80 竜
「遅くね?」
俺が紹介すると。
闇の中から幼女が現れた。
鴉のように黒い髪の毛に、真っ黒いゴスロリ衣装。
不機嫌そうな顔で口を尖らせて。
「なあ? 遅くね? さすがに出番遅くね? どういうつもり? 主役出なさ過ぎじゃね? メインヒロイン空気過ぎじゃね?」
漆黒の幼女、マチルダはあーん、とヤンキーみたいに顎を上げ下げし俺を睨みながらやってきた。
俺はすいません、と頭を下げた。
「いやーもっとサクっと終わらせるつもりだったんスけどね。どうにもこれが俺の癖ってやつで」
「ったく、しょーがねー奴だにゃー」
マチルダは八重歯を見せ、ニヤリと笑った。
「でもいーよ。許してやる。だってこれから、ドラゴンが見られるんじゃろ?」
マチルダは両手を胸の前でグーにして、目をキラキラと輝かせた。
「いや、何が出てくるかはまだ分からないンすけどね」
俺はセリアの方を見た。
「それはこのセリアちゃんに聞いていただかないと」
ね、と俺はにこりと微笑んだ。
セリアは頬をひくひくとひきつらせて「舐めてるの」と呟いた。
「天才天才というからどんな人間がやってくるのかと思ったら、まだほんの子供じゃない。ふざけるのもいい加減にしなさいよ」
セリアはナイフを翳した。
「まあいいわ。そうやって戯れていられるのも今の内。笑っていられるのもここまでだわ。これから私は全てを焼き尽くす。この世界を滅ぼして、私も消える。さあ、このセリア=キング=ムーアの名において命じるわ。巨竜よ――」
顕現なさい。
セリアはそう謳うと。
自らの手のひらにナイフを突き刺した。
∇
ポタタッ、と魔方陣に血液が吸われた。
すると夜の闇に陣は蒼白く光を放ちながら斜めに立体化し。
ギーンギーンといっそ機械音のような音を発しながら――
校舎の上空に、巨大な竜が現れた。
「で――でけぇ」
俺は思わず呟いた。
その竜は、俺の予想を遥かに越えていた。
鈍く光る銀色の鱗に包まれた巨体。
顎から覗く恐ろしく鋭い極大の牙。
空をまるごと覆いこんでしまうほどの大きな翼をばさりばさりと羽ばたかせながら。
万里を見通せそうなほど長い首をもたげて。
瑠璃色をした美しい瞳で、こちらを見ていた。
圧倒的な存在感。
見ているだけで畏怖してしまいそうになる超ド級の迫力。
こうして向かい合っているだけで、全身がピリピリとした。
「アハハハ!」
セリアが哄笑した。
「まったく、舐めてるんじゃないわよ! 言ったでしょう!? 世界を滅ぼしてやるって! 私は天才なの! だから、一人でこれだけ上級なモンスターを使役出来るの! さあ、平伏しなさい! これまでの非礼を悔いなさい! この」
凡人どもめっ!
セリアは汗だくになりながら怒鳴った。
あの汗は冷や汗だ。
この反応。
恐らく、彼女としても予定外の大物が出てきたらしい。
「……ど、どうします、これ」
俺はマチルダを見た。
さすがにコイツは想定外だ。
ここまでの巨大なドラゴンはついぞ見たことがない。
しかも、こいつはでかいだけじゃない。
身体全体から、強力な電磁波のようなオーラを放っている。
雷属性の竜。
それは即ち――聖龍の証である。
こりゃあどうやら虚仮や酔狂じゃねえ。
このドラゴン。
本気で街の一つは焼き尽くせそうだ。
――だというのに。
「か……カッケぇ……」
マチルダは喜びを隠しきれぬ、という表情で呻くように言った。
それからしばし。
彼女は美しき聖なる龍に見惚れていた。
やがて、今度は堪えきれぬ、という感じで身体をプルプルと小刻みに震わせた。
そして、腹の底から絞り出すように、
「ちょーカッケー! なんだこいつ! クソカッケーんだけど!」
そういってぴょんぴょんと跳ね回った。
「か、カッコいいのは分かったんですけど」
俺はごくりと喉を鳴らした。
「こいつはさすがにヤバくねーですか」
「やばい! 良い意味でヤバい!」
「よ、良くはないでしょ。どうするんですか、これ」
俺はセリアを見た。
セリアはうっとりしたような目で巨大竜を眺めながら、
「あなたが私を殺すものね」
と、呟いた。
それからオーケストラの指揮者のように両手を振り上げ、
「さあ、暴れなさい! あなたの想うままに!」
セリアが命じると。
竜はガパ、と口を大きく開け、天空に向かって大きく吼えた。
あまりの咆哮に空気は鳴動し、大地まで揺れ動いた。
それからドラゴンは。
俺達の方を向き。
もう一度。
今度は、180度に達するほどに大きく顎を開いた。
そうして恐ろしい牙の奥。
喉が赤く染まり始めた。
――炎を吐き出す気だ。
俺は背に冷たい汗をかいた。
この大きさじゃあさすがに避けきれない。
「ま、マチルダさん、どうします、こ……れ……?」
あわてふためく俺を余所に。
マチルダはふふんと嬉しそうに微笑み。
俺の前を悠然とテクテク歩いて、屋上の端っこまで進んだ。
そこで腰に手を当てながらちょっとだけ首を伸ばし、
大口をあけた巨大竜と対峙した。
「綺麗だなあ、お前」
マチルダは目を細め、愛でるように呟いた。
「なんて名前が良いかな。ポチかな。タロウかな。それともゲレゲレかな」
「名前なんてどうでも良くないっすか!」
俺は思わず口を挟んだ。
「い、今はとにかく逃げないと! 早くしないと、炎が」
バーカ、とマチルダはこちらを見ずに言った。
「あのな、こんなのはな、すぐに収められんだ」
マチルダはゆるりと微笑んだ。
――が、次の瞬間。
ギンッ、と表情を一変させて、凄まじい殺気を身体中から発露させた。
すると大顎を開けていたはずの巨大な竜が。
一瞬、怯んだ。
それから口を閉じ。
怯えたように、首をわずかに竦めたのだった。
「あ……はは……」
俺は思わず乾いた笑い声を漏らした。
なんてことだ、と思った。
まったくなんて人だ、と思った。
マチルダとの付き合いはもう随分になる。
その間に、彼女にはもう何度驚かされただろうか。
その数は多すぎて数え切れないがともかく。
俺は、また、たまげた。
この幼女ちゃん。
一睨みするだけで、この巨躯のドラゴンをビビらせた。
「な、何をやっているのよ! さあ、殺しなさい! やってしまうのよ!」
と、その刹那。
セリアが、狂気染みた顔で叫んだ。
すると、再びドラゴンは口を開いた。
またぞろ、炎を吐き出すモーションをとる。
マチルダはそれを見て。
指を一本立て、チッチッチ、とそれを揺らした。
「わかってねーなぁ、ねーちゃん」
と、マチルダは言った。
「お前、巨大竜の使い方がまるでわかってねー」
「つ、使い方?」
セリアは怪訝そうに眉をひそめた。
「そうだ。ドラゴンの、正しい使い方だ」
マチルダはそう言うと。
ふわり、と龍に向かって翔んだ。
そうしてそのままドラゴンの頭上まで飛び上がり。
拳を強く握りこむと――
「ポチ! お座り!」
そういって、ズガンッ、とドラゴンの頭に鉄拳を食らわせた。
竜の大きさからすると豆粒のような大きさのその攻撃。
しかしそれによる衝撃波は、凄まじい音とインパクトを以て竜の頭蓋を突き抜けた。
聖なる巨大竜は。
ぐわん、とその長い鎌首をゆっくりと一周させたあと。
気を失ったように白眼を剥いて――
どすん……と、そのまま地面に不時着した。




