9.令和の国後家
京都の国東家では、友加の兄ふたり、和兄および恭介、祖父、正嗣、祖母、品子が夕食を終えてもテーブルから去らず、湯飲みを前に難しい顔をしていた。
口数の少ない人たちで沈黙が支配しがちだから、全員が集まってもあまり意味がないのだが、今日ばかりはやむを得なかった。だれかが口火を切るしかない。ここは謹んで和兄が発言すべき時だった。
「おじじさま、母から知らせがあったそうですが」
「うむ、どうもな。
四課に中谷虎蔵という者がおるか」
「はい」
「今朝、おまえの目の前で消えたか」
「はい」
「友加は鞍馬の道場の井戸の手前で消えた。ちょうど私が道場に入って友加が井戸から帰ってくるのを見ておった。友加は何かに気付いて身構えたが、その場で消えた」
「はぁ」
「桜田門の鑑識に、森田という医師がいるが、これも同僚の目の前で消えた」
「はぁ、もう何が何だか」
「事情はわからん。
神隠しでよかろう」
「は?」
「神隠し?」
「うむ、なにか御用があるのだ」
「御用?」
品子がなにやら物問いたげに正嗣を見る。正嗣がかすかに頷く。
「和兄さん、恭介さん、神隠しいいますのは、たいがい人さらいのことですよ。
でも、おじじさまが言うてはりますのはそのことではあらしません。友加たちは何か意味があって、一時的に集められてどこかに送られた、ということですわなぁ」
「うむ、それでよい」
「森田先生は鑑識、中谷刑事は四課、友加は未熟者なれども剣の腕だけはええ娘です。森田先生が桂さんの部下、中谷刑事は和兄さんの部下、友加は桂さんの子で和兄さんの妹ですやろ、理由がないということもあらしまへん」
和兄と恭介は納得がいかない風ではあるが、確かに三人には直接の関係がない。消えた地点も警視庁の建物の中、京都府警の建物の中、鞍馬の道場の庭、共通点はない。唯一縁があるとするならば、友加を中心とした間接的人間関係だ。
次の日の午後、母、楠田桂から、国東家へ手紙が届いた。今どき手紙とは古風だが、どこにも中身が漏れないという点では手紙に勝るものはない。その日は、和兄が当直だったから、居間では祖父、祖母、恭介で手紙を前にしてそれぞれ考え込んでいた。
それは、森田幾絵が楠田桂に書いた手紙のコピーだった。
ケイちゃんへ、
そちらは令和二十一年七月十九日でいいかな
私は、二年前、中谷虎蔵は半年前、友加ちゃんは今日
理由不明
ここがいつかはっきり言えない、日本史詳しくない
将軍の名前は徳川吉宗、南町奉行が大岡忠相
谷中の尼寺別院にいる、中谷は別院の下働き兼南町の同心の小者
私は、別院で武家や商家の奥方や若い娘の診察(礼金で、金の心配なし)
友加ちゃんは、訳あり奥方の警備をすることになった(本人落ち着いている)
紙を持って帰れたから、他もできるかもしれない
あした試したい
幾
全員う~ん、と黙り込んでいる。どうせぇっちゅうの、という気分だ。訳が分からない。
恭介がなんとか声を絞り出した。国東家の二番目の孫は、京都府警刑事三課、詐欺などの知能犯を担当している。国東家では頭脳担当だ。
「この文書から推定できる状況ですが。
まず、文書を書いたのは、警視庁鑑識課の森田幾絵医官、受け取ったのは楠田桂同鑑識課長です。森田医官が正気であると仮定して、続けます。
森田、中谷、国東は、七月十九日のそれぞれ午前九時ごろ、午前八時ごろ、午前七時ごろ、目撃者の前で突然姿を消しています。目撃者は警視庁職員、京都府警刑事、府警剣道部指導者、いずれも信頼できます」
おじじさまと品子は恭介の方を見て、黙って話を聞いている。
「確認されている事実から、三人は同じ日に消えました。
森田さんによれば、本人が最初、次に中谷刑事、最後に友加が江戸時代、吉宗が将軍で大岡忠介が南町奉行である時代に現れたということです。この組み合わせなら享保ですね」
「恭介さん、これは事実ですやろか、それとも誘拐ですか」
「わかりません。
普通に考えれば、三人は誘拐されて、この文書は森田さんが脅迫されて書いた怪文書ということになります」
おじいさまが難しい顔をする。
「しかしのぉ」
「はい、UFOでも現れて転移で連れて行ったとでもいうのでなければ、その場から人を消失させることはできません」
「ではどうする」
「そうですね、事件性があるとしても、警察では手に負えないでしょう。これはむしろ公安の事案ではないかと思います」
「宗吾に連絡がつくか」
「つきません。どこにいるのか知らされないのが普通です。迂回して、メールが送れますが、返事は来ないでしょう」
国東宗吾は、正嗣と品子の長男であり、和兄、恭介、友加の父で、法務省の外局、公安調査庁というところに勤めている。情報収集が任務で、警視庁の公安と違って捜査権と逮捕権はない。
「おじじさま、おばばさま、ご心配無用です。
おそらく父はもう知っているでしょう。情報伝達は終了していて、父は友加関連の事情聴取を受け、この件の担当はすでに決まっていると思います」
ふたりは黙り込んでいる。友加が心配だ。長男は役に立ちそうにない。
ふたりを見る恭介の目は優しい。恭介にとって祖父母はかけがえのない人たちだ。
「母に頼んで、中谷と友加にも手紙を書いてもらいましょう」
「恭介さん、それが脅迫下でないとわかるものです?」
「おばばさま、母は警視庁の鑑識課長ですよ、当然わかりますとも」
「そうやね、桂さんなら」
「そうだ、品子、あの宗吾と三十年以上付き合っとるのだ、信頼できる」
「いま母にメールを入れますからね、きっと明後日あたりには友加の手紙が送られてきますよ」
「気持ちを強く持つのだ」
「友加なら必ず斬りぬけます、腕なら俺とタイマン張れます」
きりぬける、の、漢字がちょっと違う気もするけど。
令和サイドの事実確認にはもう少し時間がかかる模様。
コーアンという単語は、アニメとかで聞いたことあると思いますが、現代日本には3種類の公安があるんですね。
ひとつは、内閣総理大臣に直属する国家公安委員会で、警察組織が民主主義に則って運営されることを担保しています。
次が警視庁(東京都警のこと、元江戸城の桜田門外にあるため、ルパンを見たことのある人なら知っているように、別名桜田門)の公安で、公安警察といってもいいですね。警察組織の中にあるので、尋問したり逮捕したりできます。
国東宗吾が所属しているのが、法務省に所属する公安調査庁です。こちらは国家公務員です。情報収集を目的としています。警察組織ではないので、逮捕したりできません。
情報ゲットが任務らしいですが、多分ギャザー(集積・統合)して、エヴァリュエート(正誤判断・評価)して再構成。
情報蓄積をして、省の長の求めに応じて情報を提供するのが任務なのだと思います