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11.紘子

 紘子とさとが、侍女に連れられて別院に帰ってきた。紘子はずいぶんと明るい顔つきになっている。

「お疲れさまにございました、庵主さまはいかがでしたか」

 幾絵の斜め後ろに友加が座る。虎蔵はとっくに姿を消している。幾絵の前に座布団を当てて紘子がゆったりと座り、さとが少し後ろに控える。

「幾庵さま、ありがとうございました。ありがたいことにございました」

「お母君にも?」

「はい、お言葉をいただきました。よろしゅうにとの仰せで、ただお受けしてまいりました」

「そうでしたか、よろしゅうにと」

「はい」

「わかりました。紘子さま、間をあまり置かず、またおいでいただけますか」

「はい」


 幾絵は、今度はさとに話しかける。

「さと殿、友加はわが友の娘。剣の腕はよいものの、まだまだ心が幼く、至らぬことばかりです。ご縁があって紘子さまのお側においていただくことになりましたが、さと殿のお導きなくてはお勤め参らぬことと思います。どうぞ幾重にもよろしゅうに」

 手をついて頼むと、さともまた手をつき、丁寧に受けた。

「ありがたきお申し出にございます。故あって、主従と老いた下仕えだけで寮におります。到底お守りできないかと不安を囲うておりました。

 国東さまは、お若いものの礼儀の心得もおありで、剣の腕は言うまでもございません。

 あるじの御為、どうぞご助力のほどをお願いいたします」

 こうして友加は、紘子の護衛となった。


 さとは、幾絵が書いた手紙と、それを送るための金子の包みを受け取り、さとのふみとともに紘子の里方へと送ることも了承した。紘子の本当の身元は伏せられているから、すべての判断をさとに任せることになる。


 さらに幾絵は紘子に話しかけた。

「奥方さま、悪阻はありませんか」

「はい、いまだありませぬ」

 さとは驚いて紘子を見やり、友加は医者ってすごい、と感動した。こんなに簡単に、あっさり質問して、ストレートな回答を得るなんて。幾せんせいを尊敬の眼で見る。

「私は医者です。江戸ではただひとりのおんな医者ですが、私が修業を積んだ場所では、女も男も区別なく同じ道場で学びました。ですので、国では妊婦やお産は、産婆のみならず女医が見ることもできました。信用していただけるでしょうか」

「幾庵さま、庵主さまよりご信頼申しあげて何によらず打ち明けて話すようにとのお言葉をいただきました」

 幾絵はにっこりとした。ほほえむと優しさがにじみ出る。


「それでは、まず、妊婦の心得として教えられたことを伝授いたしましょう」

 それから幾絵は、現代日本で普通に妊婦に教えられるいくつかの心得を話した。清潔を保つこと、栄養を取ること、体を動かすこと、悪阻になったら自然なこととして受け入れることなど、友加にはごく普通の事と思われたが、やはり体を清めることが問題になりそうだった。

 幾絵は、髪が抜けることもあるが驚かないようにとか、シジミ汁や青菜、魚や果物を満遍なく食べなさいとか、丁寧にさとに教えた。


 随分リラックスした様子になった紘子に、ふと幾絵が注意した。

「紘子さま、お子がお生まれになったら、首から下におしろいを塗るのはおやめになってください、きっとお守りになってください」

「はい」

 紘子は医師のいうことだからとただ頷いたが、さとは理由を聞いた。

「幾庵さま、なんぞ理由ゆえあってのおおせでしょうか」

「そうです。憚りあるやもしれず、大きな声では申せません。

 赤子がお乳母から乳をもらうとき、おしろいを舐めることがあります。おしろいが指について、それを舐めることもあります。舐めたおしろいが赤子の命を取ることがあります。私の国では広く知られておりまして、子に乳を与える母のなかには化粧を全くせぬ者もおります。赤子は生きる力が大人ほどはありませぬゆえ、何事も慎重にしております」

 さとが青ざめた。思いあたることがたくさんあるに違いなかった。

「口外無用に願います。これが広がると、救える命もありますが、逆に責めを負わされる者も多数出るやもしれませぬ」

 紘子もさとも深く頷いた。


 昼が近くなり、虎蔵が駕篭を準備して主従と友加を寮へと送り届けることになった。

 別院の門外まで幾絵が見送りに出て、

「さと殿、この者は、トラとお呼びください。本名は中谷虎蔵と申します。別院で下男をしながら、佐竹さまの下で小者を勤めさせていただいております。

 私の使いをさせますので、何事によらず便利にお使いください」

 割と身も蓋もない紹介だが、さとは喜んで受けた。

「心強く存じます。トラ殿、どうぞよしなに」

 虎蔵が苗字持ちであることを知ったため、軽く身をかがめさえしたもので、虎蔵はその場に平伏して承ることになった。

「はは、下賤げせんやっこにござりますが、森田さまのご指導のもと、精一杯お勤めさせていただきます。どうぞトラとお呼びくださり、何につけご指示いただけますようお願いいたします」

 とまあ、虎蔵もこの身分社会に半年も浸らされただけのことはあった。


用語説明:小者

使用人、お使いというほどの意味です

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