10.森田幾絵・楠田桂の接触で令和世界に届いた手紙とその返事
友加から楠田桂へ
おかあさんへ
おかあさん、心配かけてごめんね。
鞍馬の道場から根津神社の杜にとばされたみたい。最初、時代劇の撮影だと思って走って行ったら、女の人が襲われかけてて、殺気に反応しちゃった。とても芝居ってレベルじゃなかった。
女の人はおめでたみたいなんだ。どこかの身分の高い人だと思う。
和にいの部下の人で、古谷虎蔵って人と、幾先生と合流。細かいことはまだわかんないから、幾先生に任せる。わたしは、襲われかけてた紘子さまの護衛をしてます。幾先生が真剣を用意してくれたけど、多分斬る覚悟はできないと思う。峰打ちしかできなくて、紘子さまを守り切れなかったら困るかな、おじじさまの助言が欲しいかも。
おかあさん、幾先生は帰れるって言ってます。何かやらなくちゃなんないことがあって、呼ばれたんじゃないかって。済んだら帰してもらえるよって。わたしのやる仕事が何かわかんないけど、幾先生が言うようにそのために呼ばれたのなら、やれることだから私なんだと思う。
夏休みが終わるまでに帰りたいな、どうかな? 友加
返信:桂から友加へ
友加、なかなか凄いことになってるわね。鑑識は箝口令。書類は禁閲覧になりそう。
私はいつも観察するほうで、当事者になったことがないところが弱点だったけど、これで私も被害者の立場ってのがイヤって程わかるようになったわ。友加、生きて帰ってきて。
手紙は全部宛先に送るし、返事が来たら幾の手に渡るようにする。友加のやるべき仕事が達成できることを祈っている。今日は根津神社にお参りに行く。 桂
友加から国東正嗣へ
おじじさま、友加です。ご心配おかけしてすいません。
用件だけうかがいます。
おじじさま、刀と脇差を持ち歩くことになりました。重いです。
ひとを斬ることになった時、できるでしょうか。
正当防衛や緊急避難なら銃を撃つことも許されていることは知っています。古谷刑事が今仕えている同心の佐竹さんも腰に刀を差しているし、こちらでは常識だと思いますが、いざとなって、ためらって紘子さまをお守りできなかったらと思うと不安です。
おじじさまだけが頼りです。わたしはどうすればいいでしょう。 友加
返信:正嗣・品子夫婦から友加へ
お答え候
斬り候ふとも、必ず仕留める要なし。あるいは利き手を落とし、目を潰し、足に刀を入れるとも、命に別条なし。
試合にては許されざるも、袂に七味の包みを準備するも一考。実戦なれば、手が地面に触れたおり、土を握り目を狙いて投げるもよし。脛を狙いて一撃、あるいは蹴るもためらい給うな。
命のやりとりなれば、初手から殺しに行くは悪手にて、無力化を旨とすべし。痛みを与うるのみにて、無力化は叶い候。
滅多なことでは人体を切り捨てることかなわぬ。
友加殿の腕ではいまだ足らぬ、心配召さるな。 正嗣
友加さん、気をしっかり持って御用を勤めるのですよ。
帰りを待っています。 品子
古谷虎蔵から国東和兄へ
班長、すいません。うっかり飛ばされました。非常識なことに巻き込まれて申し訳ありません。刑事としてあるまじきことです。
私が飛ばされたのは、谷中の寺で、国東友加さんが来る半年ほど前でした。
桜田門の鑑識課、森田幾絵さんに保護されました。森田さんが、谷中の尼寺の別院、慈恵院という所で医者をやっておられましたので、その口添えで慈恵院の外向きの御遣いをする下男として雇われました。
森田先生は二年前に飛ばされたそうです。こちらには女医がいないので、庵主様の母上のために御仏が遣わしてくださったということになっています。寺側も訳ありだとは思っているでしょうが、武家の若い娘さんや、更年期の奥方様の治療を密かに請け負うことで尼寺にも寄進が増え、三方めでたく収まっている状態です。
周囲の状態がわかるのに二カ月ほどかかりました。今は多分享保年間です。江戸時代の年表を準備してもらえれば正確にわかると思います。
森田先生といろいろ相談して、現地情報を収集しようということになりました。森田先生が患者さんのコネを使ってくださって、南町奉行所の佐竹という同心の小者に入りました。
森田先生の甥ということになっていて、慈恵院に住んで本院と別院の外仕事をこなしながら、そこから役宅に通って佐竹同心が外回りをするときに後をついて回っています。
私の生活は、衣食住、すべて森田先生にお世話になっております。それどころか、佐竹同心の小者にしていただくにもかなりの小判を積んでいただきました。
友加さんは、驚くほど冷静に対処しておられます。今の悩みは、飛ばされたことでも、ここが江戸時代だということでもなく、人に対して真剣を振ることのようです。殺してしまったら殺人者になると悩んでおられます。師匠であられる国東さんのおじいさんに手紙で教えを乞うと言っておられました。食べ物にもすっとなじまれ、さすがに京都の古い家のお嬢さんですね、たいしたものです。
森田先生は、なにか事件が起こってそれを三人で解決すれば帰れるのではないかと言っておられますが、私はどうしていいのかわかりません。とりあえず毎日用心して生活するのみです。
班長をはじめ、皆さんには大変ご面倒をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
古谷虎蔵
返信:国東和兄から古谷虎蔵へ
古谷、こちらでは誘拐の扱いになりかけたが、常識外で府警の管轄を越える。広域で警視庁になるかと思ったが、結局法務省の公安が掌握している。おまえの扱いは長期出張にしてある。全署箝口令だ。
状況は適宜報告せよ。江戸の御触書という文書集があるそうだ。他も含めて公安が準備して送る。
わかっていると思うが、友加は十七歳、未成年だ。わかってるな。 国東和兄
すべての文書が閲覧されてコピーされることは全員が理解しているので、私事は“極力”排除されている。享保側から来た文書は、指紋その他詳細に検査された後、コピーを取って、原本は厳重に保管された。
鑑識は、脅迫下にはない、自由意思で書かれていると判定した。
これが誘拐だとすれば、ご府内に相当する大規模敷地に江戸を作りだし、人を配置しなくてはならない。それを二年間だ。日本語を話す人を確保するだけでも大変なのに到底実現できないだろう。高校生の友加ならともかく、医師しかも桜田門の鑑識に在職する森田、刑事の中谷を同時に薬や催眠術でどうこうすることも困難である、いや不可能と言っていい。
当事者および関係者は箝口令が有効なメンバーがほとんどで、それ以外も警察関係者の家族だから、公安としては運が良かった。不自然な現象ではあるが、「次があると仮定して」記録を取り続け、「現時点で適正と思われる」サポートを続けることになる。
鳩首談合状態の会議を何度か経て、サポート班ができた。
国東宗吾は被害者の関係者なので、事情聴取を受けた後は蚊帳の外である。
この時海外に出ておらず、東京にいた国東宗吾は、じっくりと考えた末に休暇申請をした。まるまる四十日の休暇申請は、国東がいつでも招集できる場所にいるという条件を(暗に)つけて、承認された。
宗吾は、その間、お茶の水にある連れ合いのマンションに居を移した。こんなに長く一緒に住むのは初めてだ。桂のマンションは防諜が整っているから、新しいパソコンを買ってそれでできる範囲の情報収集をしながら、桂の生活サポートを楽しむことにした。この男は、料理・洗濯・アイロン、なんでもできる。京都を離れてからひとり暮らしが通常運転なのだ。
宗吾がマンションに居る生活はどうも落ち着きが悪い桂ではあったが、とりあえず娘友加の緊急事態だ、あれこれ言っている場合ではなかった。一週間、二週間と一緒に暮らす時間が積み重なり、そのうち自分たちがふたりとも定年退職したらどうなるのかと、思いがけないことを考えるようにもなった。
楠田桂は、国東宗吾の子を授かった時、籍を入れるかどうか大変に迷った。日本の戸籍法では、生まれた子は親の姓を名乗るのだが、婚姻届けを出さなければ生まれる子の姓は楠田となる。
それを考えて籍を入れれば、楠田の姓が国東になって、それまで楠田桂として積んできたキャリアが失われる可能性がある。桂が処理してきた書類に書かれている楠田桂の氏名をすべて国東桂に変えることはできないからだ。
考えて、逃げ道を見つけた。結婚届には男女両性が結婚する意志が必要だが、離婚届には、離婚する意志は必要なく、離婚届を出す意思があればいい。そこで、出産前休暇に入ったところで結婚届を出し、出産して仕事に戻る前に離婚届を出す、という技を使ったらどうかと思ったのだ。そこで法律家の友達に聞いてみれば、割とよく使われている手法だという。
その方法を三度使うのもどうかとは思ったが、別に問題はなかった。言い方によってはバツ三だが、相手が同じ時にはどう言うのだろう? 単に“事実婚”でいいらしい。