第九話
――夜会当日。
迎えの馬車に乗り、会場へ到着したミサはあっと息を呑んだ。
ドレス。ドレスドレスドレスドレス。
まるで薔薇の花のように煌びやかなドレスの数々を揺らめかせる女性が自分の目の前を横切っていたのだから。
ドレスを見たことがなかったわけではない。実は母も持っていて、思い出の品だと言って見せてもらったことがあったから。……それもずっと前に売ってしまって手元にはないが。
しかしそんなものとは比べ物にならないほどの優美さを見せつける女性たちばかりだった。髪も綺麗な花などで飾っており、化粧や香水、その他アクセサリーなども素晴らしいとしか言いようがない。所作も完璧である。
それに対し、自分の格好はなんと滑稽だろうとミサは思った。
我ながら美人な方だとは思っている。
茶髪だった母とは似ても似つかない金髪も青い瞳も見栄えはいいし、肌も浅黒いほどまではいかず健康的な小麦色。
体型は身長が高くてほっそりしており、筋肉もほどよくついていることから素材は申し分ないのではないだろうか。
けれど飾り方がまるで違うのだ。
髪は肩下までと短い。化粧は一切施していない上に、なんと言ってもこの場に軍服はやはり明らかに不相応だった。
ご婦人方の視線が突き刺さり、扇で隠された口元の向こうで何やらヒソヒソと囁かれているのがわかる。内容は聞こえないが間違いなくミサを変な奴だと言い合っているのだろう。
……帰った方がいいのでは。
そんな考えが浮かび逃げ出そうかと思った瞬間、背後から突然声がした。
「ミサ、先に着いていたんだな。お待たせ」
その声に慌てて振り返れば、そこには真紅の青年――スペンサー王子がいた。
思わずギョッとして声を立てそうになるのをなんとか堪える。先ほど自分がこの場から逃げ出したいだなんて考えたことがもし知られてしまったらと思い内心ドキドキが止まらなくなった。
「す、スペンサー様! お待ちしておりましたでありますっ!」
「そんなにかしこまらなくていい。敬礼もいらない」
敬礼の姿勢を取ってしまったミサに苦笑を浮かべるスペンサー王子。動揺していることはバレてしまったかも知れないがそれ以上追求されなかったので良しとしよう。
彼はいつも戦場へ赴く時は必ず、血のように真っ赤な鎧兜を着ていた。それが『血塗れ王子』のスタイルなのだ。しかし今夜の夜会は、それ以上に派手であった。
所々に金色の装飾が施された赤いスーツのようだ。一眼で高級とわかるそれからは威厳が感じられ思わず身がすくんでしまった。光さえ放たれているかのように錯覚したほどである。
「す、すごいであります……!」
「そうだろう。けどまあ、両親や兄にはあまり好まれていないのだが」
「どうしてでありますか? スペンサー様にはその……、と、とってもお似合いでありますがっ」
少し恥ずかしいと思いつつそう尋ねると、彼は「挑戦的な色だから」と曖昧に笑う。
ミサにはその意味がわからなかったがそれ以上話す気はないらしく、話題を変えた。
「ミサは他の女性たちを見て驚いたか?」
「はいっ。驚いたであります。とってもとっても素敵で。……ミサなんかが本当に夜会に出ていいのでありますか?」
「いいに決まってるじゃないか。さあ、そろそろパーティーが始まってしまう。エスコートは俺がしよう」
そして、そっと隣のスペンサー王子に腕を取られる。あまりに突然だったので「きゃあ!」と叫んでしまったが、彼は構わずミサを会場へと引っ張って歩き出す。
相変わらずこちらを見てヒソヒソ話を続けるご婦人方は気になるけれど、比べたって仕方がない。とにかくミサはミサのできることをやろうとそう思った。
そうして、ミサにとって初めての夜会が幕を開ける――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜会は正直言って恐ろしかった。
皆が皆、ミサに好奇や侮蔑の視線を向けて来る。彼女はスペンサー王子の隣で震えないようにしているのが精一杯で、軍人として己の情けない姿を嘆かわしく思ったがどうにもできなかったのだ。
そんなミサを気遣い、銀色のゴージャスドレスの令嬢や明らかに身分の高そうな貴族たちに声をかけて回るスペンサー王子はなんと勇ましいのだろう。彼への憧れの念をミサは一層強くする。
信じられないくらいのたくさんのご馳走を振る舞われ、パーティーが目まぐるしく進んでいき、国王陛下のありがたい言葉が述べられて……まもなくダンスが始まってしまった。
「あ、あれ? このままダンスなのでありますか……?」
てっきりミサに関する何かの行事があるに違いないと思っていた彼女は隣のスペンサー王子に疑問を投げかけた。
別に爵位が欲しかったわけではないが、拍子抜けである。せっかくここまで来たのというのに陛下からの言葉一つもないだなんて……。すると彼は気まずそうに笑った。
「生憎、君が想像しているようなことはない。――実は今日は、ミサにどうしても出てほしいという俺の事情のためについてきてもらったんだ。だから陛下からの許しもない。すまない」
――――――ミサは絶句した。