21.不穏な空気
次の日の早朝、前日が朝からあわただしくて、竹刀を振る時間が取れなかった友加は、昨日の分もやろうと元気よく起きだしたが、竹刀がなかった。そう、一昨日令和に送り返したのだった。
仕方なく真剣を振ってみたが、やはり怖い。それは人を殺傷する道具であって、庭で振り回していいようなものではなかった。道場で人を払って、万一の怪我もないようにした状態でなくてはとても振る自信がなかった。
裏に回って竹を探し、適当な長さのものを振ってみたが、今度は重さが足らなくて困ってしまった。十何年も振り続けてきたのだ、どうも調子が出ない。
そこへ、虎蔵が木刀を二本持って長屋から出てきた。
「友加さん、竹刀の代わりに、これいかがですか」
そう言って木刀を渡し、好きな方をお使いください、と友加が振るのを見ていた。
「トラさん、ありがとうございます、こちらの方をお借りします」
そう言って、十回ほど振った。
「友加さん、お相手いただけませんか、自分も練習はしていましたが、こういう身分になっていますから相手してくれる人が探せなくて」
「あ、はい、もちろんです」
虎蔵は友加の兄、国東和兄京都府警刑事四課の部下だ。和兄は剣道の達人、虎蔵は府警の道場でその練習相手を勤めることもあった。勝てはしない。だが、次兄である、二課の刑事、恭介となら、いい線まで行く。
初めて相対するということで、深く腰を落として構え、剣先を軽く合わせて挨拶とした。
友加の方が若いので、礼儀に則って友加から打ち込む。
カン、カンと木刀が触れ合う、どちらもいい腕だ。ふたりとも国東正嗣の指導を受けているから、形どおりに稽古が進み、ほどよく進んだところで友加が仕掛けた。虎蔵の腕を次兄恭介と同じくらい、と友加は見ていた。つまり、かなり思いっきりいってもだいじょうぶだということだ。
虎蔵が前に出たところを、受けずに半歩後ろに下がり、右肩を中心に半身になる。引いた木刀を下から胴に入れつつ前へ抜けようとするが、さすがに躱された。技の応酬が始まり、腕の釣合いがいいので美しい攻防を見せることになった。次第に演武のようになる。
起き上がって布団に座っていた紘子が、木刀を打ち合わせる音と、ときどき短く「はっ」と漏れる気合を聞きつけて、ゆっくりと表座敷まで出て、邪魔にならないよう座敷の奥に静かに座って見ていた。
集中していた時間は思ったより長かったようだ。友加は相手をしてくれる人ができたのは久しぶりだったので、カンを取り戻したかった。虎蔵は半年ぶりに人を相手に振ったが、その剣筋はよく馴染んだもので、時間が経つうちに道場での練習を思い出して体のキレも剣の振りもよくなってくるのがわかった。思えばこのふたりは、友加が兄(姉?)弟子、虎蔵が弟弟子という関係になる。
幾絵が朝ごはんの支度をしようと呼びに来るまで気付かず、ようやく木刀を納め軽く立礼をして練習の終わりとした。紘子はいつの間にか納戸へさがっている。
その日の朝食は、ごはんに、豆腐・あげ・ねぎの味噌汁、たたみ鰯を軽く焙ったもの、梅干しと実山椒を佃煮にしたもの。幾絵が根気よく粒山椒の実を取り、醤油と少しの砂糖でゆっくり煮た大事な作り置きだ。
紘子の“もう一品”は、焼きナスに生姜と削りたての花かつおを散らしたものだった。
その日、虎蔵が見回りを兼ねて根津の寮を見てきた。午後の秘密会議はその話になった。
本日の栄養補給食として、友加と虎蔵にはKからはじまる名前のフライドチキン、ポテト・サラダ付きが準備されていて、友加はとても嬉しかった。ドリンクはPの方のコーラだ。普段は品子の準備する和食を中心とした食事でこれといって不満はないが、こうして江戸時代に来て、下校途中のドーナッツやコンビニのチキン唐揚げから遠ざかっていると、異様においしく感じる。虎蔵もまんざらでもなさそうに噛りついていた。
幾絵には海鮮丼だ。これまたニコニコメニューで、今日のポイントは体の栄養というよりも、心の栄養の方に振られているらしかった。
「湯屋はもう完成しているみたいなんです」
「そうかい、じゃあそろそろ紘子を帰らせることになるかね」
「いや、どうでしょう。田中屋からの連絡はどうでしょう」
「音沙汰ないねぇ」
「幾せんせい、紘子さま、根津にお返しして大丈夫でしょうか」
「自分もそれは不安です。仏さんのことがあります」
「ああ、そうだねぇ、私もちょっと嫌な気分だよ」
公安レポートは、今日はお休みだった。指令を待て、という指令なのだろう。
事態が動かないまま、夏の日々が淡々と重ねられていく。
友加の朝の素振りに虎蔵が加わるようになり、体をほぐした後は相対しての練習になった。
幾絵は漢方薬を作りながら紘子に薬と薬草の効能を話して、人に教える喜びを味わっていた。
紘子の絵はどんどん上達した。虎蔵に頼んで小さなすり鉢とすりこぎ、さらしをひと巻手に入れ、夏に生い茂る様々な草を潰しては緑の色を探し求めた。
幾絵が面白がって色止めという手法を教え、触媒について講義する。
友加が押し花を披露して、これにさとが興味を持って、いろいろな花や草の葉を紙に挟んで楽しみ始めた。
五人が夏の日々を送る慈恵院に、その連絡は何気なく運ばれてきた。そして真夏の嵐を引き起こした。
その朝も、友加と虎蔵の稽古、朝食、紘子を中心とした科学と芸術のレッスン、と順調な運びで、穏やかな時が流れていた。
塀の外からは、風鈴の振り売りの声が聞こえている。ちりりん、ちりりんという涼しげな音が慈恵院に届く。
江戸の振り売りは鑑札持ちだけで五千を越えていたという。夏に因んだ振り売りといえば、ところてん、砂糖入りのおいしい水、金魚、風鈴、籠入り鈴虫などだろうか。豆腐、揚げ、各種野菜、鶏肉、鮮魚、干し魚、七味唐辛子などの食品。鼻緒のすげ替え、鋳掛、衣服のほころび直し、障子張り。子どもでもできるものから、技術のいるものまで、ありとあらゆる振り売りが江戸の流通の末端を支えていた。
昼にはまだ時間がある頃、門の脇扉を叩く音と「虎蔵、いるか」という、低い声が届いた。虎蔵がくぐり戸の内から誰何すると、佐竹と名乗る。慎重に開かれたくぐり戸のむこうに、寺社奉行所に憚ったのだろう、髷を町人風に結い変え、藍の夏着に藍の細帯という目立たない形の佐竹の姿があった。驚いたことに、腰の二本差しも置いてきている。
入れてくれるかと問いかけられた。虎蔵は何ごとかと思いながら佐竹を待たせ、幾絵の同意を得に行った。
不審顔ながら、世話になっている人だし、侍の形ではないようだから話を聞いてごらんと言われ、くぐり戸を開いて中に入れた。
「佐竹さま、御用でしたか、すいません。呼んでくださればよろしかったのに」
「ああ、いや、そうではない。すまんな、虎蔵。これだ」
佐竹が懐から紫の絹布に包まれた細長い包みを取り出し、上半分をのぞかせた。
それは、絹の組み紐で美しく飾られた短刀だった。その柄部分に、葵の紋が入っている。
虎蔵は直ちにその場に平伏した。
佐竹は、丁寧に絹布で包みなおして懐にしまった。
「すまんな、騙したようになったな、俺は御庭番を勤めている」
「はっ」
虎蔵は手を上げることができない。この時代の標準仕様だ。
「紘子さまと幾庵殿にお会いしたい。まず、紘子さまに取次ぎを頼む」
「はい」
虎蔵は、後ろ下がりに三歩その場を離れ、裏に回って幾絵に声を掛けた。声は震えている。
「森田先生、来ました。御庭番です」
「あ?」
幾絵はちょっと事態について行けない。
「佐竹さんじゃないのかい?」
「佐竹さんが御庭番だそうです」
「はい~?」
幾絵の声は尻上がり、うーん、と考えこむ。
「ちょっと厨から友加を呼んできておくれ、危険だからね、無礼打ちされないように隠しておこう」
「はい、万一がありますよね、すぐ呼んできます」
友加が呼ばれて、葵のご紋が来ているから、ここに座って絶対に動くな、と命じられた。どうあっても友加だけは守らなくてはならない、いかなる事故も許されはしない。こちらに来てわずか二十日ほど、ほとんど外も歩いたことのない友加は、身分社会の爆弾となりうる。
虎蔵と幾絵の恐ろしく真剣な説明に、友加はおとなしく頷いた。
「道場の修行だと思って正座して瞑想」虎蔵は姉弟子に厳しく命じた。
御庭番登場です
佐竹が虎蔵を引き受けたのは、寺社内にコネができることを歓迎したのですね。身元引受人が珍しいも珍しい、聞いたこともない”女医者”であることも御庭番にとっては重要だった、ということです
それが友加の関係者であることがわかった時には、佐竹は欣喜雀躍したことでしょう
佐竹氏は、佐竹宗三郎という名ですが、さすがにマズいので(吉宗に一字をもらっているので)普段は佐竹宋三郎と名乗っています。立場を明らかにするときだけ、宗の字を使います