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第百話 咲き染める白の蕾

「失礼致します、閣下。ご挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 涼しげな声が背後から響いた。振り返った瞬間、淡紅のドレスが目に入る。

 テオバルトが呼んだ「フォルスター」という姓には覚えがある。今回、彼の部下の一人が出席していることは事前に聞いていた。そのひとは女性で——市井の出身だという。


「外務省にて閣下の補佐官を勤めております、アリス・フォルスターと申します。オフィーリア様、お会いできて光栄です」

「こちらこそ、ご挨拶が叶って嬉しいです。フォルスター様」

「よろしければ、アリスとお呼びください」

「ありがとうございます。では、アリス様と」


 そう答えると、アリスが微笑んだ。深い緑の瞳に見つめられて、オフィーリアは思わず息を止める。

 新緑のような緑の瞳に、背中を流れる赤褐色の髪。その静かな佇まいに、言葉を交わす前から理知の香りが漂っていた。

 その仕草ひとつひとつが丁寧で、場に馴染んでいた。続けてアリスがテオバルトと視線を交わしたのも、ごく自然に見えた。

 女性ながら上背もあるアリスがテオバルトと並び立つと、二人の間には絵画のような調和があった。


「閣下。先程お目にかかったベルクハイム卿が、是非閣下にご挨拶をと仰っておりました」

「あとで時間を作ろう。——君は、いつも通りに動いてもらえればいい」

「かしこまりました」


 テオバルトの短い言葉に、アリスは迷いなく頷く。

 その「いつも通りに」という一言に、積み重ねてきた信頼が滲んでいた。

 この国で重職に就くのは貴族の男性ばかり。彼女がこれまでどれだけの努力が重ねてきたのか、想像もつかない。

 けれどアリスのような、テオバルトの補佐として公の場に立つ女性なら——外務卿夫人としての務めも、果たしていけるのかもしれない。そう思った途端、自分の未熟さが明るみに出るようで、ほんの少し、胸が痛んだ。

 けれど、それを悟られてはいけない。微笑を保ったまま、心の動揺を押し隠す。それはこの場で生きていくために必要な社交術の一つだった。


「それでは、失礼いたします」


 アリスが優雅に一礼すると、赤褐色の髪が動きに合わせて揺れ、磨かれた紅玉のような光沢を放った。

 その背中が遠退くのを待って、オフィーリアは小さく息を吐く。

 

「……とても素敵な方ですね」


 本心だった。だからこそ、その言葉が胸の奥にちくりと刺さる。


「私も、もっとテオバルト様のお役に立てれば良いのですが」


 落ちた視線が灰緑の生地をなぞる。上品だと思っていた色も、急に冴えないものに思えてしまう。

 そのまま視線を持ち上げられないでいると、不意にそっと左手を掬い上げられた。

 

「リア。私はあなたを何かに役立てようと思ったことは一度もありませんよ」


 低く穏やかな声に、胸の奥がかすかに揺れた。

 ゆっくりと顔を上げると、テオバルトの手の中で指輪の蒼玉が光を反射し、淡い光を散らしている。騒がしい会場の中で、その小さな輝きだけが自分に向けられたもののように思えた。


「役に立ってほしいから、この場に伴ったわけでもない。執政閣下も彼女も、いつかあなたの力になってくれる人達です。この機会に引き合わせておきたかった」


 その眼差しはいつものように優しい。自分の不安を見透かされているようで、けれど不思議と心が軽くなる。


「あなたがとても美しいのは事実です。しかしあなたの真摯な姿勢こそ、私が何よりも尊く、愛しく思うものです。どうかそのことを忘れないでください」


 思わず息が詰まった。公の場で平然とそんなことを言われるなんて思ってもみなかった。あまりにも真っ直ぐな言葉に、どう返せばいいのかわからないまま、胸の奥が熱くなる。

 うまく形にならない言葉を探しながら、オフィーリアはテオバルトの手を握り返した。


「……頑張ります。あなたが誇れる私でいられるように」


 その判断が誤りだったなんて、誰にも言わせないように。

 会場のざわめきに耳を澄ませながら、オフィーリアはそっと指先に力を込める。その温もりが、自分がここにいる理由を思い出させてくれるような気がした。




 

 

ついに100話です! ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。

オフィーリアの物語はもう少し続くので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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