12.警備と疑惑
虎蔵は、三人を送り届けるとふたたび慈恵院で幾絵と打ち合わせた。幾絵はさと宛てに文を書き、虎蔵はそれを持って根津の寮にあらわれた。さとに文を渡し、打ち合わせを終えると、さとはおっとりとした様子を保ちながら紘子にいきさつを告げた。次いで下働きの老夫婦にトラという者を中間として一時的に雇ったことを告げた。いわゆる渡り中間、期間を決めて要人の警護や雑用に働く者を言う。
夕方、虎蔵は大風呂敷に包んだ蚊帳と夏布団を背負って、この日四度目、寮に現れた。布団を運び入れ、寮の間取りを確認すると、さと、友加とともに警備計画を話し合った。
昨夜、友加は一部屋をもらってそこで就寝した。南から紘子、さと、友加の順に部屋が並ぶ。が、時は梅雨明けの夏、庭に蚊遣りを焚き、雨戸も立てず明かり障子を薄く開け、釣り蚊帳の中で眠っている。虎蔵からみれば言語道断だ。
部屋の格だのなんだの言い募ろうとするさとを説得して、安全第一の態勢をとるのに虎蔵は大汗をかいた。結局、南からさと、友加と紘子、北の部屋に虎蔵が控えることでなんとか落ち着いた。南が一番危ないのだから、虎蔵が控えたかったのだが、これはどうしてもさとが譲らなかった。その代わりに真ん中の部屋の南側に友加が体で紘子を庇うように、南を向いて横になる。そして、全体警備を兼ねて虎蔵が北の部屋となった。警護対象の紘子を、友加と虎蔵で開口部のある左右から護る。
虎蔵としては上司の妹を盾代わりに使うのは痛恨ではあったが、まさか男性である自分が同じ部屋で警備することもできず、友加の腕を信じるしかなかった。
虎蔵は、その日から、木戸が閉まる前に寮に来て、木戸が開いたら慈恵院に帰る生活を続けることになった。公安の担当者に頼みこんでスタミナドリンクを送ってもらおうと、虎蔵は手順を反芻した。
三日ほどして、ありがたいことに夜間の強襲もないまま、ふたたび紘子主従が寺を訪ねることになった。厨の北に湯を使うための湯家を建てることになったのだ。建築期間中、ふたりは慈恵院で預かる運びとなった。
妊婦が夏の間清潔に生活するためには、ぜひ風呂が欲しい。だが、江戸は大火の多い都市で、個人で風呂を持つ許可はなかなか出ない。そこで次善の策として、厨で沸かした湯を湯家に置いた大きな桶に運び、そこで腰まで湯に浸かれるように湯家を建てることにした。
湯家は、四本の柱に、壁、床、屋根は板張り、床下に割石を敷く程度の簡易な構造だ。建築期間は二十日ほどだろうか。
虎蔵はしばらくゆっくり眠れることになったのだが、手配は大変だった。三日間、昼間は手配に走り回り、夜はほとんど寝ずの番でおつかれ限界だったが、四課の刑事さんの体力はさすがだった。
最初の寝ずの番をした朝、虎蔵は慈恵院の長屋に帰って、三時間ほど睡眠をとると、髪結いと銭湯に行って身なりを整え、寮の持ち主を探すところから始めた。
「森田先生、寮の持ち主がわかりました」
「誰だい」
「はい、日本橋の両替商、田中屋というところで」
「紘子さまとはどういう関係なんだい?」
「はい、それが、全く無関係で」
「なんだって」
「はい、根津の寮は確かに田中の所有です。ただ、入手してまだわずか1か月ほど、手入れをして、下働きの老夫婦を入れただけで、空けてあったようなんです。それで、紘子さまとさと殿が五日ほど前におふたりでおいでになった、ってことで」
「うーん、手配は誰だったんだい?」
「それがわかりません。ふたりともそのあたりの駕篭に乗って来たらしいんですが、その駕篭を担いだ人足も見つかりませんで」
「へぇ、そりゃまた」
「はい、やはり普通ではないようで」
「それで、田中屋とはもう交渉したかい?」
「いえ、これからです。先生、十両ほど準備できますか、一応持って行きます」
「ああ、いいよ」
幾絵が薬箪笥の奥から紙に包んだ十両を取り出して虎蔵に渡した。虎蔵は、それを風呂敷に包み、着物の下、さらしを巻いた上にしっかりと縛り付けた。
「それでは先生、行って参ります」
「ああ、気をつけて行くんだよ」
「はい、仕事柄まあ、何とかなると思っています」
「あ、これを飲んでお行き」
そう言って、幾絵は桂に差し入れしてもらったドリンク剤を渡した。思わず腰に手を当てて、半年ぶりのドリンク剤をぐっと飲みほした虎蔵は、
「生き返ります、ありがとうございます」
と言って、小走りで出て行った。
夕方には虎蔵は何やら考え込みながら慈恵院に帰り着いた。その夜も根津の寮で寝ずの番だから、もっと早く帰ってひと眠りしたいところだったろうに。
「森田先生、どうも様子がおかしいです。これ一旦お返しします」
そう言いながら十両を風呂敷包みのまま返した。幾絵は黙って受け取り、虎蔵の説明を待った。
「まあ、用心のために日本橋界隈の岡っ引きに聞いてみまして。一見で断られそうなら佐竹の旦那のご紹介をいただいて田中屋につなぎをつけてもらおうとしたんですけど」
「うん」
「どうも固いんですよ。主人は紀州から来たらしくて、両替屋としては小ぶりで商いも小さいですが、信用のあるまっとうな取引をしています。ただ、出入りは少なくて、女中もおらず、仲介してくれる人間がいないと戸口から中に入るのが難しいほどで」
「なるほどねぇ、訳ありかい」
「はい、自分が髷も結わない小者のせいですかね、どうもうまくいかないんです」
「そうだねぇ、商売相手がお武家さまだとねぇ、慎重に相手を選ぶし、店でうっかり他の方と鉢合わせも困るだろうねぇ、顔を知られたくない人もいるかもしれないしねぇ」
幾絵はしばらく考えたが、他の方法を選ぶことにした、
「よし、わかったよ。苦労させたね、私が文を書くよ。
根津の寮にお住いの紘子さまと、庵主の母君が知り合いになって、庵主様も頼りになさっている、と。まあ、嘘はないよね。
それで、季節柄、紘子さまがご不自由と聞いたので、湯殿を作りたいが湯殿は火を使うので許可が出ない。せめて湯家を建てて、たらいで湯を使えるようにしてさしあげたい、と慈恵院の幾庵が言っている、と。これは完全に真実だからね。
許可さえいただければ、費用こちら持ちで職人の手配もするからどうぞお願いする、と、ま、こんな内容でどうかね」
「はい、お手数をおかけしまして申し訳ありません」
「この文で回答が来れば、田中屋は紘子さまのおめでたを知っているってことさ、それがわかるだけでも大成功だろ」
「はい、面目次第もありません」
「いやいや、私たちも随分訳アリだけどね、紘子さまも訳あり、多分、田中屋もそうなんだろうね、距離感がつかめないまま近寄りすぎないほうがいいってことなんだろうねぇ」
文は幾庵のコネを使って、隠居した老婦人の添え書きをもらい、田中屋に届けられた。
田中屋からは、ほとんど折り返しで返事が来た。
庵主と幾庵に気配りの礼を述べ、配慮が行き届かなかったことを詫び、さっそく田中屋で手配するという内容だった。
この、まるで待っていたような回答に、幾絵と虎蔵は頭を傾げた。工事期間中、紘子主従を預かることも書いてはおいたが、それについて別に否も諾もなかった。考えてみれば家主が関わるべき内容でもないから、それでいいのかもしれなかった。
用語説明:木戸
江戸の町には、木戸というものがありました。橋のたもととか、町内の区切りの道路上両側に柱を建てて戸を立て、人が往来できないようにしたものです
木戸番という役割の人がいて、明六つに開き、夜四つに閉める決まりでした
この時代の時間は、日が出ている時間を6等分(子の刻、丑、寅、卯、辰、巳と名前がついていた)、日没から夜明けまでの時間を6等分(午、未、申、酉、戌、亥)してお寺の鐘を搗いて時間を知らせるので、季節によって時間の長さが違います
明六つというと、夏至で午前4時ごろ、冬至頃なら午前6時ごろでしょうか。
暮六つなら日の入りの時間ですが、さすがに日の入りと同時に木戸を閉めることはできませんので、暮四つとなっていました。大体午後9時半から10時半過ぎごろのようです。
*ぎりぎり木戸閉めに間に合わなかった誰かが、木戸番にちょっと小銭を渡して閉めかけた木戸の隙間から通してもらう、とかありそうじゃないですか? 推理小説ならそれがアリバイになるかも! わくわく
あ、そうだ、木戸の時間に間に合わないように客を引き留める水茶屋のおねえさん(ねぇ、いいじゃなですか、だ・ん・な、もう少しくらいなら間に合いますよ、まだ日が落ちるには早いですよぉ、なーんちゃって)とかも割といいネタになりそうな~、木戸を通れなくなれば帰れないわけで、泊まってもらえるもんね*
1刻はだーいーたーい2時間(24時間を12に分けるので。季節によって異なる)、半刻は1時間です。日の長さに人間が合わせているカンジ
なぜ木戸があるかというと、戦時への備えと、平時では犯罪防止目的だったとのこと。