30.帰還
慈恵院に帰り着き、荷車を入れるために勝手口から入る。
勝手口が開く音で、幾絵が走ってきた。
「友加、けがはないかい」
「幾せんせい、ただいま」
友加は、なんだかすごく普通に挨拶した。
幾絵は大きく息をつく。目尻に涙が滲んでいる。
「友加ちゃん、よかった」
そう言いながら、友加を抱きしめた。
虎蔵が嬉し気に見ているのに気が付き、涙をぬぐった。
「中谷君も、お疲れさま。無事に帰ってくれて、ほんとうに嬉しいよ」
「はい、ありがとうございます」
「さあ、とにかく装備を全部返そうか」
「そうですね、それをやらないと」
まず幾絵が、押入れの入り口ぎりぎりまで寄せて準備してあった万一に備えた医療機器の数々を、桂の事務室の奥まで押し込んだ。
と、デスクの後ろの椅子に、顔色の悪い親友が座っているのが見えた。
「ケイちゃん」
「いくちゃん」
見える。
ふたりはおそるおそる近寄り、そっと手を触れあった。ああ、何てこと。
思わず話が口から溢れかけたが、幾絵はすぐに状況を把握した。
「ケイちゃん、友加を戻すから、保護」
「わかった」
幾絵は、静かに時空のはざまを越え、友加を手招きした。
「友加ちゃん、こっちこっち」
「はい」
友加は、これだけは箱に入りきらない特注大盾を特大風呂敷に包んだまま運んでいた。
「おかあさんが待っているよ」
そう言って、友加の手を握り、事務室へ背を押す。何度も試したのに入れなかった場所に、友加はするりと入っていった。母が大盾を受け取り、友加の肩を抱いてソファに座らせようとするのが見える。
「中谷君」
森田は静かに呼びかけた。中谷は、友加が入っていった姿を目にして、驚いて立ち止まっていた。
「森田先生」
「うん、中谷君、仕事は終わったってことみたいだよ。
一度しか使えないかもしれない、だから、まず荷物を送り返そう」
「はい」
虎蔵と幾絵は木箱を押し込み、桂と友加が奥へと引っ張った。
友加と虎蔵の準備していた風呂敷包みもぬかりなく入れると、幾絵が虎蔵の手を握った。
「中谷君、長い間ご苦労さんだったね、帰ってからも大変だけど、和兄にはちゃんとレポート出してあげるから。さあ、先にお行き」
「森田先生、だめです。ご一緒に」
「いや、だいじょうぶ、紘子にさとのことを伝えてくるだけだよ」
「いえ、一緒でないと入りません。用事が終わるまでここで待ちます」
「うん? 本当にだいじょうぶだってば」
「いいえ。お待ちします」
中谷は、その場に正座してしまった。
「もう、信用ないねぇ」
中谷は森田を見つめている。この、二年という長い時間をおんな医者として享保に生きた鑑識課員には、なにか未練があるかもしれなかった。中谷はそれを怖れ、どうしても待つつもりでいた。
「うん、じゃあ、少し待っていておくれ。
紘子に渡す物があるんだよ」
森田は二年間寝起きした部屋に入り、懐かしく見まわした。ここでひとり一年半、思いがけない時間をすごした。
最初の何日かは混乱しかけたが、庵主の母を診ることで自分を取り戻した。そこがいつで、どこであろうと、受けてきた訓練は自分を裏切らない。それを自覚し、漢方の知識を総動員して、庵主に頼んで薬種問屋につなぎをつけてもらった。
この時代におんな医者のうわさが人の口にのぼるのは危ういことだった。だから、限られた人しか助けることはできなかったが、婦人病に苦しむ女性たちに手を差し伸べることができた。緩和措置をとるので精一杯だったにしても、死病ではないことを教え、漢方薬でできるだけのことをした。寝ている生活から解放され、日常生活を取り戻すことができた女性たちの喜びは直接に伝わってきた。
半年前、中谷が来た。あきれたことだと思ったが、飛ばされた日が同じ七月十九日だとわかってから、これは何かある、とふたりで話し合った。
ここで生きることを覚悟していた森田に帰還の希望が生まれた。
キイ・パーソンはまだ来ていないと結論して、中谷とともにできるだけ人脈を広げ、確実な力を蓄えることにした。
そして、先月。
親友・桂の娘、友加が送り込まれてきた。それが何を意味しているのか、中谷と話し合ったが、わからなかった。
見えるだけで入ることのできなかった部屋に入り、そこが友加の母・楠田桂の事務室であることを確認、そのことと、友加が紘子主従を自分の元に連れてきたことで、友加こそがキイ・パーソンであり、この妙な状態は何か紘子と関係があると確信した。
紘子、さと、佐竹、事態は目まぐるしく動き、文書のみならず一間の押し入れの広さを通過する物ならなんでも手に入るようになった。
異常事態下の誘拐として公安の掌握する案件となり、帰る希望が高まった。
そこから森田は、自分たちは何のために享保に飛ばされたのかと考え始めた。
準備してもらった歴史年表を読み、項目ごとに時系列をたどった。
紘子が関わるとしたら何か。
もし友加が紘子を助けるタイミングで飛ばされなかったとしたら、慈恵院に保護されることなく根津の寮に置かれていたとしたら、紘子は生き延びていたのだろうか。
もし生き延びられなかったとしたら、誰がどんな報復を受けていたのだろうか。
三人は、紘子のために呼ばれたのか。それとも、紘子が失われることで起こる何かを阻止することこそが重大だったのだろうか。
吉宗の子どもたちがどんな人生を辿ったか、資料を請求し、そこに紘子とその子について何の痕跡もないことを知った。しかし、享保の現実では、葵紋を受け、その子の出自は保障された。そうだ、紘子というのも本名とは限らないではないか。そもそも女性が人前で名を呼ばれることはないのが公家の常識だ、明姫とか、結の典侍などと呼び名を持っているはず。やはり仮の名なのだろう。
森田が紘子経由で吉宗に届くかもしれないと用意した文章はごく短かった。
「小石川養生所 すべての民に医師を
紘子さまがお描きになった薬草の絵をご覧ください」
文机の上の薬袋の並んだ木箱に掛けた覆い布の上には、
「さと殿
お渡しいただけますか。
お名前と処方を書いてあります」
と、書いた紙を置いた。
中谷は心配しているようだが、森田は残るつもりはなかった。森田にも待っていてくれる人たちがおり、待ち受けている仕事がある。
和紙に丁寧に包んだ手紙を持って、紘子に預けるつもりで納戸へ向かった。
紘子は、半身を起こしていた。
「紘子さま、虎蔵が佐竹さまから承ってまいりました。さと殿は、今日中にお帰りになりますので、お心安らかにお待ちください、とのことです」
紘子は微笑みを浮かべた。この一カ月で紘子の表情はとても豊かに、そして明るくなった。
森田は紘子を見て、渡すつもりでいた手紙を渡さないことにした。この微笑みに負担を掛けたくはない。静かに納戸を辞し、再び居室に帰り、包み紙に「上」と書き、小判三百二十六両の袱紗包みとともに薬の木箱に並べて置いた。
最後にもう一度部屋を見回し、外から襖を閉じる。
歴史的事実として、目安箱が設置されてしばらく後、吉宗は小石川に薬草園を作る。そこで栽培した薬草を、高価な薬に手が届かない民のために使うようになる。小石川施薬院だ。
森田は、吉宗に対し、施薬院のその先にくる養生所についての前知識を振った。
さらに、紘子に薬草の記録絵図を描く役目を与えるようにと暗に勧めた。施薬院ならば、薬草の盗難を防ぐという名目で警備を厳しくすることができる。そこに、紘子母子が生き続ける場所ができるかもしれない。
この提案を吉宗が選ぶかどうか、森田にはわからない。
吉宗に紘子と会う時間をつくることができるとすれば、つまり、お忍びで薬草園を訪れるならば、吉宗は紘子が森田から聞いた「幾庵の国」についての話を知るかもしれなかった。
その時、吉宗が十分に思慮深ければ、森田が包んだ小判は、享保を、そして遥かにつながる令和を少し良くする力になるのかも、あるいは、なったのかもしれなかった。
「待たせたね、忘れ物はないかい」
「はい」
森田は中谷の手を引いて立ち上がらせ、三百年の時を越える。
後には、半分襖が開かれた、空っぽの押し入れが享保の片隅に残されていた。