第十一話
厄介なことになった。
元々面倒ごとに巻き込まれることは嫌であるスペンサーは、今まさに人生最大の面倒ごとに直面していた。
ミサとダンスを踊り、メリッサ嬢に婚約の意思を失ってほしいだけだった。
実際スペンサーがミサを想っている気持ちは本当なのだし、さすがに見知らぬ軍人の少女とダンスしている男を見ても婚約したいと思うご令嬢はいないだろう。そう考えての作戦のはずだ。
なのにメリッサ嬢と顔を合わせた途端にミサが蒼白になった。正直ここまでの反応を見せるとは思っていなかった彼は焦りつつも、ミサを「護衛」などと言って揶揄うメリッサ嬢をなんとかしようと奮闘していたその時。
ミサが突如、逃げ出したのだった。
どうしてあんな行動をしたのかはわからない。スペンサーが呼びかけても振り返る様子もなく一心に走り去ってしまったから。
メリッサ嬢の言葉がそれほどまでに彼女を傷つけたのかと考えたが、強く逞しいあの少女がその程度のことで逃げてしまったりするだろうか?と腑に落ちない。
とにかく彼女を探さなければならなかった。気味がいいとでも言いたげに笑っているメリッサ・ビジータ嬢を置き去りにし、スペンサーはミサの後を追うことにしたのだ。
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懸念していた事態が起こってしまった。
彼女は……メリッサ・ビジータと名乗ったあの少女は、ミサのことに気づいてしまっただろうか。
見下すような目をして笑っていたのを思い出す。あれはきっとこちらのことを知っていて、それで笑っていたに違いない。つまりもう手遅れだということだ。
このまま逃げ帰るしかなかった。できれば早く身を隠さなければならない。でも兵士の仕事を辞めるのは嫌だった。
『ビジータ家だけには見つからないようになさい。本当にあなたに力がつくまでは……絶対に。きっと殺されてしまうだろうから』
最期にそう言い残した母の姿が脳裏に蘇る。ミサは頷き、泣きながら母と指を絡めた。
ごめんなさい、約束したのに守れなかった……。自分がまだ弱いことを彼女は自覚している。だからミサは弱者として逃げるしか道は残されていない。
あんな夜会、やはり行かなければ良かった。スペンサー王子の誘いだからと浮かれていた自分に心底呆れる。そもそも彼のような素敵な男性と自分が釣り合うはずはないのに、夢物語を追いかけたからこんなことになるのだ。これは報いだとそう思った。
とりあえず魔物討伐隊に戻ろう。そこでなら皆が許してくれるかも知れない。そこで一からやり直そう。今までのこと何もかもを忘れて――。
きっと、スペンサー王子とはもう二度と会えないだろうけれど。
「嫌……」
小さな呟きが漏れた。
自分でも驚くくらいの弱々しいその声はすぐに虚空へ消えていく。
そしてそれと同時に両目から何か熱いものが溢れ出して止まらなくなる。それが一体何なのか自覚したくなくてミサは顔を天に向けた。
……涙を流してしまったことなんて、今まであっただろうか。
今までただただ強くなることに必死だったから気づかなかったけれど、ミサは寂しい生き方をしていたのだと思う。
ただその一生を剣に捧げるだけだった。母の遺言に従うだけのつまらない女だった。それを変えてくれたのはあの人だ。
だからあの人と別れたくない。あの人のために今の自分があり、あの人なしでは生きていけなくなってしまったから。
「嫌、嫌っ……。嫌であります。こんな、こんな……」
「――やっと見つけた」
涙で滲む視界の中、ゆらりと赤が現れる。炎のように揺れるそれは、優しくミサを呼び止めるとぎゅっと抱きしめた。
全身を温かみに包まれてミサはやっと気づく。そして、胸の鼓動が激しく高鳴るのを感じた。
「スペンサー、様ぁっ」