第七話
一方その頃、スペンサー王子は一通の手紙を前に身悶えていた。
どうしたらいい。どうしたらこの胸のざわつきは抑えられるのだろうか。
彼の手に握られている手紙は、ビジータという侯爵家からの婚談だった。一人娘のメリッサ・ビジータ侯爵令嬢をスペンサーの花嫁に、というのだ。これで婚談の手紙も五通目になり、どれほどビジータ家がスペンサーに執着しているのかがわかる。
王太子になるべく弛まぬ努力をする長兄、それを支えようとする次兄と違い、スペンサーは道楽者だった。
王子などと呼ばれ甘やかされるのはつまらないと、自分の剣の腕を活かし、勝手に城を抜け出しては野蛮な戦場に出かけてばかりいた。
見目はいい。ただそれだけだ。『血塗れ王子』などと呼ばれ出したほどに血気盛んなこと以外には彼に他の取り柄はない。
だから婚約の話なんて来るはずもなく、十八になるこの歳までずっと独りだったのだ。そんな中彼は出会ってしまった。
うっかり魔物に遭遇してしまい、「これくらいなら大丈夫だろう」と甘く見て、うっかりやられそうになっていた時のことだ。
そこへ颯爽と駆けつけた少女が自分に襲いかかっていた魔物を吹き飛ばしたのは。
金色のサラサラとした髪に、空のような真っ青な瞳。
彼女のまとう女物の軍服のスカートが揺れ、なんともいえない色気を発していたのをよく覚えている。
こんな小さく愛らしい少女に、俺は助けられたのか。
それに思い至った瞬間、スペンサーの胸に言葉にし難い熱が生まれた。
「――君の、名前は」
彼の弱々しい問いかけに、にっこりと笑った少女は一言。
「魔物討伐隊の兵士、ミサであります」
彼女の声を聞いたスペンサーが抱いた感情は、「可愛いな」という、血みどろの戦場にはそぐわない感情だった。
それが少女、ミサとの出会いである。
あの時からずっと彼はミサを探し続け。
再会し、不信がられつつも一緒に戦場に出かけ、交流を深めていった。とても楽しい時間だった……。
戦乙女たる彼女の実力は恐ろしいほどに高かった。
そのおかげだろうか。今まで『血塗れ王子』と馬鹿にされてきた自分の名もいつの間にか吊られるようにして知れ渡るようになり、そして、人生初めての婚談が舞い込んだ。
それがビジータ侯爵令嬢からの手紙である。
母である王妃は歓喜した。これで馬鹿息子もやっと周囲に認められるようになると。
ビジータ家は冨を多く持つ大貴族だ。家柄を重んじる父――国王もまんざらではないだろうということもスペンサーは知っている。
けれど彼自身はというと、ちっとも嬉しくはなかった。
彼はミサをどうしようもなく手に入れたいと思ってしまっていたからだ。
これがわがままだということは理解している。それでも、顔も知らないメリッサ・ビジータ嬢と結婚するなんて考えられなくて。
メリッサは嫌だと言って、今までの四通の手紙には「考慮中」だと返事をしている。しかし五度目にもなればビジータ家の強固な意志が感じられるというものだ。これ以上長引かせることを両親は許さないだろう。ミサと結婚したいと言い出そうかと思ったが、まだ彼女に何も言っていないのにそんなことを両親に伝えられるはずもなかった。
自分はどうしたらいいのか。スペンサーは焦った。今度の夜会――いつもはなるべくパスしているのだがこれだけはどうしても出席しなければならない――に、メリッサ嬢から迫られることは明らかである。その時までになんとかしなければ自分の心に反する人生を生きることになってしまう。
王族貴族というのは所詮政略だ。わかっている。でもスペンサーはそれを受け入れたくはないし、受け入れるつもりもなかった。彼は心のままに生きたいと幼少の頃から願ったからこそ勝手に城を飛び出しまくっていたのだから。
そんな中、彼はとある奇抜な案を思いついた。きっと周囲は反対するだろうが秘密裏に計画し実行に移してしまえばいいのだ。
「……ミサは、どう返事するだろうか」
呟きを漏らしつつそっと王城を抜け出す。もう十年以上これを繰り返しているのでちょっとやそっとのことでは見つからない。
そうしてスペンサーは、ミサが現在滞在しているであろう戦場近くのテントへ向けて馬を走らせ出した。