24.御庭番の辞書に説得という単語はあるか
幾絵が桂差し入れの緑茶パックでお茶を入れ、まず紘子主従に心配しないでゆっくり休んでいてほしいと伝えようと、お茶を持って納戸に向かった。
紘子は緊張から解放されて疲れが出てしまったようだ。見ると横になって休んでおり、さとが掛物の上からゆっくりと足をさすっていた。
葡萄模様に吉祥紋の小袖は衣桁に掛かり、葵紋付き懐剣は、紫の絹布に包まれて紘子の枕元に置かれていた。
どのように保管したいか尋ねて、それなりの格式の道具を用意しなくては、と、幾絵は心のメモに書きこんで納戸を後にした。
虎蔵は、友加を座らせたところに行って「終了」と声を掛けた。友加は、よくあることだが、半分居眠りしていた。瞑想していると眠くなるらしい。はっと気づいて、目を開き、虎蔵を見てちょっと恥ずかしそうにした。
「友加さん、立てますか? 佐竹さまと話をしてもらいたいんです」
友加は軽く首を振ってぼんやりとしていた頭をもどした。
「はい、わかりました」
わりと長い間居眠り正座していたので、手を添えて足指を畳に押し付け、体重を乗せてしびれを取ろうと頑張ってみた。感覚が戻ってきて、ジーンとする。
「佐竹さまは、友加さんに頼みたいことがあるそうです。
自分と森田先生は反対しています。佐竹さまも上から言われて来ているので、引いてくれません。
森田先生は快く思っていませんが、自分は友加さんに任せたいと思います。
佐竹さまの用事を聞いてみますか? 聞きたくないのだったら、自分と森田先生で断ります」
友加は、うん?というように首をかしげた。
「あの、葵のご紋って何だったんですか?」
「あ、それね、忘れちゃってたよ」
虎蔵は、へへ、っと頭を掻いた。
「あのね、紘子さまに葵紋の懐剣? だと思うけど、たぶん懐剣を預かってきたんだよね」
「ええ~」
「こら、小さい声で」
「はい」
友加は驚愕していた。葵紋というと、あの、あの、「この紋所が目に入らぬか」の、あの葵紋?
「あのぅ、葵紋って」
「うん、多分友加ちゃんが思っている、その葵紋」
「うわっ」
友加は心臓の上あたりを押さえたが、足のしびれの方が深刻で、仕方なくふくらはぎに手をやってぎゅうぎゅうと揉みこんだ。しばしマッサージタイム。
マッサージしながら考えてみた。どうせろくでもない用事なんだろうな、幾せんせいと中谷さんが断るような用事だもん、和にいが聞いたら激怒するような。と、そこまで考えて、たいがい思い当たった。
「中谷さん、行きます」
「友加さん、大丈夫ですか。ここは無礼打ちで黙って刀を抜くような世界です。
佐竹の旦那は、お寺に入るので二本差しは置いて来てますけどね、刃物なんかなくても十分人を殺傷できるでしょう。
もちろん必ず守りますが、守られて森田先生がけがをしたら、我慢できないでしょう?」
「うん」
友加はもう少し考えた。
「中谷さんが怪我をしても嫌だけど?」
「まあ、自分はもし友加さんに傷が付くようなことがあったら、どっちみち国東班長に斬り捨てられますから、問題ないですよ」
「あはは、ありそう~」
「あはは、って、友加さん、班長なら本気で来ますよ?」
「うん、その時はわたしが前に出る。黙って斬らせたりしないよ」
「はあ、まあ、その節はどうぞよろしく」
JKに守られる四課の刑事とか、ぜんぜん嬉しくなかった。
表座敷では、再び配置換えが行われた。
佐竹が床を背負って上座、そのすぐ下座左に幾絵、右に虎蔵が向かい合う。もちろん、佐竹を体で止めるためだ。エグイ。
友加は、念のため畳縦一枚半分ほど佐竹から離れた位置を指定されて佐竹に対面する。
「友加、佐竹さまにお会いするのは三度目だね」
「はい」
「前のことは忘れて、自己紹介しなさい」
「はい」
友加は、膝に握りこぶしを置いて、佐竹を見た。佐竹も友加を見ている。
「国東友加、十七歳。高校三年です」
「続けて家族紹介」
「父は法務省で働く国家公務員です。母は警視庁の鑑識の職員です。
兄が二人います。二人とも京都府警で刑事として働いています。
父母は東京にいますので、祖父と祖母が世話をしてくれています。祖父は京都府警の剣道部で指導しています。祖母は主婦です」
高校入試の時の面接でこれを言ったらドン引きされた気がした。でも、そのとおりに言ってみた。事実に正確で、どんな身上調査にも耐える。
幾絵は肩をすくめた。虎蔵が佐竹に
「一言一句、ちがいありません」と、保証した。
佐竹の番が来た。こんなところで、こんな訳の分からない相手に話をするのは不本意極まりなかったが、圧力に屈した形だ。これをクリアしなければ、用件を言わせてもらえないことは明らかだった。宮仕えはつらい。
「佐竹宗三郎。御庭番である。家族はない」
うわ~、友加は場面が深刻なのを忘れかけ、妄想の世界に旅立とうとしていた。
御庭番、あの、あんな、スゴイ。実物?
虎蔵が気付いて、ぐっと締めた。
「友加さん、ご挨拶」
「はい」
友加は危うく現実にUターンしてきた。
「わたしに御用と聞きました」
そう言って、手をついて礼をすると姿勢を直した。
「国東、上意である」
「はい、まず内容をお聞きするようにと言いつかっています」
上意である、と言ったのに、平伏して承らないとは。佐竹の手が脇にあるはずの刀に伸びようとしたが、今日は町人の形で持ってきていなかったのだった。ぐっと歯を噛み締め、屈辱に耐える。
「よかろう。
紘子さまは、やんごとなきお方のお子を身ごもっておられる。仔細は言えぬが、お子をお産みする前に命を取ろうとする者がいる。
われらは、追い詰めようとしたが、陰から助ける者が強く抑えきれない。
こちらでお衛りいただき、お産み参らせるまでお世話いただければと。だが、やんごとなき筋がよしとなされない。ここで力を削ぎたいとの思し召しである」
佐竹が一旦言葉を切った。友加が話についてきているかどうか確認したいらしい。黙って待っている。
「国東さん、サマリー」
虎蔵のアドバイスがはいる。
「はい。
紘子さまとお腹のお子さんが誰かに命を狙われている。佐竹さまは、お子さんの父上の命令で、命を狙っている人を逮捕したい」
「はい、それでいいです。
佐竹さま、国東はわかっています」
佐竹はとりあえず茶で喉を湿らせた。友加の言葉は六割ほどしか理解できない。イントネーションも発音も微妙に違ううえに、意味の分からない単語がたくさん含まれている。
実は、これが幾絵と虎蔵の狙いだ。たとえ友加が行くと言っても、ひとりで行かせることはできない。少なくとも虎蔵を密着させる、これが絶対条件だ。わざわざ高校、国家公務員、鑑識、主婦、剣道部、逮捕など、この時代に存在しない単語を使うよう誘導している。虎蔵もその意図を含んで、サマリーとカタカナを使った。
「紘子さまがこの別院においでの限り、相手も手を出せない。今は硬直した状況にある」
友加の言葉がよくわからないために、相手が理解しやすいように自然と簡単な単語を選び、同時に言葉数が多くなる。
「この状況を打開するために、手を打ちたい。
我らは、囮を立てて、根津の寮に討ち手をおびき寄せ、一気に潰す案を出した。だが、紘子さまを囮にすることは許されなかった。
手を尽くして似た娘を探したが、どうしても見つからなかった。紘子さまの年頃の女は、縁付いて鉄漿をしているのが普通で、ひと目見ればわかる。身代わりになれない。もっと若い娘から探したが、紘子さまのような落ち着きと腹の座りは求めるべくもない。大奥でのお勤めは、並みの修練では務まらぬということだ」
ここで友加が虎蔵に目をやった。
「中谷さん、質問していいですか。
直接お聞きすると失礼になるかもしれません。でも、確認したいです」
幾絵がサポートに入る。
「友加、英語で来なさい。わかんない単語はそこだけ日本語、できるね」
「あ、はい」
幾絵にむかって、友加は考えながら話した。
「Isn’t there anyone in オオオク taking ミガワリ position?」
「ああ、それね。うん。直接聞いていいよ、中谷君、通訳」
「はい、わかりました」
「佐竹さま、国東は、大奥のお女中に紘子さまの身代わりをお頼みできないものか、とお聞きしております」
佐竹からついに大奥という単語を引き出した。完全に失言だ。佐竹は頭を抱えたくなった。
「それは口外できない。ぎりぎりここまでは言える。同じ手を使うことはできない」
三人は別々に考えて、同じ結論に至った。
大奥から女性を外に出すことは困難を極める。方法を編み出し、紘子は危険地帯から逃がされた。だが、同じ手を使ってはバレやすくなる。おまけに身代わりにお勤めをしている侍女がふたりになる。
というか、問題点はむしろこちらかもしれない。今回身代わりが探せないというのだから、そもそも最初の身代わりを探すのもすごく大変で、おそらく京都から探してきたのだろう。もう一度同じことをする時間はないということだ。
「佐竹さま、具体的な作戦をお聞きしてもいいですか。もしわたしが囮になったら、どう行動するのですか。サポートはどのくらいはいりますか」
佐竹が虎蔵を見る。十分理解しているという自信がない。言語的にわからないという以上に、おそらく、指示を受けて実行する立場の者が、指示を出す者に内容について質問するというコンセプト自体がこの時代の常識に存在しない。
「国東は、自分が囮を引き受けて、紘子さまの代わりに根津の寮に行った場合、どのような行動をとる予定か知りたいと言っています。さらに、国東を守るためにどのような体制で何人くらいが動員され、どういう配置になるか、と聞いています」
虎蔵はずいぶん盛って通訳した。幾絵の目つきもさらに厳しくなる。
ここは命が軽い世界だ、人権主義などどこにもない。襲撃者の殺傷・捕獲が中心で、囮の安全など考えていないかもしれない。
「お上を信じてもらいたい」
幾絵から即座にクレームがついた。
「佐竹さま、作戦が決まってから出直してください」
虎蔵も沈黙を以って抗議した。
友加はもちろん、ばっかじゃなかろか、と思った。杜撰なんてものじゃない、こんなので命がけの作戦に参加するように説得できるとでも思ってるのか、出直してこーい。
すでにだれも佐竹の話を聞く気はなかった。三対の冷たい目が佐竹を見ている。
承諾以外の返事を聞いた佐竹は、口を開きかけては閉じ、ぱくぱくと困惑していた。本来ここで無礼打ちにすべきなのに、できない。たとえ刀を持っていたとしても、そもそも友加以外に勤められる者がいないのだから、人質を取って強制することしかできない。
場は再び水入りになり、再開する前にお腹が空いてしまった。