29.囮大作戦
中一日、二十七日の朝が来た。
虎蔵は、荷車を引き出し、強力両面接着テープ、板状ポリカーボネイト、各種防護装備を詰め込んだ木箱を載せた。木箱は長持ちのように作ってあり、錠前が掛けてある。前日の内に装備リストと中身を何度も照合して、チェックリストも自作済みだ。
その上に、米、野菜、座布団などを乗せ、根津に引いて行った。
根津の寮では、老夫婦が待ち受けていて、厨で食料品をおろした。
さらに荷車を引いて裏に回り、装備品を物置部屋に入れた。
昼までのんびり過ごし、紘子が本院に出ると同時にあわただしく支度が始まった。
友加は髪を結ってもらい、身の回りをかたづける。たいしたものはないが、着替えをひとまとめにして風呂敷に包み、幾絵の診察室に運んだ。
幾絵は、薬箱に偽装したサプリメント入れを押し入れに押し込み、いままで診た患者あてに、二か月分ほどの薬を包み、順に処方箋を添えていった。薬が揃うと、盆に並べて布で覆い、自室の文机の上に置いた。
虎蔵は、着替えを診察室に運んだあとは、長屋にこもって何やら集中しているようだった。友加が井戸水で冷やした麦茶を持って行くと、自作の手順書を確認しながら無意識でもテイザーのカートリッジを交換できるよう練習を繰り返していた。
紘子が帰ってくる時間が近づく。
友加は、防刃ベストを着た上から小袖を着つけてもらった。ふくよかになりはじめた紘子に似た体形になった。
紘子に会わないよう、根津に出発するまでの間虎蔵の長屋に移ることになっている。
紘子が、さとともうひとりの若い女をつれて本院から帰ってくる。横になるまでの間、若い女がさとの指示を受けながら紘子の着替えの介添えをする。さとが、「一晩でございます、どうぞご容赦ください」と言いながら、横になった主に団扇で風を送っている。
紘子がうとうとしはじめたら、友加の出番がくる。
慈恵院の扉が大きく開いた。紘子主従が友加を護衛に連れて来た時以来だ。
扉に向かって、友加がゆっくりと歩む。扉の前で立ち止まると、さとが先に敷居を越え、友加の手を取って門をくぐらせる。手を取られたままゆっくりと石段を下り、待っている駕篭に向かう。
駕篭は、田中屋からの差し回しで、立派なものだ。戸はスライド式、座る動作をするときに頭を下げなくても済むように、屋根の一部が跳ね上げてある。内部は畳敷き、座布団が敷かれている。駕籠を担ぐ者は四人。風采卑しからず、膝をつき、目を伏せて「奥さま」が乗り込むのを待っている。
幾絵が後ろから石段をおりてきて、友加に頭をさげる。
友加はさとの介添えを受け、内心ハラハラしながら見守る幾絵と虎蔵の声なき応援にこたえて、作法通り乗りこんだ。
「お発ちにございます」
虎蔵の声掛けで、駕篭は静かに慈恵院を出、根津の寮に向かった。
幾絵が後ろから見送り、もう一度頭をさげ、心中で神仏に祈る。無事に帰るようお力添えを、何卒、なにとぞ。
虎蔵が籠を先導し、さとが後ろについて歩いた。さほど遠くもないので、寮にはすぐに着いたが、立派な乗り物が狭い道を通るために人目を集めた。しかし、そのこと自体は悪くはない。襲撃側に紘子の移動を知らせ、移動中の奇襲を妨げる効果がある。
駕篭はゆるりと寮に着き、担ぐ者たちの肩から静かに降ろされた。
厨から老夫婦が出てきて、厨前に立って主人を迎えている。虎蔵がさとを見遣ると、さとは、かるく頷いてみせる。老夫婦の立ち位置は、寮の中に侵入している者はいないという合図になっている。
「お着きにございます」
駕篭の戸を開き屋根を上げ、草履を揃える。さとが介添えに入り、友加はゆっくりとした動作で立ち上がった。公家の姫君の真似っこだ、とりあえずなんでもゆっくりやっていればそれなりに格好は付くものだ。
虎蔵が駕篭の担ぎ手におひねりにした心付けを渡し、紘子が玄関口から建物に入るまで、立ち去らないで見守ってくれるように小声で頼む。友加が安全域に入るまで、開口部のひとつを塞ぐのだ。
ゆっくりと玄関まで進む友加とさとを追い抜くようにして建物北の縁側から座敷に上がる。各部屋を改め、玄関で友加を迎え入れた。
友加とさとが廊下を歩いて紘子の居間に入ると、庭に回り、葦簀を立て回して、外からの視線を遮る。
ここから日暮れまで、とりあえずはゆっくりしていられる。三人は、紘子の居間に集まって、ほっと溜息をついて水を飲んだ。
日が落ちて、明りが入った。明りが入ると、外から葦簀を通して人が動くのがわかる。襲撃を警戒するならば、明りはできるだけ外側に持っていくべきなのだが、今日は油断を見せるほうがいい。
虎蔵が庭の蚊遣りを追い炊きし、空気の中のよもぎと陳皮の香りが少し濃くなる。
友加の夕餉は日暮れ前に終わっている。虎蔵とさとは、老夫婦とともに遅い食事をとる。
明り障子を八分ほど閉め、布団を延べて蚊帳を吊る。南の居間にさと、その続きの次の間に友加、北の座敷に虎蔵だ。
「おやすみなさいませ」
そう言って、さとが友加の布団を直し、蚊帳を出、南の居間の蚊帳をくぐった。
二時過ぎの事だった。
虎蔵が友加の肩を揺すって小声で起こした。
「友加さん、時間です」
「はい」
友加もすぐに反応する。本人は寝ていないつもりだが、公家の姫君姿に緊張して疲れていたので、実のところよく眠っていた。
「まず、さとさんをかたづけます。着がえてください」
「はい」
虎蔵は、赤色のライトを、光が床と並行に西を向くようにセットしてつけ、敷布団を細長く丸め、畳に友加の防護服一式を置いた。自分の蚊帳に戻り、素早く着替えて蚊帳を落とす。落とすと丸めた布団が人が横になっているように見える。
戦闘時にこの場所を歩くのは自分ではない、敵方の足元は悪いほうがいいし、人が横になっているのかと一瞬気を引ける。
着がえた友加が蚊帳をもぐもぐと抜け出すと、こちらの蚊帳も落とした。
居間と次の間のあいだ、次の間と北の座敷のあいだの襖や衝立をすべて取り払い、北の座敷の縁側の内側に立てておく。この方向からの侵入者に大きな音を立てさせたい。待機場所からは北は死角だ。
さとは眠っている。ちょっと危ないほどの量の睡眠薬を盛っておいたのだ。さすがの御庭番も、令和サイドで準備した無味無臭の睡眠薬は見破れなかった。
薬の作用で力が抜け、軽くいびきをかいているさとを後ろ手に縛るが、御庭番であることを考慮して、特殊繊維で両方の親指を結び付けておく。仮に手首までは外せても、これは外せない。寝間着を整えてやり、膝から下をさらしでぐるぐる巻きにする。
敷布団を丸め、蚊帳が落ちた時に人がいるように見えるよう細工する。この布団を刺す動作で動きが止まり、静止目標になるように。
虎蔵がさとの肩を持ち、友加が足を持って、下働きの夫婦が寝ている玄関脇の部屋に運んでいく。老夫婦も気持ちよく眠っていた。
起き上がることができないように拘束して三人を布団に並べる、外から見えにくいように蚊帳を垂らして部屋を出た。
次に、待機及び発砲場所になる次の間北東隅、L字型の壁に両面テープを張り、そこへビシバシと板状ポリカーボネイトを張り付け、壁越しに刃物を突き入れられなくする。状況を判断できるような時間を与えるつもりはないが、安全第一。
護衛対象が未成年者、誘拐の被害者でありかつ強要されて囮を勤めるという異常事態なのだ。絶対の安全を期したい。念には念をいれ、床には防刃シートを貼り付ける。
作業量が多く、すでに四時過ぎ、空は明るんでいて間もなく暁の光が差す。
身支度を確認し、とりあえず大盾は倒しておき、壁に寄りかかってふやふやと打ち合わせをする。
「わかってますよね」
「はい」
「絶対に動かないで」
「はい」
「あのー、あのですね」
「なんですか」
「えーっと、たとえばカートリッジを交換するとか」
「だめです」
「だめですか」
「もちろんダメです。盾から手を離さない」
「はい……」
緊張を緩和するために、友加はキャンディを口に放り込まれた。
「練習は裏切りませんよ、友加さん、ただ練習どおりにするだけです。
たいていの実践は、練習より簡単だった、と実感するんですよ、それだけの練習を積まないと現場に出してもらえないんです。友加さんは十分練習しました、その点は信頼してください。
むしろ、練習以外のことをしないようにね、意外な行動をとられると、自分が対応できないかもしれません。自分と友加さんは今チームメイトです、信じてますよ、相棒」
もにゅもにゅとキャンディを舐めていた友加の唇が、キリッと引き締められた。
床に置いた豆電球が赤く点滅する。夕闇に紛れて、簡単な警報装置を設置しておいた。装置の前を人が横切ると、こちらで電球が点滅する、それだけの単純なものだ。
「来ました。構えたら動かない、いいですね」
友加は突然強い緊張感に襲われ、声が出なくなった。
虎蔵は、これでいい、攻撃に専念できると少し気が楽になった。
防刃ベストのポケットに分散して入れているカートリッジを服の上から押さえて数を再確認、後ろのホルスター、腰のホルスターと手を触れて確認、L字陣地の奥に立ち、十メートル用テイザーを構える。
友加は練習どおり虎蔵の前に片膝立ちし、大盾を引き寄せると持ち手をしっかりと握り締めた。そして、他のことをやれと言われても、自分にはできなかっただろうことを自覚した。自分を殺そうとしてくる人に対面するというのは、想像とは全然違っていた。
南の軒下に立て回してあった葦簀が左右に払われてバサバサと音を立てて倒れた。朝の光が入って、視界が明るくなる。
明り障子がパンという音とともに開け放たれ、人が入ると蚊帳の釣り紐を切り落とす。廊下側の二本がほぼ同時に落ちたから、ふたり以上だ。
虎蔵はテイザーを構え、狙ったまま待っている。
控えの間側の釣り紐が落ち、間髪を入れず引き金が引かれる。まず近い方、次に遠いほう、ふたりが声もなく倒れた。
後から入って来た者が、短い刃物で丸めた布団を突き刺した。手応えで人体でないことがわかり、すぐに抜こうとしたが、その時には布団を抑えた左腕に二本の針が突き刺さっていた。
三人。十メートル用三発。
ほとんど同時に北の座敷に立てかけてあった襖が派手に倒される。蚊帳を落とすつもりでいただろうが、この時点で蚊帳は吊られていない。友加と虎蔵は壁の裏側に居て、北からは死角になっている。
虎蔵は、持っていた二番目の銃を静かに床に置き、近距離用をホルスターから抜いた。
油断なく身構えて足元を確認しながら蚊帳の上を歩く人影が、右手から現れる。ひとり、ふたり。テイザーを替えて三人、四人。
七人。近距離用二丁、四発。
その時には、もうひとりが南からゆっくりと入ってきていた。
「だれだ、いい腕だな」
射出された投擲物の出所を見て、男が声を掛ける。何かが自分に向かって投げられていると知っている相手に刀を抜かせたら、叩き落とされるだろう。二本の針の片方あるいは線に当たるだけで無力化される。男は、ゆっくりと近付いてきた。
その時、北から佐竹が座敷に上がってきた。
「よう、威勢がいいな」
その瞬間、虎蔵のテイザーがまず肩に向けて、連発で太股に向けて放たれた。男の振った刀は、最初の一発を見事に払い、次の一発は間に合わなかった。
投擲ならば動作が見えて、連続であることがわかるだろうが、銃ではそれが判断できず、薄明りの中で前弾を目くらましに飛んでくる次弾が見えず、反応が遅れた。
八人。
十メートル三発、近距離六発。即応できるのはあと一発と二発。
ほう、と声がして、佐竹が視界に入ってきた。
「とら、いい腕だな」
「ああ、旦那ですか、遅かったですね」
「おお、悪いな、終わったみたいだな、その得物をおろしてくれないか」
虎蔵はにっこり笑ってためらいなく佐竹に向けて撃った。
九人。
「友加さん、まだ来るかもしれませんが、拘束を急ぎます。
手錠をかけてください、練習どおりですよ。
それが終わったら、針と線を回収。踏まないよう注意。使用したものは必ず回収です。はい、この袋におねがいします」
友加からすれば、驚く暇もなかった。五分もしないうちに終わってしまい、人が倒れている。緊張したまま盾を壁に立てかけ、練習どおりに南側三人の拘束対象をうつぶせにして、右手首と左足首を背中側で繋いで手錠を掛ける。
次に教わったとおりに注意深く針を抜き、線を丸くまとめ、バインドしては袋に入れていった。
虎蔵は、カートリッジを取り替え、四丁をホルスターに納める。
素早く六人を手錠で仮拘束、猿轡を噛ませる。
蚊帳の下から、ひとり分ずつ切ってセットしていた晒を取り出す。後ろ手にしてまず細折にした晒で手首を拘束して手錠を外す。次に膝から下を幅三十センチ強の晒でぐるぐる巻き、立ち上がれないようにしてから、肘の上から指先を見当に上半身を腕ごとぐるぐる巻きにする。
見た目、まるで白いミイラだ。
作業中に、北と南からひとりずつ男が現れた。
「佐竹さま」
と、声がかかる。虎蔵が北から声を掛けてきた男に応えた。
「旦那は奥を見ていなさる、これで全部のようだが、外はどうだ」
と、答えた。相手の返事にはほっとしたようすが滲んでいた。
「ああ、虎蔵か、助かった」
「いや、佐竹の旦那はお強いですね。お縄を掛けるのを手伝っていただいても?」
「ああ、いいぜ」
縁側から入ってきて、晒巻の人間を驚いて見てしまった男は、テイザーを喰らって昏倒した。
十人。
南から様子を見に来た男は、友加の戦闘装備を見てぎょっとした。
「誰だ」
友加は、予想問答集から、適正解を導き出した。
「あ、はい、国東です」
「国東?おお、無事だったか。それにしてもその恰好は何だ、得物はどうした」
そう言いながら男が近づいてくる。
「すごいな、いい腕だな、国東、この三人はお前か?」
「はい。得物はこちらです」
そう言って、ベルトのホルダーに差してあったスタンバトンを取り出し、起動させる。すっと差し出して、倒れている数を目で数えていた男の素肌部分に触れた。
十一人。
十人はなかなかいい読みだった。攻撃側は八人、御庭番が三人、さとと老夫婦を含めて、しめて十四人なり。
公安の指示は、「全員拘束せよ、味方はひとりもいない」、だった。
友加と虎蔵は、黙々と片付けを続けた。
友加はここにあってはならないものをどんどん回収して、物置から出してきた木箱の側に運ぶ。
虎蔵は拘束を終えると、全員そのあたりに転がしておく。全部まとめて危険人物。集団による暴力の行使を常習とする犯罪の容疑者、一部現行犯、である。
抵抗を制して晒を巻き付けるのに時間がかかり、五時半になっている。スタンバトンを使わざるを得ない相手もいた。
木箱の前でチェックリストを確認しながら、装備を収納する。
協力して荷車にこの時代からすれば“オーパーツ”満載の木箱を積み込んだ。
外を歩いても不自然ではないように筒袖と稽古袴に着替え、友加は虎蔵を待っていた。
虎蔵は、念を入れてもう一度忘れたものはないかと点検し、探知機三セットを回収した。
最後にもう一度チェックリストを指でたどり、さとの親指を拘束した特殊繊維を回収する。危うくチートアイテムを残すところだった。上半身は拘束していないから、親指を開放した以上目が覚めればすぐに自力で動き回るだろう。
確保した十一人はなんだかうねうねと蠢いているが、晒で手の先まで胴に着けて縛り上げられているのだ。こういう事態を想定して訓練していてもおそらく自力では抜け出せないだろう。さとが眠りから覚めるのが早いか、誰かが様子を見に来るのが早いか。いずれにせよ友加と虎蔵が関わらぬところで彼らは回収されるだろう。
荷車の一番上に慈恵院から風呂敷に包んで担いできた布団を載せた。
あれは、七月二十日のこと、わずか五週間前のことが懐かしく思い出された。
虎蔵が荷車を引き、寮の脇門を出る。友加が竹編みの門戸を閉め、戸枠の下に小石を挟んで自然に開かないように止める。
さあ、帰ろう。
慈恵院まで、虎蔵が引く荷車の後ろで、布団を押さえたり、少し荷車を押してみたりしながら、友加は明るい気持ちで歩いた。もう佐竹とさとのことは気にならなかった。
見抜くことさえできれば、対処方法はある。