23.会談延長
衣桁に掛けた葡萄紋小袖:作者の創作
まあ、こういうことになるだろうとは思っていたけど、と、虎蔵は腹を括った。膝の前に手をつき、畳の目を見詰めながら説得に取り掛かる。
「佐竹さま、改めて申しあげます。私、出身はここより遠い国、国は令和と申します。こちらに来たのは半年前、不意に運ばれ気が付いた時には別院の庭に倒れておりました。
どのように来たか、何のために来たのか知らされておりません。
氏名は中谷虎蔵、お役目は市中取締方でございます。
国東友加は、私の剣の師の孫であり、役所の上役、国東和兄の妹御にございます。
令和におきましては、まだ年若く、成人すらしておりません。命を懸けてお守りせねばなりません」
できるだけ事実を説明し、佐竹、そして佐竹に命じている者を説得すべく、淡々と述べる。
佐竹にも、その真剣さは伝わっている。
「そうか、虎蔵、おまえの身元がどうにもわからなかったのも道理」
「はい、ご不審にございましょうが、森田さま、あ、幾庵さまのお名は、森田幾絵さまにございます。
森田さま、私・中谷、国東友加はともに令和に生まれ、理由を知らされずこちらに送られて参りました。森田さまは、長い修業を積んだ後、市中取締方の医師となられ、二十年以上お勤めになっておられます。私共の尊敬を集める、優れたお医師にございます。
森田さまと国東友加の母上は、同じ役所で働く医師同士。役職上は森田さまが部下に当たります。森田さまが国東を危険な場所に送り込むことを良しとしない心情をお分かりいただきたく」
佐竹が、それが困った時の癖なのだろう、腕を組んで低く声を出した。
「うーむ」
幾絵は苦々しい顔を崩そうともしない。
「佐竹さん、中谷も国東もたしかに剣の腕はそうそう誰にも引けを取りませんよ。もとの国でも腕だけを競えば国の上から数えたほうが早いでしょう。ですが、中谷の腕は力ない民を守るためのもの、国東は純粋に剣を磨く段階で、どれほど強かろうと人を傷つける覚悟はまだありません。
こちらのお国の、人を斬る剣とは違います。
ふたりとも紘子さまをお守りするためならば刀を取るでしょう。しかし、たとえ守るためであろうと、人を殺すつもりで刀を向ければ、ただそれだけでも心を大きく傷つけます。
私の修業した医者の道場では、心因性外傷と言います。普通に生活していても、ふと人を傷つけた一瞬がよみがえって、生涯にわたって繰り返し心を痛めつけます。
佐竹さんはおそらく知っておられるでしょう。人を斬れば、人間は変わります。
私は、仕事柄、人を殺して罪に問われた者を見てきました。同じ人を殺した者でも、殺そう、あるいは殺してしまってもよいと思って手を上げた者と、防衛上そういう結果になってしまった者は心のありようが異なります。
たとえとことん追い詰められていても、人を殺す決意をした者は、いわば一線を越えたのです。帰ることは難しい、特に、まだ子どもの域を完全には抜けていない国東には酷い。
医師として人の体だけでなく、心を守る立場から、到底賛同できません」
佐竹は腕を組んだまま、幾絵の声を聞いている。それは佐竹の属する世界では乗り越えるべきものにすぎなかったから、理解できたとは言えなかった。だが、幾絵がまだ年若いふたりを守る理由を幾絵の立場で話しており、その立場は職業上のものであることはきちんと通じていた。
「森田殿、女ながら医師であるというだけのことはある。
私の今の名は、佐竹宗三郎。紀伊の山里に生まれ、ただ紀伊様にお仕えするためだけに生きて参った。
私が初めて人を殺したのは十の時」
佐竹の目は平静だ。思い出すことはもはや彼を傷つけていないようだった。
彼は、それを単独で切り離せば殺人であるものを、主のためという大義名分を受け入れ、正義の一部に織り込む作業に成功したのだ。
「森田殿の言に従えば、私は一線を越えた者、帰ることはないであろう」
幾絵もすこし怯んだ。この、令和では殺人の罪で死刑になるであろう男は、享保で役人の仮面をかぶり、幕府の、いや、将軍の情報収集担当、さらに暗殺担当として生きている。
持って生まれた性格は仕事に適するように矯正され、個性を殺して目立たぬように同心として仕事を続けながら、呼び出されて影の仕事をする。幾絵の心にわずかに哀れみが生じた。
「私は、命に背くことができない」
それは、単に事実を述べただけだった。佐竹は命じられたことを遂行することしかできない。
命令に従い、命を懸けて尽し続けた主は、ごく低い可能性の中から“幸運に恵まれ続け”、予備人員としての立場を抜け続け、紀州公に、更に将軍宣下を勝ち取った。
佐竹はそういう役割の上に人生を築き、こうして享保に生きている。
場を、何とも言えない沈黙が支配していた。
真剣を所持するだけでも「銃刀法」の規制を受ける令和世界で、それでもまだ普通の市民に比べれば暴力に近いところで働く幾絵と虎蔵。
その職業人生は、「力は使う前に矯める」、そのためにできることは何か。
「一度力を使った者を、力から引き離す」、そのためにできることは何か。ということのために使われてきた。
そのふたりの前に今いるのは、仕える人のために力を振るい、状況を「力で切り崩し」続けてきた男だ。二組の間には、三百年という年月が横たわっている。
ただ、令和のふたりの属する世界は、享保の男が属する世界が通過した時間軸の延長上に存在している。
一般市民の刀剣の不所持がその一端を担っている、安全な社会生活の成立までには、長いながい年月と量り知れない努力の集積がある。
享保世界でも、すでに農民は刀剣を持つことはできない。そのあたりの野山で活発に戦闘がおこなわれ、誰でも武器を拾って隠し持っておくことのできる時代は終わっていた。
信長の時代に、それまで武装していた寺社は武装解除された。そのため享保には僧兵はいない。この時代に武器を所持しているのは、原則として武士階級であろう。
享保からおよそ百五十年後、徳川幕府の瓦解があって武士身分がなくなってからは、軍人が武装する。軍人の内訳は、職業軍人および兵役の義務をはたす一般国民だ。
第二次世界大戦が終わり、徴兵制度が廃止されると、国家が市民に武装を奨励することはなくなった。
そして令和世界では「銃刀法」による許可のないものは、武器を持つことができない。
争いを力で解決しないという社会システムに至る長い時間の中には、享保がはたした役割もあった。幾絵にも、虎蔵にもそれを否定することはできない。
三百年分の歴史が高い壁となって、佐竹と幾絵の間に立ち塞がり、それぞれの時代を背負って睨み合っている。
手をついたままでいた虎蔵が、口を開いた。
「森田さま、国東さんを呼びましょう」
「和兄になんて言うんだい」
幾絵の声はきつかった。視線も厳しい。
「はい。かならず説得します。絶対に大丈夫です」
幾絵が驚いた。二の句が継げない。
「佐竹さま、国東を呼んできます。国東には好きなように話させます。
まず、国東を見て、話を聞いて、頼みにできるかどうか考えてください」
幾絵は難しい顔で虎蔵を見ていたが、半年の間に築いた信頼を思い出して、遂にこれもあるか、と諦めた。
「いいよ、わかった。首を括るときは一緒に括ってやるよ。私の人生も終わりかねぇ」
「いえ、先生、大丈夫です。大丈夫にします」
「よし、じゃあ、とりあえずお茶を入れるかねぇ、疲れたよ。
佐竹さん、ちょっと足を延ばしていてください。お茶を飲んで仕切り直しましょう」
佐竹は、珍しい展開に目を白黒させた。
享保には、問題点を話し合いで解決するために長い会議を繰り返すという習慣があまりない。階級社会だから、意思決定権者が決定したらそこまでだ。会議参加者にできるのは、情報を提供すること、せいぜい意見を求められたとき限定で発言する程度だ。
まして佐竹は、命令に服従することで生きながらえてきた人間だ。葵紋を届けに来た人物に意見をする輩が存在するとか、想像もできなかった。佐竹の頭の中では、ただ平伏して承る相手に公方様のご命令と言外に告げれば済むはずだった。