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Battle77

作者: 唐揚げ

 後期高齢者保険証がポケットにきちんと入っていることを確認しながら富樫はゆっくりと市役所へと向かっていた。 75歳以上を後期高齢者と日本では定義している。

 しかし、富樫としてはそんな定義に自らは当てはまらないと思っていた。若い頃から音楽をしていて手先は今も器用し、歯も全て自分の歯で入れ歯はしたことがない。認知症とも程遠い、所謂、若々しい老人を目指して歳をとってきた。強いて言うならば、長い間の不摂生がたたって、糖尿病を患ってしまった事くらいだ。

 それであっても、やはり、戸籍の歳は誤魔化せない。

 75歳を迎えた年の初め、役所から後期高齢者保険証と共に役所からのBattle75という制度の説明会と実施をするというお知らせが届いた。聞いたことの無い制度で、富樫は不思議と思いながら、説明会があるというのならば、聞けば十分だ。


「おや、本田さんじゃないか」

「あら、富樫さん」


 本田という老人と、市役所の手前でばったりと出くわした。本田と富樫は古くからの仲である、同じ小中学校に通い、高校と大学こそ違ったが、同窓会からまた一緒に何かする仲だった。同じようにゆっくりとした足取りで、市役所へと向かうと、市役所の中は同じような高齢者で一杯だった。町の中にいる老人全てが集まったかのような気がする。

 説明会の会場として設けられた多目的室にぎしりと高齢者が詰められる。


「えー、皆さま、お待たせいたしました」


 役所の職員がマイクを手に前に出る。


「Battle75ですが、これはですね、社会保障を無償で受ける事が出来る権利を手にする制度です」


 単刀直入に職員が説明したのは、こんな内容だった。

 加速する少子高齢化による医療費や社会保険料の増加から、日本政府は老人に対して一つの選択肢を設けた。それは既存の保険制度として、医療保険を現役世代よりも割増しの割合で受けるか、もしくは、Battle75という制度に参加するというものだ。このBattle75という制度は、あるゲームに勝利した場合において、社会保障の実費用を支払わなくて済むというものであり、つまりは、実質医療費がタダだ。

 では、どんなゲームかというと。

 職員は二つ、赤い錠剤と青い錠剤を見せた。


「この二つの錠剤の一方には何も入っています。そして、もう一方には毒が。このどちらかを選んでもらいます」

「緋色の研究かよ」


 誰かが言ったが、職員は真面目な顔をしたままだ。


「別に強制はしません。希望者のみです」


 すると、互いに顔を見合わせていた老人たちだったが、二つに分かれた。馬鹿馬鹿しいという様子で、立ち去るグループ。もう一つは、椅子に座ったままのグループだ。富樫は、後者に属することにした。糖尿病の治療費というのもその理由だが、もう一つは、家族の事がちらついた。

 富樫は自らのような非生産な人間がいることで家計を圧迫している。それであれば、ゲームに勝って社会保障費を安くするのは十分な手だと思った。


「では、グループで、二人一組になってもらいますので」


 職員がそう言うと、箱をもって現れた。残った老人たちは、その箱へと手を入れていく、富樫もその例に漏れず、箱に手を入れる。その箱の中からは、一つの紙切れを取り出すと、その紙には42と書かれていた。座って待っていると、職員が呼んできた。


「あら、富樫」


 連れられた部屋に入ると、本田がいた。

 すでに、テーブルを挟んだ向かいの椅子に座っている。


「これは」

「あなたが私と勝負をするらしいね」


 あっけからんと本田は言った。富樫は、何も聞かぬままに、テーブルを挟んだ向かいに座る。

 富樫が椅子に座るにあわせて、職員が封筒を持ってくる。片一方には赤いテープ、片一方には青いテープが貼られている。そこから封を解くと、薬がそれぞれから一つずつ出てくる。青と赤のそれぞれ錠剤だ。それを置くと職員は、部屋を出て行った。


「さ、どちらを選ぶ?」

「真面目にすぐに決める事じゃないだろ」


 富樫はそう言うと、テーブルを指で叩いた。


「これは命がかかってる」

「そうか」


 赤か青か。

 赤か青か。

 どっちが毒か富樫には見分けがつかない。


「本田、お前はどうしてこれに参加したんだ?」


 牽制するように富樫にこにこと笑みを浮かべたまま座る本田に聞く。


「別にお前と一緒よ。たぶんね。私も病院通いが多い」

「なるほどな」

「それで、毎月の年金じゃあ生きていけない。そうなったら、もうね。どのみち、長くはないんだ」


 誰しも事情というのは同じらしく、富樫は嫌な気がした。年を取ると、必ず、体のどこかしらにガタがくる。


「それで、どっちがどの薬を飲む」

「私は赤を選ぼう」

「では、青か」


 本田は人差し指と親指で青い錠剤を摘まみ上げて、富樫は赤い錠剤を摘まむ。


「一緒のタイミングで飲もう」


 富樫がゆっくりとそう言った。

 互いに、カウントダウンをするわけではなく、顔を見ながらいつ飲み込むかとタイミングを見計らう。

 どちらかが死ぬ。

 本田がぱっと錠剤を口に入れた、それに合わせて、富樫も錠剤を口に入れる。

 口の中に嫌な感触が広がり、ごくりと、錠剤を飲み込む。

 

 本田と富樫が互いを見つめる。


 どちらかが毒を飲んだのか。

 

 突如、富樫は胸が苦しくなって立ちあがる。これは毒が効いてきたという事か。

 と、見たとき、ガシャンと向かいの椅子が倒れた。見れば、本田が床に倒れている。苦しそうに胸を抑えて、首のあたりもぎゅっと掴み、苦しそうに呻く。口の端から泡が出てきた。全身を痙攣させて、硬直する。目を大きく見開き、じっと富樫を見つめた。そのままに、


 本田は絶命した。


 富樫は安堵感からふうっと息を吐き出す。

 それと同時に胸に訪れたのは、途轍もない恐怖だ。もしも、自分が青い錠剤を選んでいたら、あぁなっていたのは自らである。その恐怖が襲ってきた。膝ががくがくと震え、まともに立っていられず、椅子に座り込んだ。

 富樫は床に倒れたままの本田を見た。

 いろいろな感情が心のうちに浮かび上がってくる。心臓の脈動がとてつもなく、大きく聞こえる。

 息を吸って吐いてが正しくできているか、わからない。


「あの、失礼ながら、部屋から出て行ってもらえますか?」


 役所の職員がやってきて、そう声をかけられるまで、富樫は気づかなかった。すでに本田の遺体は職員によって片付けられていた。そこに本田がいたという痕跡はまるでない。富樫は自らの足がきちんと動くことを確認しながら、椅子から立ちあがる。


「これで、保険料はとくに払わなくていいんだよな」

「えぇ、もちろんです」


 わかった、と富樫は言うと、部屋から出て行く。

 その背中に向けて、待ってください、と声をかけてくる。


「また、来年もBattle76がありますので」

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