1.言ってみたいセリフ その1:そこへ直れ下郎ども!
作者は、時代劇ファンというわけではありませんが、小学生の頃、昼下がりに祖母と並んで時代劇の再放送を大量に見ました。その頃見た映像を思い出の中から総動員、TVドラマの影響で歴史誤認をしないように資料を読み、このお話はできました
結局吉宗の時代になったのは、資料が多くて書きやすかったことと、暴れん坊様の葦毛馬に乗った姿と、大岡越前守様お成り~というセリフが強く印象に残っているからなのだと。たまにしか登場しない小石川の伊織さまがオシしでした
なお、このお話のオリジナルは、コロナの真っ最中に書きました
国東友加は、剣士志望の剣道一直線少女だ。某時代劇の女剣士にあこがれ、黒髪を長く伸ばして頭の高いところでひとつに結ぶ。そこに飾りの組み紐を結びつけるのがお気に入りの髪型だ。
今日も今日とて、道場で夜明け前から藍の筒袖と袴の練習着を身に着けて正座、気力がみなぎったところで気合も凛々しく素振り五百。近所のご老人たちから目覚まし代わりにされているとも知らず、やー、とおー、と朝稽古を勤める。
体がほぐれ気がすんだところで、正座、一礼。祖父が友加の相手をしに現れるまでの間、竹刀を握ったまま、横の戸口からお気にいりの白鼻緒の草履をつっかけ裏庭に出る。今どき珍しい井戸から、これまた今どき滅びたかにみえる、祖父と友加だけが気に入っている釣瓶をカコン、ピシャっと井戸に投げ込み、カラコロと引き上げる。両手ですくってまず顔を洗い、セミの絶叫に夏を感じつつ水を一杯。実に友加好みの夏の朝であった。
満足度満杯状態で、立てかけた竹刀を手に取り道場に帰りかけたその時。
井戸周りの敷石から渡り石に足を掛けたところで、友加を眩い光が包みこんだ。さすが剣士志望少女、左手に握った竹刀の柄に右手を掛けると同時に腰を落として身構えた。
光はすぐに消え、友加は木立を抜ける小径にいた。うっ、と思いつつも、とにかく現状把握。友加は周囲を見回し、背後に朱塗りの鳥居が十基ほど続くのを見つけた。
鳥居を見ると拝むことしか考えられない友加なので、とにかく鳥居をくぐろうとし、おっとと、と直前で気が付いて竹刀を置いて一礼、祠まで進んで二礼二拍手一礼。稽古着だからお賽銭の持ち合わせがなくて若干気がとがめた。
友加は木々を見上げながらもとの場所に戻っていった。何が何だか全然わからないが、この場所は美しいと思った。早朝の光が杉の枝葉を抜け、揺れる笹の葉に零れる。小径の脇には小川が通っているらしく、さらさらと水の流れる音がする。友加の好みド真ん中。
うふふ~、と顔面に満足度を表していると、前方からご婦人の声が届いた。
「狼藉者、こちらをどなたと心得る」
わ、すごい。と、もちろん友加は思った。嬉しすぎる展開、何かよくわかんないけど、時代劇の撮影現場かも。足指に力を入れ、草履が履き物として能力を発揮する限りにおいて、全力で声の方に走っていった。
小径を走り抜けながら、ふと既視感を覚えた。ここはもしかして根津神社?
道が塀沿いになる手前に、見たことのない形の髷を結った若い女性と年かさの女性がいる。年かさの方が若い女性を左手で庇い、右手で懐剣を構えている。若いほうも右手に懐剣、足袋裸足で臨戦態勢だ。
そのふたりを、崩れた感じの男が四人、ゆるりと取り囲む。その後ろには着流しで髷も満足に結っていない、浪人風の男が懐手で立っている。
そこに流れ込む友加。友加的には夢に見るほどの理想のシチュだ。ここでやらねばどこでやる。時代劇の撮影かも知れないという考えは、瞬間で消え去っていた。
「お味方申し上げます」
と、一言叫ぶと、女性たちの前に出て、有無を言わせず四人の無頼者を叩き据えた。
最初の一人を、走ってきた加速度を乗せて竹刀抜きざまに胴から上へと払い、次を払った位置から落として鎖骨に叩き込む。そのまま三人目に肩から当たって仰向けに転ばせ、胸に乗って踏み切るその勢いで四人目の脇腹に竹刀を突きこんだ。祖父直伝の連続技である。
さて、四人を叩き据えた後、お約束の「先生、やっちまってください」が出た。
後ろで見ていた着流しの男が、ちゃっ、と音を立てて、腰の刀を抜き放った。
え、これマジ真剣じゃないの? と、喜ぶ友加。人が振り回す四つ割竹刀を切り飛ばすことなどまずできない。百万に一つ切り飛ばされても、落ち着いて鍔迫り合いに持ち込み押し合いになれば、懐剣を構えているご婦人の力も頼めるだろう。
見る限り、着流し男は友加と同じぐらいの背丈で、体重もなさそうだ。友加の数々の大会トロフィーは伊達ではない。全国大会の最後に行われる真剣による模擬対戦に心をときめかせ、祖父に強要して国宝級の真剣を振らせてもらったこともある。内緒だけれども。
着流し男は、刀を右肩に構えた。友加は、大いに喜び、足を前後に開くと左肩を相手に向け、竹刀を下に構えた。もちろん、イメージは某有名長編侍映画の決闘シーンだ。ぞくりとした快感に似た何かが友加の背中を通り抜け、静かに相手の息を読む。
今にも着流し男が踏み込む一瞬、それはその場にいた誰にも見切れなかった。
下摺りから円を描くように上がった竹刀は切り下げられようとした刀をはじき上げ、謎の軌跡をたどって斬り下げられ、男の利き手を強く打った。刀は宙を舞って、倒れている男たちのひとりの脇ぎりぎりに落下、カチャリ、と地面に横たわった。
型どおりに残心を取る間に、割と近くでピーピーと特徴的な御用笛の音がした。見ると、紺一色の着物を短く着て、前掛けをつけた男がこちらを指さしながら大声で叫んでいる。その背後から朱房の十手を手にした男がすごい勢いで走ってくる。2人の手下らしき男を従えている。ここで、「御用だ、御用だ」と叫んでくれれば友加の満足度は成層圏まで振り切れるのだが、走って来る捕り手にそんな息は残っていない。
竹刀で殴りつけられた右手を左手で押さえて、キョロキョロと逃げ道を探す着流し男。尻で後ずさりしながら、化け物を見るように友加を見詰める四人の無頼漢。
今こそ友加の「一生に一回でいいから言ってみたいセリフ」の出番だ。
友加は、暴漢を鋭く睨みつけ、竹刀を下段に構え直して言った。言ってやった、よし!
「そこへなおれ、下郎ども」
キマッタ。わが生涯に悔いなし。
この作品の舞台は、谷中、根津、千駄木と呼ばれる東京都文京区の一地域です
谷根千という愛称があります
このころの江戸の人口はおよそ80万、男女比2対1
電線も街灯もない美しい夜空と、暗闇にうごめく詐欺師、スリ、盗賊
当時でも世界規模の人口を誇る都市ですが、リサイクル(特にトイレ関係)が進んでいて、ヨーロッパの都市に比べ清潔でもありました。もっとも、皆さんご存じの通り江戸は木造建築群であった上に、煮炊きが直火であり、公衆浴場が発達しており、夜間の灯火はろうそくや灯明。落雷でも火事が起こります。また、火付け盗賊改め方という役職があったことからわかるように、放火も多かったようです。動機は物取り、復讐、普請などだと伝えられています。強い風にあおられ大火災になりやすい土地柄でもありました。八代将軍・吉宗と江戸町奉行・大岡忠助の時、江戸火消しとして有名ないろはの町火消しが組織されたそうです
*参考文献は、物語が終わった後に列挙してあります