十一話 静寂の距離
早朝。淡い朝霧が庭木を包み、冷えた空気が張り詰めていた。鳥のさえずりが静けさを切り裂くたびに、春の訪れを思わせる。
その庭を抜け、テオバルトはサロンへ向かっていた。腕には先ほど届けられたばかりの花束。歩みに合わせて花弁が揺れ、その柔らかさが自然とオフィーリアの姿を連想させる。
屋敷に迎え入れて数日。こちらから声をかけない限り、日が暮れるまで窓から景色を眺めているだけだと報告を受けていたが、最近はサロンで過ごす時間が増えてきたようだった。
食事の量も増え、侍女とは筆談でのやりとりができるようになりつつあるという。少しずつでも回復の兆しが見えてきていることは、確かな手応えに違いない。
テオバルトが庭からサロンの扉へ近づいたとき、室内に人影があるのが見えた。普段ならまだ誰もいない時間帯。思わず足を止め、息を潜めた。
(リア)
窓辺に立つのはオフィーリアだった。その姿を捉えた瞬間、テオバルトの心臓が一拍分、静かに跳ねる。
光を受けて輝く淡い白金の髪は美しく、青灰色の瞳は花瓶の花へ向けられている。
細い手がその中の一輪を取り出し、香りを確かめるように顔へ近付ける。その仕草は絵画のように整っているように見えて、深い孤独も感じさせた。
また怯えさせるのではないかという懸念と共に、花束を抱える手に力がこもる。
ようやく部屋を出てサロンに姿を見せ始めた彼女に、無用な影を落とすわけにはいかないと思いながらも、それでも、その様子を確かめずにはいられなかった。
いつもそうしているように、テオバルトは声と表情を意識的に整える。かつてのように、自分のそれらがオフィーリアを萎縮させることがないように。彼女の前では、常に完璧な姿でありたかった。
「おはようございます。あなたがいらっしゃるとは思わず、失礼いたしました」
オフィーリアは驚いたように瞳を揺らし、数歩下がる。逃げるのではなく、場所を譲るための動作に見えた。
「新しい花をお持ちしました。替えてもよろしいでしょうか」
彼女は視線を迷わせ、恐る恐る小さく頷く。拒絶の反応ではないことに、許された距離に、わずかな安堵を覚えた。
花瓶の前に立ち、古い花を取り出して新しい花を手早く、丁寧に活ける。その間にもオフィーリアがすぐ隣で息を潜める気配が伝わってきた。
「それでは、私はこれで失礼いたします」
その言葉にオフィーリアは僅かに目を伏せ、手に抱かれたままの花が静かに揺れる。
(この花が、少しでもあなたの慰めになればいい)
自らの手で花を飾ることに大した意味はないと知りつつも、わずかでも彼女の安らぎに寄与できるなら、それで十分だ。祈るような思いと共に、テオバルトはサロンを後にした。




