13.令和三人の秘密会議
年表を頼りに、3人のいる今現在がいつなのかを推理していく話です
主従と友加が慈恵院に移って三日目。
紘子は午前中をゆったりと慈恵院で過ごし、「幾庵さま」と幾絵を慕い、男女の別なく修業を積むという道場の話を聞きたがった。幾絵もこれに応え、この時代でできること、特に清潔の保持と栄養の摂取が人に及ぼす影響についてゆっくりと話した。この先紘子がどのような人生を歩むかわからないが、仮に影響力の強い立場に立つことがあるなら、紘子の特徴でもある柔らかな人当たりがいい方向に働いて、命を救うこともあるかもしれない。幾絵にとってそれは医者冥利でもあった。
午後からは本院の方に呼ばれて行き、庵主と母君とともに京の思い出話や江戸での生活を語り合ってのどかに過ごしていた。お互いに身分を明かすことはできないのだが、そこは遠回しに匂わせるという社交上の高等技術がものをいい、以心伝心の公家ライフを心ゆくまで堪能している紘子主従と庵主母子ではあった。
その日の午後は、幾絵、虎蔵、友加の会議に充てられた。
「トラ、これ読んで」
「はい」
「友加はこっちね」
「はい」
中谷が渡されたのは公安からの文書で、推定できる限りの時代背景と起こりうる事件について確率が高い順に列記されていた。
友加に渡されたのは国東正嗣からの回答文書と、桂からの返事だった。
トラは思いっきり顔をしかめ、友加は半泣きになった。
「さーて、どこからいくかね」
「幾せんせい、わたし泣いてもいいですか」
「いいよ」
友加は手紙を抱きしめて、静かに涙を流した。祖父が師匠としてアドバイスしてくれたことも、そのアドバイスで友加殿と呼んでくれたことも、殺せないから思いっきりやりなさいと言ってくれたことも、すべてが嬉しかった。母が「帰ってきて」と呼びかけてくれたことも、すぐ近くの根津神社へおまいりすると言ってくれたことも、祖母がお役目を果たしなさいと言ってくれたことも。
誰にも叱られず、誰にも非難されず、ただ自分を応援してくれる家族がいる。
「トラ、おまえ家族は?」
「はい、自分は独身で、父母は健在ですが連絡はほとんどありません。息子がケーサツに勤めているというので、身を慎んでくれているようです。姉がいますけど、仕事でアメリカに行っているときにコロナで、どうせ帰れないしついでだとか言って、あっちでカレシの日系アメリカ人と結婚してしまいました」
「おやまあ」
「はあ、サッパリした気性なんです。前向きってんですか?
毎日のようにメールでトランプの悪口を言ってきてました。嫌いらしくて」
「なるほどねぇ」
友加が落ち着くのを見計らって、本日の重要会議が始まった。
「それじゃあ、まず、ここが今、何年か特定しようか。享保なのは確かだから」
「はい、吉宗が将軍で、南町奉行が大岡忠相ですから、その点は間違いないでしょう」
公安が準備してくれた資料が現実に対して火を噴く。これがタイムリープならば、過去を変えないように慎重に行動しなくては、タイムパラドックスが発生して帰れなくなるかもしれない。
「この資料をじっくり読んだんだけどね、さすが公安だよねぇ、こんなありえない事態でもなんとか指揮を執ろうとしてくれているよ。
まず、この現象は、タイムリープと並行世界という可能性があるらしいねぇ、訳わかんないけどねぇ」
「幾せんせい、わたしが来るまで母の課長室に入れなかった、空気が動かない感じだったと言ってましたよね」
「そうだ」
「なら、リープでいいのじゃないでしょうか。並行世界ってのは、時間軸は同じはずです。少なくとも三人の人間が同時に跳んで、違う時間帯に送られるということはないと思います」
「自分もそう思います。この半年、どっちかな、とかなり考えましたが、リープだと思います」
「うーん、私はよくわからないんだよね、並行世界ってのは、つまり?」
「SF的な仮想で、ある人が分かれ道を右に行くか左に行くかでその先の未来は変わるから、人の選択の数だけ世界がある、というような考え方です」
「ってことは、世界は数限りなく存在するってこと?」
「そうなります。この考え方を取ると、時間軸はズレても大きくは動きません。ですから、森田先生は二年前に自分は半年前に令和側から消えているはずなんです」
「だが、現実には同じ日に消えてるから、それはない、ってことだね」
「そうです」
「移送された時にずれた、ってことはないのかい?」
「あるかもしれません、確かに。経験者による記録がないのでそこはわかりません」
「でも、おかしくないですか? 並行世界で一方は令和、もう一方は享保ですよ。三百年くらいズレてますよね、そこに令和の歴史に残る吉宗公と大岡さまが居るっていうのは」
「うん、なるほど」
しばし考えたが、あまり有益ではないと見定めた。
「わかんないよね、だから、安全を取って、タイムリープ、つまり、私たちは過去の世界に送られたと仮定しておこう。つまり、この世界の少なくとも紙に書かれている歴史を変えたらまずいってことで、それでいいかい」
「はい」
「わかりました」
「じゃあ、まず、今の西暦だね」
三人は公安が準備してくれた資料を見ながら話し合いを続けた。
「吉宗が将軍位を継いだのは、千七百十六(1716)年だね。四月三十日に七代家継が亡くなり、八月十三日に将軍宣下、同じ日に年号が正徳から享保に改められている。
吉宗が将軍を引退するのが四十五(1745)年か、でもこっちは南町奉行の方で制限できそうだね。
大岡忠相が南町奉行を勤めるのは、えーっと、十七年、(1717)享保二年二月から、三十六年(1736)の八月までだから、今は、十八年(1718)から三十六年(1736)のあいだのどこかの七月だねぇ」
「結構長いですね」
「え~、享保から寛保に変わるのが四十二年(1742)だから、やっぱり年号は享保でいいみたいですね」
「友加、日本史で享保、何か覚えてるかい?」
「え~~~っと。享保の改革?」
「う~ん、江戸時代と言えば改革だもんね、覚えやすいよねぇ」
「う~~んと、小石川養生所、貨幣の改鋳、人口調査、町火消」
「そうだねぇ、このあたりに書いてあるねぇ」
「天皇の御代で区別できませんかね。三十五年、享保二十年までは中御門天皇ですけど」
「いや~、ムリじゃないかね、歴史上の名前は諡号だろう? 天皇でおられる間は天皇さまとしか言わないからね」
「そりゃそうか、この世にただひとりの人だもんね、いや、この時代なら神さまの子孫?」
「ま、そんなかんじ?」
「とりあえずこっちでは絞れないんで、十八年間でいいですかね。
千七百十七年(1717)から、三十六年(1736)のうちのどこかの七月二十三日ですよねぇ、旧暦だから、こっちの日付は違いますけどねぇ」
「ああ、面倒だねぇ、旧暦か。合わせるのが面倒。だいたいこの年表は、太陽暦で計算しなおしてあんだろうねぇ、マジなとこ?」
「まあ、公安に丸投げで」
「あ、その手があるね、うん。こっちじゃパソコンも使えないもん、やってもらおう、うん」
気を取り直して、もう少し絞り込めないか試してみる。
「え~、確か、江戸は大火が多い土地柄でしたよね。風が強い平野部で、木造建築ですから」
「ああ、そうだね。そうか、火事と言えば」
「なにか思い当たりますか?」
「確か、今年に入って冬に上野の寛永寺が焼けたよ。トラも覚えているだろう?」
「えー、まだよくわかってなくて混乱していたころでしたからねぇ、火事多いですし。
上野の寛永寺ですね、えっと、寛永寺は享保五年と六年に焼けていますね。五年の方だと家光の廟が焼けています。六年だと仁王門と伝通院ですね」
「確かにねぇ、江戸の代名詞扱いも無理もないよねぇ。寛永寺は二年連続だったんだねぇ」
「連続ですねぇ。寛永寺なら、今の上野公園のところですよね」
「近いですね」
「ですね」
「家光の廟が焼けたとなると、さすがにその一回だけだろうねぇ、しかし、外に出るかね、その情報」
「そうですねぇ、どうでしょう」
「うーん、少なくとも私は知らないねぇ、寛永寺は天台だったかな、庵主様にそっときいてみるか、いや、無駄に刺激しないほうがいいねぇ」
「あ、享保五、二十年八月に、町火消が、いろは組になったって書いてあります。今、いろはですから、とすると、享保五年より前は切り捨てていいですね。
これで、二十一年から三十六年の十五年間に絞れます」
う~ん、そうか、いろはなのか、と、友加はまじめな顔を崩さないようにこっそり喜んだ。め組の棟梁はもちろん友加のアイドルだ。
「あ、享保九年閏四月と書いてありますねぇ、暦修正はしてないです」
「やっぱりかね、ああ、面倒だねぇ」
ここで友加がめ組からの連想でヒットを取った。
「吉宗と言えば暴れん坊、暴れん坊と言えば目安箱なんですけど、目安箱設置っていつでしょう」
「あ、そうですそうです、吉宗と言えば目安箱ですよ、ハイ。ちょっと待ってください。
目安箱設置は、享保六、千七百二十一年(1721)、八月。竜口の評定所前に設置とあります」
「トラ、今あるのかい、目安箱」
「いえ、ありません。ないと思います」
「それじゃあ決まりだねぇ、町火消が二十年八月、それより後。目安箱が二十一年八月、それより前の七月は一回しかない。今は千七百二十一年(1721)七月、享保六年だ」
用語説明:旧暦(太陰太陽暦)
日本でも、明治時代まで太陰太陽暦が使われていました。太陰とは、太陽の対語で、月を示します。
月は地球の衛星で、地球を周回していますが、当然ながら太陽光を受けるため、太陽、地球、月の位置によって、満月、新月など、「地球から見ると形が変わる」ことになります。
潮、つまり満潮と干潮の周期も月の位置と同調しているので、海が身近にある民にはすごく理解しやすい
月という衛星が地球の引力に影響されて地球を周回していると同時に、地球の海面は月の引力に影響されていると考えるとわかりやすいでしょうか
太陽の「地球から見た形」は変わりませんので、わかりやすく月を暦にする文化圏もあります。現在でもイスラム圏では太陰暦を採用しています
月が(地球から見た)形を変えて元の形に戻るまでの期間は、地球時間でおよそ29.5日。つまり、29.5x12で、1年は354日ということに
地球が太陽の周りを1周するのはおよそ365.2日で、0.2日のズレを4年に1回(さらに400年に3回)、調整しますよね(私たちが普通に経験するのは2月が4年に1回28日から29日になる閏年)
つまり、太陰暦を使っていると、季節と暦が1年に付き11日ズレてしまいます
そこでいろいろと小細工して、閏月を入れたりすると、1年が13カ月になったりとか、まあそう言うのを太陰太陽暦と呼ぶわけですが、調整の仕方は色々、いろいろデス
昔なら神官とか、今なら天文学者が計算してくれます、ありがた~い
純粋太陰暦というのもあります。これを使うと季節と暦がどーんどんズレまして、3年で1カ月以上のずれが出ます。およそ33年周期で再び季節と重なるようです
ちなみに、イスラム教にはラマダン月という断食月がありますが、イスラム教徒 (学者さん、男性、当時40歳くらい、妻はイギリス人で教育はイギリスで受けた)から直接聞いた話によると、冬にラマダンが来るときはまだしも、真夏に来ると死ぬかと思うそうです。でも、宗教行事なのでやむを得ない、とのことでした
ちょっと面白いと思うのは、イスラム世界とキリスト教世界が接触して商取引契約を交わした時に何が起こりそうかというところです
今なら暦に違いがあることは教育されて知っていますが、西暦7世紀、8世紀ごろだったらどうでしょう。ちょうどイベリア半島にイスラム教徒とキリスト教徒がいたのですが、暦が異なる双方が、互いに暦が異なり、一カ月、一年の長さが違うことに気が付かずに契約を結んだらどうなるでしょう。
1年で11日も違うのだから、契約を達成すべき日が異なるのは当然ですね。
ふたつの文化が上手に混ざり合うことができず、レコンキスタという長い戦いが続いたのには、こんな理由もあったかもしれません