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暗殺幼女  作者: 山田マイク
「エリートの卵たち」編
84/85

83 アンナ


 アンナは第7地区の往来を南に歩いていた。

 不思議な街並みだなと思った。

 スラムほど荒れてはいないし、かといって貴族の街ほど清くもない。

 道行く人たちはそれなりの身なりをしているが、裏路地や細い小道に入り込むと途端にみすぼらしい服装の人間に出会う。

 かと思えば、急に驚くほどお金を持っていそうな成金ちっくな人間とすれ違ったりする。

 大道にはとにかく交差点がたくさんあり、街角の家屋に住宅はあまりなく商店や卸問屋がほとんどを占める。

 商人の街。

 一言で言えば、そんな感じだろうか。

 彼女は幼い頃は田舎で育ち、長じてからはすぐにウェンブリーの第1地区に引っ越したので、このような商業地区に出向いたことはほとんどなかった。

 彼女にとって、治安は悪くない癖にどこか騒がしく小五月蝿いこの雰囲気はとても新鮮だった。


 アンナの目的地は『人形屋』と屋号を冠した玩具屋だった。

 そこの店主であるカワカミという男に会いに来た。

 彼は体調を崩して休んでいたアンナに代わって、臨時教師として特別進学クラスⅢを請け負ってくれた人物だった。

 カワカミは貴族でもなければエリートでもお金持ちでもなかった。

 学歴もないし軍役歴も肩書きもない。

 もちろん、魔法も使えない。

 正真正銘、ただの商売人である。

 いや、それどころか、どうやら裏家業に手を染める何やら胡散臭い身分の男らしいということだ。


 それが何故。

 臨時とはいえエリート魔法学校の教師という名誉職に就けたのか。

 その辺りのことはよく分からないが、ともかく。

 学校に復職したアンナは驚いた。

 短い間に、クラスの雰囲気は様変わりしていた。

 なんというか。

 これまで生徒たちを隔てていた壁やカーストが無くなっていたのだ。

 これまでは目も合わせなかった子同士が笑いあっていたり。

 お互いにバカにしたように見下してあっていた子同士が机を合わせて食事をしていたり。

 一人きりでいる子も堂々としていたり。

 みんな、自由に振る舞って。

 みんな、他人に干渉しなくなっていた。

 彼らを縛り付けていた階級が無くなっていた。

 まるで。

 "魔法"を使ったみたいに、生徒たちは変わっていた。


 やがて、アンナはうらぶれた商店街に辿り着いた。

 活気ある中心街とはうってかわって、閑散とした店が身を寄せ合うように林立している。

 「人形屋」はそのちょうど真ん中辺り。

 入り口まで細い廊下を入り込まねばならない造りになった、隠れ家のような場所にあった。

 アンナは入り口の扉の前で、カワカミとはどのような男だろうかと考えた。

 聞いてみたいことが山ほどあった。

 どうやって生徒たちを変えたのか。

 どう子供たちと向き合ったのか。


 「人形屋」の前の扉の前まで来たとき。

 アンナはカミラとセリアのことを思い出した。

 彼女たちは、クラスの中でも最も変化していた。

 二人は毒を盛ったことを真摯に謝罪した。

 相応の罰を受けますと平伏した。


 自尊心(プライド)虚栄心(つよがり)の塊だったクラスの支配者二人。

 彼女たちは、立派な女性(レディ)になっていた。

 自己憐憫のままにヒステリックを起こす子供は、もういなかった。

 アンナは確信した。

 そもそも優秀な生徒たちなのだ。

 あの子達なら。

 きっとこれから、真っ直ぐ生きていけるだろう、と。


 私も変わらなければ、とアンナは思った。

 カミラとセリアに謝られたとき。

 アンナは彼女たち以上に頭を下げた。

 最初から、自分には許す権利も裁く権利も無いと思っていた。

 悪いのは自分だと思っていた。


 アンナは自らを強い人間だと思っていた。

 しかし、そうではなかった。

 あの日、放課後の教室で。

 彼女たちの愛し合う姿を見たとき。

 アンナは思わず、気持ち悪い、と言ってしまった。

 生々しい現場を目の当たりにして、弾みで出た言葉であったが。

 彼女たちの性的指向を指して言ったわけでは無かったが。

 二人がそのように受け取っても仕方の無い言い方だった。


 解きようのない誤解を与えてしまった。

 自分は取り返しのつかないことを言ってしまった。

 すぐにそう自覚した。

 だから直後にセリアから詰め寄られたとき。

 彼女は何も言い返せなかった。

 釈明も出来なかった。

 したところで、信じるはずはないと思った。

 それから。

 セリアたちはアンナと目も合わせないようになった。

 元々も愛想は無かったが、ここまでとことん無視をするほどではなかった。

 それは瞬く間にクラスメートたち全体にまで波及して、アンナは授業をする以外、生徒とほとんどコミュニケーションがとれなくなった。


 そうして。

 "事件"は起こった。


 搬送された病院で目を覚まし、自らが毒を盛られたことを知らされると、彼女はすぐに察しがついた。

 すぐにセリアとカミラの仕業だと悟った。

 だが、彼女は二人を責める気にはならなかった。

 それどころか、彼女は二人が犯人であることを隠蔽することを決めた。

 これは因果応報なのだと考えた。

 そして、アンナはどんなに犯人について聞かれてもしらばっくれた。

 事件が風化するまでは、復職もしまいと決意した。


 しかし、アンナが学校へ行かなかったのには。

 実は、もう一つ、理由があった。

 彼女は長い入院生活のなかで、()()()()()()()()のだ。


 果たしてあの時、自分には本当に偏見は無かったか。

 先入観はなかったか。

 本当は、彼女たちの存在を気持ち悪いと思ったのではないか。

 だからあのような言葉が出たのではないか。

 そう自分を疑い始めると、彼女たちに会うのが怖くなったのである。


 いずれにしても。

 セリアたちは、自分のせいで道を踏み外した。

 自分のせいで、人格を歪めてしまった。

 それはもしかするともう二度と。

 元には戻らないかもしれない。

 それだけは間違いない。


 ――だが。

 これではいけないと、アンナは決意した。

 いつまでも逃げているわけにはいかない。

 セリアに手紙を書いた。

 話をしようと思った。

 勇気を出そうと思った。


 約束の日。

 セリアたちはカワカミと共に竜の背に乗って、街を抜けて飛び回った。

 何があったのかは分からない。

 しかし、帰ってきた二人は、とても穏やかな顔になっていた。

 それから、アンナに会ってくれた。

 謝罪を受けたのはこの時だ。

 そしてその謝罪の後。

 今度はアンナの言い分に耳を傾けてくれた。

 アンナは必死に語った。

 伝わるかどうかは分からない。

 もしかするとさらに誤解は深まり、問題が拗れてしまうかもしれない。

 しかし、嘘だけはつくまいと心に誓った。

 あの時、私はあなたたちの性的指向のことを言ったわけではない。

 今思い返しても、そう思う。

 けれど、それは真実ではないかもしれない。

 あのような言葉が出たこと自体、もしかするとあの瞬間、私の頭の片隅には偏見が存在していて、それが発露したのかもしれない。

 でも、そうじゃないかもしれない。

 あの時の自分のことは、もう今ではよく分からないの。

 自分でも、本当に分からないの。

 ごめんなさい。

 傷つけてしまって、ごめんなさい。

 そう、全て正直に話した。

 泣いてはいけないと思っていたが、泣いてしまった。

 私は駄目な女だ。

 誠実でありたいのに。

 清廉でありたいのに。

 そうすると、自分の醜さが垣間見えて恐ろしくなる。

 自分が酷い人間なのではないかと、そう思うと身動きが取れなくなる。


 けれど。

 二人は、そんな私を赦してくれた。

 先生は悪くないよと微笑んでくれた。

 私たちの方こそごめんねと微笑んで、笑いながら泣いていた。

 出会ってから初めて見る、可愛らしい笑顔だった。

 アンナが休んでいる間に、セリアとカミラは変わっていた。

 カワカミが変えたのだと思った。


 だから、アンナは会いに来た。

 私がどれだけやっても叶わなかったことを、この短期間にやってのけたカワカミという人間に会いたかった。


 アンナはすーはーと大きく息を吐いた。

 彼は、どのような男なのか。

 悪党だという生徒もいた。

 愉快な人だという生徒もいた。

 教師失格という生徒もいた。

 中には、恐ろしい人だという生徒も。

 生徒によって全く意見が異なる、玉虫色の評判だった。

 しかし、共通していることがあった。

 生徒たちはみな、笑顔で彼のことを話すのだ。


 アンナは酷く緊張していた。

 けれど同時に、楽しみでもあった。

 この扉を開けば、自分も変われるのではないかと言う予感があった。


 彼女は汗ばんだ手で扉の柄を握ると、


「ごめんください」


 そう言って、勢いよく扉を引いた。


 

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