81 社会見学
「……嘘……でしょ」
セリアはその場にぺたりと座り込んだ。
目の前で起きた光景が信じられなかった。
あのほんの小さな女の子。
牙の生えたゴスロリ少女。
あんな幼い子供が――魔界の支配者であるA級の聖龍を一撃で気絶させてしまった。
――十億人に一人の天才
カワカミの言葉は真実だと思った。
規格外。
常識外。
豪壮無双。
こんな真似が出来る人間は、この世界でも、この幼女一人だと思った。
圧倒的な才能の差。
セリアは自らが特別な人間ではないことを知った。
あ……は……。
不意に、笑いが漏れた。
私はなんと自惚れていたのかと思った。
カワカミの言う通りだった。
唐突に。
自分が死ぬことで世界へダメージを与えようとしていたことが恥ずかしく想えた。
「おい、ねーちゃん」
漆黒の幼女――マチルダが、セリアに向かって言った。
「なーに座ってンだ。行くぞ」
「……え?」
「言っただろ。ドラゴンの正しい使い方を教えてやるって」
マチルダはにしし、と笑った。
それから、まだ気を失ったままのドラゴンの背中を指差した。
「あそこに乗るんだよ」
と、マチルダは言った。
「テメー、あいつを操れるんだろ? なら、あいつの背に乗って、行けるとこまで行こうぜ。空の旅だ」
「行けるとこまでって――」
「空の旅っスか。そりゃあ良いっすね」
戸惑うセリアを遮って、背後でカワカミが同意した。
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「マチルダさん。それ、俺もついて行っていいスかね」
と、俺は言った。
「おー、カワカミ、お前も来るか」
「はい。ついでに、ウチのクラスの子たちもお願いします」
「ウチのクラス? ってなに?」
「あー、すいません。俺、一応まだ先生やってまして」
「……ふーん。まー良いけど」
マチルダはジト目になり、少しだけ口を尖らせて言った。
長いこと店を留守にしていたから、ちょっと拗ねているのかもしれない。
「ありがとうございます」
俺は後頭部に手をやり、ぺこりと頭を下げた。
それから、屋上の端から下を覗き込みながら、
「おーい、みんなー! 今から社会見学に行くぞー! そのドラゴンの背中に乗りなさーい!」
と、そのように大声で言った。
すると、先ずは偉そうな教師たちが止めなさいと怒鳴った。
俺はそれを無視して、「早く乗れよー!」と付け加えた。
俺の声でグラウンドに集まって来た俺のクラスの生徒たちは、「マジー?」「行く行くー!」「さすがにヤバくね!?」「超すげーんだけど!」などと口々に騒いだ。
その中には、カミラの姿もあった。
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唐突にグラウンドに落ちた巨大竜に、グラウンドは大騒ぎになっていた。
他のクラスの生徒らは遠巻きに眺めたり、避難したりした。
教師たちは竜をどうにかしようと陣を敷いたり、竜の周りを取り囲んだりしていた。
途中から事故に備えて警備に雇われていた自警団連中も参加して、巨竜は大勢の人間によって包囲された。
しかし、マチルダがそのことごとくを蹴散らしてドラゴンの背に乗り込み、その隙にセリアのクラスメートたちもドラゴンの背中にワラワラとよじ登って行った。
「さあ、行こうか」
つと声がして目を上げると。
カワカミが、手を差し出していた。
「……」
セリアが黙っていると。
カワカミはくすりと笑った。
「気持ちは分かるよ。未熟な過ちはどんな顔して行けばいいか、分からないよな。けど、若気の至りなんてものはそんなもんだ。俺なんて」
恥ずかしい過去だらけだ、とカワカミは苦笑した。
「そう言えば、東棟の屋上にアンナ先生が来てたよ。キミに謝りたいって、キミの力になりたいって、そう言っていた」
「アンナ先生が?」
「うん。今回のことは許してあげるってさ」
「……私、あんなに酷いことをしたのに」
「そうだね。確かに許されないことをしでかした。だから謝る。償う。それが社会だ。幸いにも、キミはまだギリギリ間に合う。とりかえしがつく。キミは、俺たちとは違う」
キミは俺たちとは違う。
その言葉に、セリアは目を上げた。
カワカミはにこりと笑った。
「俺もついていってやるからさ、あとで一緒に謝りに行こう」
「カワカ……ミ……」
セリアは急に涙が溢れた。
一度涙がこぼれると、止まらなかった。
彼女は両手で顔を覆って泣いた。
「セリアちゃん。こいつは経験則なんだけどね。"悪"として生きるのはしんどいぞ。きっと、ここがキミにとっての最後のチャンスだ。さあ」
"勇気"を出しなさい、とカワカミは言った。
セリアは下唇を噛んだ。
そして、顔を赤くし、涙と鼻水を垂れ流しながら。
「ごめんなさい、先生」
そう言って。
カワカミの手を握り返したのだった。




