8.まあ、なんとかなるでしょ、ってか、どうしようもないよね
「えーっと、状況はまあこんなところで、もうちょっと別のところで時間を取ろうよ。今は、あっちをどうするかと、こっちをどうするかだね」
「はい」
「はい」
「まず、令和の方だけど、友加はどうなんだい、高校はどうなってる」
「休校期間の穴埋めで通学できますが、三年生は自由登校になりました」
「そうか、高三だろ?受験はどうすんの」
「え~、不明です」
「不明?決めてないってこと?」
「え~、剣士志望なので、祖父の道場を継ごうかな、って」
「あー、ナルホド。ケイちゃんやお父さんの仕事には興味ないの」
「公務員ですよねぇ、どうかなぁ」
「勉強嫌いかい?」
「いえ、べつにそういうわけでもないです。ただ祖父母と最後まで一緒にいたいかな、って」
ここで幾絵がすっぱい顔をした。
「友加、それおじじさまの前で言ったら、真剣のミネで叩き伏せられると思うけどね」
「やっぱりそうですかね」
中谷がうんうん頷いて追加コメントした。
「ってか、多分お兄さんふたりに両方から斬り飛ばされる?」
「うわ、そっちもあったか。おまけに祖母には長刀で斬り払われるかも」
「わかってんじゃん。 おふたりとも、友加が大人になって手元から飛び立つのを楽しみにしていらっしゃると思うけどねぇ」
「うん。かもしれない」
「ま、いいわ、高校が自由登校なら、とりあえず問題ないか」
「トラはどう?」
「いや、どうと言われましても」
「あのさ、さっき見ただろ、昨日からケイの事務所に行けるわけよ、それでさんざん試してみたんだけど、ケイの姿は見えない、気配は感じる。
物は持って帰れるんだよ、これがね」
友加が考えながらゆっくり話した。
「幾せんせい、返事があるって言ってらっしゃいましたよね。つまり、昨日手紙を書いたのですか?」
「そうさ、ケイがデスクにいると思ったから、ボールペン持って、書類の隅に、紙をくれ、幾、と書いたのさ。すると、目の前にコピー用紙が一束出たから、ボールペンと紙をパクって、いったん帰ってきたさね。それで、この二年のことを短く書いて置いてきた。
もちろんトラと友加のことも書いたから、なんとかしてくれてんだろ」
「森田先生、返事はなんと?」
虎蔵が真剣に聞く。
「ああ、一行さ、ちょっと待ってろ、だってさ」
「うわー、自分どうなっちゃうでしょう」
「さあねぇ、待つしかないよ」
「幾先生、こちらはどうしたらいいでしょうか」
「う~ん、それなんだけどさ、牧野家のご正室ってのは」
「はい、多分、そういうことにしておいでなだけでは」
「そうだろうね。鉄漿してないよね、笄髷だしねぇ」
うん、うん、とトラが頷く。友加にはイマイチわからない。
「えーっと?」
「ああ、鉄漿ってのはね、歯を鉄分で黒く染める一種のお化粧だよ。友加、気が付かなかったかい?」
「え~っと、あの、寮のおばあちゃまの歯が黒いなって思いましたけど、あれのことですか?」
「ああ、そうだろうね。
結婚したら歯を黒く染める習慣があるんだよ。こう、錆びた釘かなんかを酢に浸しておいてね、その液を房楊枝とかで歯に塗るんだよ。
現実に効果があるかどうかは私にもわからないけど、多分虫歯を防ぐ意味があるんだと思うね。妊娠すると歯が弱くなる人が結構いるんだよ。それともうひとつは、結婚しているということがひと目でわかるからね」
「はあ、なんか、にっこり笑うと歯が黒いとか?」
「まあね、それが魅力になることもあるのかもしれないよ、わっかんないけどさ」
「トラ、紘子さまのことは何と聞いている?」
「はい、噂だけは聞いてます、もうちょっと突っ込んでみます」
「そうだねぇ、武家と公家の問題だからね、外に出ないだろうよ」
「幾せんせい、紘子さまはおめでたではないのでしょうか。かなり不安定なのですが」
「そうだね、寮に来たのは確か」
「三日前と佐竹の旦那は言ってました」
「やっぱりお家騒動かねぇ」
「どうでしょう、ただ、昨日の襲撃がありますから」
「ヤバイかね」
「ヤバイでしょうね」
「幾せんせい、わたし、根津の寮に泊まりこみということになっていますけど、これ、だいじょうぶですか」
「ああ、それは大丈夫にしておくよ。奥方のご実家に届くように庵主さまの名前を借りて文を出すよ。まあ、まともに探られたらバレちゃうけどね、先様も都合がいいなら文句はないさ」
「一応、天野家がご実家ということなんですけど、どういう感じになりますか?」
「ああ、天野家ね。紘子さまの警護にこちらから女剣士を付けたが、費用一切庵主さま持ち、と書いておくさね。そうだね、小判を添えてさと殿に渡しておこうかね。それでイケると思うね」
「そんなのでいいんですか?」
「まあ、イケるだろうよ。何だったらコネも使えるけど、必要ないよ」
用語解説:笄髷・こうがいまげ
千六百年半ばまで、公家女性は江戸城大奥に入っても髪の毛を長く後ろに伸ばして垂らしていたそうです。紘子が母に撫でてもらったと話していた、前髪も撫でつけ、こよりで結んで腰より長く垂らす“おすべらかし”という髪型ですね。
それを結い上げるようになったのは、明暦の大火(千六百五十七年)が切掛けだったそうです。
明暦の大火の時、大奥にも火が回り、後ろに垂らした髪の毛に火が移ってパニックになるということがあったそうです。髪をおすべらかしに整えるにも髪油を使いますから、衣装の後ろに垂らされた長い髪に火が燃え移ったらそりゃもう……。その後、結髪を取り入れることになったとのことです。
笄髷というのは、大奥で貴人に仕える人々が、いつでもおすべらかしに直せるように大きな髪飾り一個で髪を後ろに結う髪型だそうです。笄という大きな簪に髪を巻き付け、それをこよりで結んだ部分にうまく差し込んで支えていたとのこと。
こうしておけば、急に正式っぽい場面に行き会わせたときも(将軍のお成りがあったとか)、笄を一本抜くだけで“見苦しくない”姿になる、ということらしいです。
なお、現在の日本髪のような勝山髷の発祥は京都で、千七百二十四年ごろだった模様です。