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22.御庭番

 佐竹は表座敷に通され、紘子の身なりが整うまで静かに座って待っていた。

 幾絵は虎蔵に湯を沸かすよう頼み、記録的なスピードで小袖を身にまとった。

 厨で簡単に濃茶を点て、袱紗に載せただけの簡易作法で佐竹をもてなす。それは、佐竹自身というよりも、葵紋に献じられたものであり、同時に、正式な作法よりもすこし気楽な作法が支配する場であると幾絵が受け取っていることを示していた。佐竹が袱紗ごと持ち上げて喫したことは、それを了承したことを示した。


 幾絵は空けられた茶碗を下げて、紘子の準備のようすを見るために納戸へ行った。

 紘子は、前日に庵主の母君から小袖と細帯を受け取っていた。小袖は白地に葡萄文様が刺繍されていた。葡萄は、よく伸びた蔓にふっくらした実がつくことから豊穣を連想させる。子を宿している紘子の無事な出産をねがって、と渡されたものだった。

 着て行く場もないからと衣桁いこうに掛け、目を楽しませていたが、この場で使うために渡されたのだとわかった。

 さとが新しい水引でおすべらかしを整え、水おしろいを薄く塗り玉虫色の紅をさした。


 さとが紘子を先導し、表座敷の前で一旦座り、美しい作法で佐竹の対面下座まですすっと移動して座る。佐竹が葵紋を持っているためだ。

 さとは座敷に入ってすぐ脇、幾絵と虎蔵は廊下に控える。


 紘子が手をついて礼をする。

「紘子にございます」

「こちらをお預かりしてまいりました」

 御庭番・佐竹は、膝前に置いた紫の包みを開いて紘子の前に進めた。美しい拵えの短剣は、女性用の懐剣のようだった。


「お受けいたします」

 紘子はそれを包みごと両手で持ちあげ、目の高さに捧げた。

「紘子はありがたくお受けしました」

「体を愛しむようにとのお言葉である」

「はい」

 紘子の頬にすっと涙がこぼれた。

 紘子は、懐剣を捧げ持ったまま、見事な一動作でその場に立ち上がり、座敷の入り口まで摺り足で後退あとずさると、廊下で再び膝をつき、美しい角度で長く丁寧な礼をして、さとを従えて下がっていった。


 幾絵はあきれて見守り、

「なーんだ、簡易で行こうっていう合意とか、ぜんぜんいらないじゃん、スッゴイねぇ」

 と、内心ホンモノの姫君の胆力に驚嘆した。

 いつものおっとり姫仕様の紘子はどこかに消え去り、よくわからないもののおそらく、公家の礼法なのだろう。一朝一夕で身に付くとは到底思えない。貴人に面会する場合に備えて幼少時から叩き込まれてきたに違いない高度な技だった。

 どうやったら目の上に物を捧げ持ったまま座った姿勢から一動作で立ち上がれるのだろう? 連続技と言っていいのかも、作法って凄い。

 ま、とにかくいいものを見せてもらった。次は幾絵と虎蔵の番だ。



 佐竹は葵紋を無事に渡し終えたので、席を直して幾絵と向かい合った。虎蔵は幾絵の下座に座る。


「幾庵殿、紘子さまをお世話いただいているとのこと」

「いえ、佐竹さま。田中屋さんから費用を渡されましてね、お断りもできませんで」

 幾絵の口調に棘があるのはやむをえない。とにかく断りようがなかったのだ。


「国東殿はどちらに」

 佐竹は友加に確認したいことがあるようだった。

 これには虎蔵が答える。

「佐竹さま、申し訳ございませんが、それはお許しいただけますか。国東は私の剣の師の孫娘、弟子一同の至宝にございます。今は幾庵さまお預かりではありますが、物慣れないために、ご無礼があっては、私の腹では追いつきません」

「では、幾庵殿と虎蔵から十分に説明してくれるか。国東殿に負担を掛けることになる」

 幾絵が一瞬で機嫌を悪くした。

「佐竹さま、それはどうも。お受けしかねるかもしれません。あれは剣の腕だけはいいものの、ただの小娘、何の心得もありません」

「ともあれ聞いてくれ」


 紘子の命は狙われている。出産より前に消え去ってもらいたい一部勢力がある。

 子の父は紘子を守りたい、もちろん子も守りたい。だが、大っぴらには敵対できない。

 紘子をつけ狙っている数人を片付ければ、とりあえず安心できるが、特定しきれないでいる。ということだけを簡潔に話した。

 それ以外は一切口にしなかった。紘子の身元、子の父、根津に来た理由、それら説明することはなかった。


 根津の寮に紘子が帰るふりをして、友加に身代わりを勤めてもらいたい、襲われたところを一気に始末をつけたい。

 佐竹の依頼はそういうことだった。友加は剣に優れている、十分自衛できるだろう。


 幾絵は、か・な・り、立腹していた。


「佐竹さま、こう言っちゃなんですがね、国東が出る必要ありますか?佐竹さまのところで身代わりなんていくらでも準備できるでしょうに」

 親友の娘、姪のように思って接してきた子を、なにが悲しくて囮に差し出したりしようか。そんなことに令和サイドを巻き込まなくても、享保サイドで十分準備できるだろう。


「こちらでも力を入れて探した。これだけ時間をかけても見つからぬ。

 旗本・御家人の娘、年頃が合う邸勤めのお女中、頼めるところはすべて調べ上げた」

 佐竹は口籠る。

「問題は紘子さまのお年。紘子さまの年頃の者は、すでに縁付いて髪型を変え、鉄漿おはぐろである。遠目からもわかる。

 より若い者も探した。姿容貌すがたかたちの似ているものは、心得がなくお役を果たせぬ。いざというときに動じず対応するためには、生まれた時からの躾と長い修練が必要だ。

 さきほどの紘子さまを見たとおりだ」


「うーん」

 幾絵も唸るしかなかった。この時代の結婚年齢は低い。数えで十五歳(“赤とんぼ”によれば、姐やは十五で嫁に行った)と言えば、今なら中一ぐらいだろうか。女性の印を見れば結婚可能ということだろう。

 乳幼児の死亡率が高く、子を多く産むことが求められるから、妊娠可能年齢を考慮してスタートも早くなる。結婚したら、歯を黒く染める。化粧の一種だが、歯を守る効果もあったかもしれない。


 紘子は年頃にして二十歳くらい。その年齢の女性は大概結婚して子もいる。紘子が嫁いでいないのは、非常に特殊な環境で珍しい職業についていたからだ。


「中谷君、何とか言っておやり、和兄に殺されたくないだろう」

「はあ、もうこっちに残ろうかな、一生」

 口の中でもごもごと、聞き取られないように用心して呟いた。


紘子の葡萄紋小袖の絵を、つぎの話の最初の部分に入れてみました

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