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第百十話 誰にも触れない鈍色

 茶会を終え、ベルナを伴って屋敷の正面口へ差し掛かった時、オフィーリアは廊下の先が妙に賑やかなことに気付いた。

 不思議に思いながら正面ホールに足を踏みいれた時、貴婦人たちに囲まれて立つひとりの青年の姿が自然に目に留まる。

 向こうもまたオフィーリアに気づいたらしい、黒髪の下で、月白色の瞳が楽しそうに細められる。

 「おや」と楽しそうな声と共に、フェリクスが貴婦人たちの輪の中から軽やかに一歩進み出た。


「これはこれは——昼の光の中でも月がこれほど鮮やかに輝くものだとは知りませんでした」


 黒曜石のように艶を帯びた髪がさらりと揺れ、わずかに光を吸い込むようなその黒が、白い肌をいっそう際立たせている。

 彼を取り囲んでいた貴婦人たちが、小さく笑いながらそっと一歩引いた。フェリクスの戯れ混じりの軽口にどう応じるかを楽しもうとでもするように。

 これは社交の場での、ちょっとした言葉遊び。オフィーリアは小さく息を吸い、穏やかに微笑んだ。


「ご無沙汰しております、ローゼンタール卿。昼に輝く月があるとすれば、それは太陽の恩寵を受けているからでしょう。太陽がなければ月は輝けませんもの」


 テオバルトを絡めて答えれば、フェリクスの月白色の瞳が面白そうに細められた。光の加減で銀とも青にも見える淡く冷ややかな色は、見つめられるとどこか体温を奪われるような感覚を覚える。

 その薄い唇が、どこか楽しそうに弧を描く。

 

「最近は月を拝む機会がめっきり減ったと思っておりましたが、どうやら星々の見守りにお忙しかったようですね」

「……太陽からの光を星々にも分け与えられるのなら、それは願ってもないことですから」

「星々もきっと喜んでいることでしょう。なかなか得難い光ですからね」


 そう言ってみせる仕草も声の調子も酷く芝居がかっているのに不思議と絵になるのは、その容貌ゆえだろうか。彫りの深い顔立ちはどこか彫像のような均衡を見せている。

 軽やかに紡がれる言葉と、その奥に潜む揶揄と皮肉。よくもこれほど口が回るものだと感心さえしてしまう。


「月はいつも同じ場所におります、見つからなかったのであれば、空を見上げる暇もないほど忙しなく、誰かのそばを回っていたからでしょうね」


 いつもなら選ばない言い方だった。それでも向こうから仕掛けてきたのだから、これくらいは言っても許されるはずだ。


「ええ確かに、最近は色々な方とお話しする機会に恵まれておりまして。美しい銀月のように一つの場所に留まるのは、私には難しいようです」


 しかしフェリクスは相変わらず薄い笑みを刻んだままで、このやりとりを楽しんでいるように見える。

 これまではグローズベルグ公爵の派閥に身を置いていた彼だが、あの夜以降、旧派や新派を問わず様々な貴族と交流を持っていると耳にした。

 だとしたら、この場に現れたのもその一環なのかもしれない——そう考えた時、不意に目の前に立つフェリクスの口端が持ち上がる。


「——いずれその星々の中から、月のように自ら輝きを放つものが現れるかもしれませんね」


 さらりと流れるように紡がれたその言葉に反応したのは、きっとこの場で自分だけだ。心臓が一拍分、強く波打つ。

 

「……星は、月にならずとも美しいものです。それぞれが持つ輝きがありますから」


 孤児であることは社交界に向けて明かしていない。でも彼は、知っていてもおかしくない立場にいる。だからこそ、深入りするべきではなかった。


「ではこれで、失礼いたします」


 一礼と共に扉へと向かった。視界の端でフェリクスが何かを言いかけるのが見えたが、耳を貸そうとは思わなかった。ベルナが扉に手をかけようとしたその直前、扉が外から開いた。

 そこに立つ人物を見て、オフィーリアは思わず息を呑む。


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