられる。
隣国であるエステリエの話題はラウレンティアでも珍しくない。しかしそれが〝外務卿が忙しくなるような何か〟となれば、それは国家や王家が関わるようなこと。
胸がざわめく。オフィーリアはスカートの影でそっと指を握り込んだ。わずかな動揺を、きちんと隠したつもりだったのに。
けれど、それも一瞬のこと。呼吸を整えれば、胸の内に広がる波紋はすぐに静まった。
もし広く知られた情報であれば既に耳に入っているはずだが、そうした話題に心当たりはなかった。
フェリクスの言う通りなら、それはまだ公にできない情報なのだろう。仮にテオバルトが把握していたとしても、それを外部に漏らすような人ではない。
すぐ横で、テオバルトが何か言いかけるような気配があったが、オフィーリアは構わず続けた。
「——私の太陽は職務に忠実ですから。月ほど軽やかに動き回ったりは致しません」
言うべきことを言ってしまえば、フェリクスの視線ももう気にならなかった。
背中にそっと回されたテオバルトの腕に促され、扉に向かったその時、背後から「閣下」と、フェリクスの声が聞こえた。
「聡明な月を我が物にしたいと考えるのは、太陽だけとは限りませんよ」
意味深な物言いにオフィーリアは思わず足を止めそうになったが、テオバルトの腕がそれを許さなかった。
正面玄関から屋敷の外に出れば、すぐそばの車寄せに侯爵家の馬車が停まっている。テオバルトの隣を歩きながら、オフィーリアはふと視線を持ち上げてテオバルトへ目を向けた。珍しくテオバルトの表情が険しく、その眉間にわずかな皺が寄っている。しかしオフィーリアの視線に気付いたのか、こちらを向いたテオバルトはそっと微笑んだ。
「予定より少し遅くなってしまいましたね」
オフィーリアが返事をするより、馬車の前まで来る方が速かった。馬車に乗り込み、動き出すのを待ってから、オフィーリアはようやく口を開く。
「……ローゼンタール卿は、私の出自のことをご存知なのでしょうか」
「彼なら、その可能性はあります」
答えは端的で、でもそれで十分だった。
フェリクスの母はエステリエ王家の傍系だ。王宮内部の情報が何かしらの形で彼の耳に入っても不思議ではない。
そう考えると少し怖くなる。自分の過去を恥じてはいないが、テオバルトの名誉に傷を付けたくない。公にされてはいけないことだった。
思わず膝の上で両の指を組むと、その隣からテオバルトの手が伸びてくる。
「大丈夫ですよ。彼も、それを公言するほど愚かな男ではありません」
低く落ち着いた声と共に、その手がオフィーリアの組んだ指にそっと重ねられた。大きな手に包まれて、不安は少しずつ静まっていく。この温もりがあれば、何があっても大丈夫だと思えた。




