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19.紘子は静かに目覚める

 次の日、悪阻に苦しんでいるはずの紘子は、いつもより早く縁に出て、さとが墨を磨るのを待ちかねる様子で中庭の露草を描いた。友加が覗きに行ったと思ったら、長屋に走り、入り口から虎蔵に声を掛ける。

「トラさん、トラさん、紘子さまが露草をお描きになりました。それがすごく上手いの。道具を作ったトラさんに見てもらいたいって」

 虎蔵は、裏からぐるりと回り、廊下から中庭に出て紘子の前に膝をついた。


「お呼びとのことで」

「トラ殿、作っていただいた道具がとても使いやすくて」

 そう言いながら、露草の絵をさとに渡し、さとから虎蔵に手渡された。

 その絵は、まだ朝露を帯びた露草を瑞々しく描き上げていた。

「とても美しいです、露草はこんなに美しかったのですね」

 虎蔵は、紘子が美しいという代わりに露草を褒めたのかもしれないが、友加ががっちり握りつぶした。なんだかザワッとしたのだった。

 潔癖系JKの直感?


「紘子さま、露草の花の汁を絞って、この花の部分に青い色をつけてみてはいかがでしょうか」

「はい、やってみたいです」

「あ、そうですね、中庭の花を集めるのは残念でしょうから、ちょっと裏で集めてきますね、待っててくださいね。意外とたくさんいると思います」

 そう言って、友加は厨に寄ってどんぶりを持つと裏の畑に行き、露草の花を集めて中庭に帰ってきた。

 紘子が見守る前でたくさんの花を指で潰しながら、小さい頃こうして青い色を作って遊んだ話をする。ハンカチを、と言ってもわからないから、手ぬぐいと言い換え、染めて祖母に見せに行ったら、「今度はさらしをあげますから、染めたくなったら言っておいでなさいね」と言われたことまで、楽しく話した。


 紘子は、差し出された液で露草を青く塗り、水で色を調節しながら何度も練習していた。

「紘子さま、薬草の絵をお描きになるのでしょう?それなら、絵の横に押し花を作って張り付けてみたらいかがでしょう。あまり長い期間もたないでしょうから、毎年やり直さなくちゃいけないでしょうけど」

「おや、それはいい考えだね、友加」


 いつの間にか幾絵が来ていて、露草の絵に色をつける紘子を見てその柔らかい表情を嬉しい気持ちで見ていた。

「幾庵さま、緑の色も付けられますか?」

「そうですねぇ、紘子さまがいろいろやってみてはどうでしょう。葉を集めて、磨り潰して、色を塗っては試してみては? 楽しいかもしれませんよ」


 紘子は、生まれてこの方、自分で何かを試してみたことなどなかった。すべてが言われるとおり、されるがままこの日まで生きてきた。

 髪を梳かれ、衣装を着せられ、体を洗われ、手を引かれてきた。自ら何かを望むことなく、目の前に並んだ食事をとり、延べられた布団に横になる人生だった。

 江戸に下り大奥でお仕えすることになっても、ほとんどがお側に控えたり、和歌についてお教えしたり、せいぜい書を練習なさる姫君の袖口が墨で汚れないようにお傍の者に指図する程度の役目を果たしてきた。


 ここに来て紘子は、ほとんど生まれて初めて「ためしてごらんなさい」と言われた。

 幾絵を振り向いて、怪訝そうにしていたが、自分が庭で草を摘んでそれを潰す姿が想像できたのだろう。ほんの先ほど友加が目の前で美しい青色を作ってくれたばかりだったから。

 にっこり笑うと、

「はい、やってみたいと思います」

 と、答えた。



 恒例午後の秘密会議が開催されている


「今日は何だろうね」

 今日の栄養補給食は、虎蔵がシーフードカレー、シーザーサラダ、リンゴジュース。

 友加がグラタン、フルーツサラダ、プリン。幾絵が納豆サラダそば、ごま豆腐、みかん入りミルクゼリーだった。

 補給食の後片付けをして、ほうじ茶タイムになった。



 今日は公安からのレポートがあり、情報共有タイムとなった。


「紘子が竹姫の侍女のひとりで、吉宗の子を身ごもって大奥から逃がされたとしたら、集団全部共犯、指揮は吉宗、紘子には必ず警護が付いている、という点に関しては、公安でも異議が出なかったみたいだね。

 で、これを前提とすると、友加が紘子を助けた時、当然警護はついていた、と」


「あの、それって、わたし必要なかった、余計なお世話だったってことですか?」

「いや、そういうことじゃないだろう、多分。

 トラの出したレポートに、佐竹の旦那を大声で呼んだ、どこかの丁稚のことが書いてあったらしいね」

「はい、佐竹の旦那は奉行所の内々の命で、木戸が開いたら根津の寮から権現様の辺りを見回ることになっていたらしいんです。佐竹の旦那からは何とも、ですけど、小者の他にもこのあたりの岡っ引きがお供することになってまして。下っ引きが何人かうろうろしてましたし」


「あの時、佐竹さまやトラさんたちが走ってきたのは、偶然じゃなかったのですね」

「友加さんは不本意かもしれませんけど」

「いえ」

 楽しかった、という言葉は飲み込んだ。

「友加、本番はまだこの後に来るのかもしれないよ。

 あれは紘子と知り合うためには、絶好のタイミングだったじゃないか」

 トラがポンと左の拳を右手で叩いた。

「あ、なるほど、そうかもしれません」



「レポートによるとね、私たちの身元はとっくに不審者扱いだろうって」

「はあ、それはそうでしょうねぇ」

 友加はついて行けない。


「あの、身元は不審者って?」

「ああ、つまりね、私たちがどこから来たか、たとえ御庭番でもわかるわけないだろう」

「はい」

「吉宗なら、紘子を守ることになっている私たちの身元を調べる。でもわかるはずない。一応さとから事情を聞いただろうけどねぇ、わけわからないだろう?友加がどこから来たかさえね。

 ましておんな医者の幾庵ともなれば。トラも私が身元引受人だしねぇ。

 公安は、近いうちに誰かが私の周辺を探りに患者として来るだろうと言っているね」

「ああ、なるほど、ここは尼寺の別院でめったに人が入れませんもんね」


 慈恵院の塀の外から、金魚売りの声が届く。

「きんぎょ~、え~、きんぎょ、あかーい、金魚だよー」



「さて、それじゃ今日の指令だね」

「はーい」

「こちらに残ると困るものを送り返す。

 友加、竹刀ね。鍔のところの加工がまずいって」

「ええ~~、手放すんですか」

「いや、預けるだけだからね、帰ったら、(たぶん)返してもらえるから」

「トラ、スーツ。下着まで全部だよ。身分証明書からティッシュまで全部、あと靴や鍵ね」

「はあ」

「わたしは、こっちに来た時着てたもの全部だね、あーあ。

 はい、準備はじめ!」


 要求されたものはジップパックに入れられ、桂の課長室に押し込まれた。


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