6.森田幾絵
次の日、友加は中谷が手配した駕篭に紘子を乗せ、さとを連れ、中谷に案内されながら慈恵院を訪れた。大小を左腰に差したが、話には聞いていたものの結構重量があり、左右のバランスをとるのが少々難しかった。
今日の紘子は、お寺を訪問するというので、流水文も美しい夏らしい衣装だ。
谷中の墓地や寺、それらを囲む白塀や柵の間を抜け、目立たない門の前に来た。門の前で駕篭を降りて、十段ほどのなだらかな石段を上がる。中谷は帯の間から鍵を出し、門脇のくぐり戸の大きな錠に差し込み、くるりと中にはいって、内側から門を開いた。
「どうぞおはいりくだすって」
さとに手をとられて紘子が敷居を越えた。友加はその後ろから門上の額に慈恵院と墨書されているのを見上げ、受験生らしく反射的に「幾せんせいはどこの大学出身だったかな」と思いながら従った。中谷が重い木の扉を閉め、木製の長い角棒を閂受けに差しいれた。
「森田せんせい、こんにちは」
森田は、苔色の作務衣に身を包み、短い髪に宗匠頭巾を被っていた。
「友加ちゃん、あなたが来るとはねぇ」
「はい、何が何だか」
「ま、いいわ、それは後で。まずは奥方さまにご挨拶を」
「はい」
「奥さま、医師の森田幾絵先生です。わたしの母の友で、叔母のようなものです。
森田先生、こちらは根津の寮にお住いの牧野家の奥さま、紘子さまと申し上げます」
「森田さま、国東さまには命を助けていただきました。
叔母上のような方と承りました。お礼を申しあげます」
「紘子さま、どうぞお気楽に。友加はこの年で剣の達人なのですよ。奥さまをお助けできたなら、満足しておりますでしょう」
「先生、こちらはさと殿です」
さとは頭を下げた。
「国東さまがおいででなかったら、どうなっていたかと。ありがたきことにございます」
「いやいや、友加は何とも思っていないよ、虎蔵から話を聞いたけど、大立ち回りだったらしいね、父母や兄も、友加ならそんなものと思うだろうよ、剣士の一家だと思っていいよ」
「さようにもございましょう、見事な剣とお見受けいたしました」
「紘子さま、さと殿、わたしはすこし友加と話をしたい。
その間、こちらの庵主さまにお会いになりませんか、庵主さまはお目が不自由でしてね。母君が京からおいでになった方で、昨日紘子さまの事をお耳に入れましたら、お会いしたいとのことでして」
「まあ、お母君が京の方、そしてお目が不自由と言いますと」
「ああ、お耳に入っておりましたか」
「はい、江戸に下りますことが決まりましてから、こちらの事情の進講がありまして、その折に」
「お母君もご一緒です、もう外にお出にはなりませんが」
「ああ、おいたわしいことで。わたくしが御前に出られるような方ではないのですが」
「いまは姫君とともに出家なされておりますから」
「はい」
「お話し相手になってさしあげてください、奥方ならお勤めになれますよ」
その説明が終わるのを待っていたように、襖の向こうから声がかかり、地味な色目の小袖に身を包んだ女性が物慣れた仕草で紘子とさとを本院に案内していった。
「さて、友加ちゃん、どうなってるのか教えて」
「先生、もう何が何だか」
「最初からはじめて、根津の寮に泊まることになったところまで」
「はい」
友加は、鞍馬の道場で朝稽古をしていたところから始めて、映画の撮影だと思ったらカメラがなくて、とりあえず竹刀だからいいかと思って男たちを殴りつけたこと、そうしたら、なんか御用笛が聞こえてビックリ仰天、おまけにマジもんのちょんまげを見て、こらあきまへん、と思ったけど、まあ何とか気力で踏ん張った、と湧き上がるように話を続けた。
幾絵と中谷が黙って聞いてくれているので、次第に落ち着いてきた。さいごは感情のブレ幅も小さくなって、中谷に声を掛けられて、幾絵のことを聞いてどんなに安心したかまで話し終わった。
「友加ちゃん、真剣とやりあったの?」
「まあ、そうです」
「あなたねぇ」
「あまり実感がなかったんですよ、せんせい」
「そうだろうねぇ」
「何か問題になりますか? 叩き据えちゃったんですけど。右の手の甲、打撲だと思うけど、ヒビは入っているかも」
「問題ないよ、江戸時代だし」
幾絵が笑いながら言う。
「せんせい、やっぱりここ、江戸?」
「うん、そうなの。ちょっとたばこいい? 東京じゃあだいぶ前に禁煙に成功してたんだけどさ、こっちに送られてきてから、ストレスでもう。おかげでこんな立派なキセルまで持つ身分さね」
幾絵は煙草盆を引き寄せ、慣れた手つきでキセルに刻みたばこを詰めて火をつけた。
「ああ、もう、これないと生きていけないかも」
ふー、と煙を吹き出す。
「せんせい、東京に帰ったら禁煙、一からやり直しですよ」
「ああ、帰れたらビールに変えるわ」
「ああ、なるほど、ビールないですもんね」
「ワインも、サングリアも、チューハイもね」
「そうでした」
「つーか、帰れますかねぇ」
中谷がげっそりした口調で言う。
「ああ、私は帰れると思うよ」
「森田先生、ほんとうですか?」
「ああ、中谷君、まだ見せてなかったね、ちょっとお待ち」
友加が来てメンバーがそろったので、令和と連絡が取れるようになります
会話はできませんが、文書のやりとり、物の受け渡しができます