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26.国東友加

 幾絵は、友加がその場で震えるこぶしを握り締め、身動きもしないで立ち尽くしているのに気がついた。医師の目には、若い娘がショック状態にあることが見てとれ、虎蔵と佐竹にその場から動くなと手で示して静かに友加に近寄った。

 友加の横から、左手を取って呼びかける。

「友加ちゃん」


 突然、友加が涙をこぼし始め、右手で滂沱と流れる涙をぬぐいながら、声を出さずに泣き続けた。

「よしよし、友加、うん?」

「大丈夫だよ、問題ないよ」

「友加、友加」

 幾絵は低い声でなだめながら、そっと友加の肩を抱き、土の上に座り込ませないよう静かに縁側まで歩かせて座らせた。

 友加は静かに泣き続けている。

 幾絵は隣に座って、背を撫でながら泣くままにしておいた。


 虎蔵に手まねで「あっちへいけ」と知らせた。虎蔵は佐竹の背を押して、表座敷へ押し込んだ。

「国東殿は?」

「佐竹の旦那、旦那のせいですねぇ、ありゃぁ」

「俺?」

「多分。自分は医者じゃないんではっきりわかりませんがね、っていうか、こういう仕事してますから慣れっこでね、あちゃー、やられた、と思うだけですけどね、国東はまだ学生ですからねぇ」


「何だって?」

「はあ、旦那も因果な商売ですからね、わかんないでしょうねぇ。

 国東は、旦那とさとさんが組んで、自分を騙したことに気が付いたんですよ」

「それがどうした、当たり前だろう、騙されるのは未熟だからだ」


「そりゃそうでしょうけどねぇ。

 旦那のやったことは五歳の女の子が持っている大切な人形を、ちょっと見せてと言って預かって、持って逃げたのと同じなんですよ。

 さとは、さしずめ、渡してもいいかどうか迷っている女の子に、この人は大丈夫よ、優しいおじさんだから、と口添えしたようなものですかねぇ。

 いつ返してくれるかじっと待っている女の子が、人形を返してもらえないことに気が付いて泣いてるんですよ、わかんないですか?

 うっかり渡したおまえが未熟なんだ、といって世間が通ると思いますか、御庭番の旦那」


 誇りなどはその辺の穴に適当に捨てて来たであろう御庭番が黙り込んでしまった。

 彼が捨ててきた誇りの中には、「他人を慈しむ」という、人間が生まれ持つ美しい資質が含まれていたのだ。それは、王者の資質、すなわち、人が自分自身の真の主であるために必要な資質であるから、主に従うだけの人生には不必要だった、つまりそういうことだ。

 佐竹は生きるために意地と誇りを捨てた。

 そして今、失ったものが何かわからず、死に至るまで探し続ける運命の下にある。



 友加は長い間泣いていた。涙が尽きても泣き続けた。

 ショック状態から回復させるために、幾絵は友加の背に夏小袖を掛け、お茶を淹れて冷まして飲ませた。徐々に気持ちが落ち着いてくるのをじっと待っていた。


「幾せんせい、わたし、騙されたんですね」

「そう思うかい?」

「はい」


「さとさんに」

「うん」

「いいようにあしらわれて」

「うん」

「ばかみたいです」

「そう思うかい?」


「紘子さまは知っていたのでしょうか」

「友加はどう思う?」

「わかりません」

「知っていたとしたら?」

「え?」

「知らなかったとしたら?」


「幾せんせいは気がついてましたか?」

「いや、ぜんぜんだねぇ、さっきトラが説明するのを聞いてもまだよくわからんね」

「はい」

「なにが起こったか、順番に話してごらん、できるかい?

 そのとき友加がどう感じたかは言わなくていい。

 ただ、起きたことを、そうだね、まるで空中に浮いていてその場をただ見ていたように、客観的に事実だけ。できるかい?」


 友加はしばらく黙っていた。頭の中で最初の日に記憶を巻き戻しているのだろう。


「朝、鞍馬の道場で稽古をしていて、井戸で水を飲みました。

 道場へ帰ろうとしたら、周りが光って、こっちへ来ていました」

 友加が話し始め、幾絵はただ黙って聞いている。

「無礼者、という女性の声がして、時代劇の撮影かと思って走って行ったら、すごい殺気で。

 練習していたせいでしょうか、そのまま持っていた竹刀で紘子さまとさとさんを取り囲んでいた男を5人、急所に入れないようにして薙ぎました。

 佐竹さんが朱色の房の付いた十手を持って走って来たんです。

 紘子さまとさとさんに感謝されて。紘子さまが草履を履きなおす間、佐竹さんとさとさんに背を向けていました。そのあいだになにか打ち合わせしたのでしょう。

 根津まで案内されて。佐竹さんが事情聴取に来て、中谷さんがわたしを見つけてくれて。

 結局、根津に泊めていただけることになりました」


「うん、よかったよね、宿も探せない、夜になる、木戸が閉まったらもう歩きまわれないからね。泊めてもらえて助かったじゃないか」

「はい」

「それで、中谷君が迎えに行って、紘子とさとと一緒に慈恵院に来た」

「幾せんせいに会えて」

「嬉しかった、は、言わない」

「はい」


 友加は感情表現を一切排除するようにというアドバイスのもと、自分の見た事実を淡々と述べるよう励まされ、できるかぎり客観的に話していった。

 二十日ほどの内、ほとんどの時間を同じ場所で過ごしたから友加の話はさほど長くならなかった。そして、今日、虎蔵が説明するシーンにたどり着いた。


「紘子さまが本院に行かれました。さとさんが付いて行きました」

「ああ、そうだったね」

「でも、佐竹さまが」

「うん」

「佐竹さまが、わたしをとがめなかったんです」

「咎めなかった?」

「はい。護衛が護衛対象から離れるのに」

「ああ、そうか。

 なるほどねぇ、友加、ようやくわかったよ。

 つまりこういうことだね、佐竹は紘子がさとだけを連れて行くことを当然だと思った、つまり、護衛の友加が紘子に付いて行かなくても問題ない、と知っていたことになる。

 だって、佐竹はここに来たのは初めて、紘子が本院に行くのは初めて見たはずだもんね、紘子の行く先には護衛の友加が必ずついて行くと思っているはずだ、ということだね。

 それで、友加もトラも、なんだ、護衛必要なかったのか、あ、そうか、それじゃあさとが護衛なんだ、と気がついた、と」


「はい。

 最初にここに来た時、迎えの方がいらして紘子さまがさとさんだけを連れて庵主さまに会いにおいでになったので、本院に行くとき護衛するという意識が全然ありませんでした。

 でも、佐竹さまは違います。紘子さまは大切な方で、葵紋をいただいてご身分もさらに上がったはずです。佐竹さまの目の前で護衛から離れるなんて。

 気が付いたらどんどん繋がって。

 それで、ああ、さとさんが本物の護衛だったんだな、と思って、自分は何も知らされていなかったことがわかってしまって」


「うん、うん。それで思わず、口に出てしまったんだね、さとは佐竹の部下、つまり御庭番のメンバーだって」

「はい。佐竹さまが興奮して立ち上がったので、当たってたんだって。おまけに、わたしに知らせるつもりなんかなかったんだってことも。

 中谷さんが説明しているのを聞いて、あの時も、あの時も、さとさんと佐竹さんに騙されていたのに気がつかなかったんだって」


「うーん、それはつらかったねぇ」

「はい。 いえ、というか」

「うん?」

「わたしがばかだったんです」

「うん?そうかい?

 私も全然気が付かなかったよ、今の友加の説明でなんとかわかったような気がするけどねぇ。一晩じっくり考えてみないとまだよく納得できないかもしれないよ」


 友加は感情表現を押さえて事実の叙述を続けていたせいで、突然感情が溢れてきた。

「幾せんせい。

 わたし、勉強します。もっと賢くなります」

「え?何? いや、勉強はどんどんしていいよ」

「わたしは騙された、いや、佐竹さんとさとさんが何かを隠していたことに気が付かなかった。こんなことは許せません。わたしは自分が許せません。

 今回は、騙されたといっても誰も困っていません。ただ、わたしがいいように扱われたことを諦めたらいいことです。

 でも、次は違うかもしれないです。

 騙されて間違った選択をした時、わたしが守るべき人を守れないことになるかもしれません」


「うーん、がんばったねぇ、なかなかすごい発想だよ」


「幾せんせいは、医学部進学を決めたのはなぜでしたか?」

「う、攻めてくるねぇ、う~ん、どうだったかねぇ。

 私は理科系が得意だったよ、数学は生まれつきのところがどうしてもあるからね、そこを自己評価して、ってか、なんだい、突然」

「えへ、すいません。

 医者って、すごいな、って。幾せんせいは心理学専攻じゃないのに、ちゃんとわかってくれたから」

「ああ、いや、友加だからさ」

 そして照れながら付け加えた。

「私は単に友加がかわいいのさ、そりゃあ仕事柄、混乱している人と接することもないわけじゃないけどね、むしろ慣れだね、医者でなくてもできることさ」

「ありがとうございます」


このシーンを書いていたのは真夜中だったのですが、倉名にはこのシーンについてなにも頭に描いていませんでした。普通は、すでに頭の中にある映像を基に文章に降ろしていくのですが

書いている自分の手が驚きの文章を紡いでいくのに、手を停めることができなかったのです。友加が突然泣き出すところから、勉強します! と叫ぶところまで、先に手が動いて、あとから映像が付いてきました

物語の作り手にはこういうこともあるのだなぁという驚きと、書き手の喜びを感じたものです


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