73 説教
「……はーん。つまり、せんせーは、私と戦争したいわけね。この私と、マキナ家の長女であるこのカミラ=マキナと、トコトンまでやり合いたいわけね」
カミラは腕を組み、少し顎を上げて、とても不愉快そうに言った。
「戦争? まさか」
俺は肩をすくめた。
「そんなことは考えてないよ」
「は。今さら怖じ気付いたの? けど、もう遅いんだから。私を敵に回すとどうなるか――」
「俺がキミにしたいのは説教だよ。カミラちゃん」
俺はカミラを遮り、目線を強めた。
「説教? 何それ。一体、何の話を」
「歴史の話さ」
「歴史?」
「そう」
俺は頷いた。
「キミがクラスのボスになっていること。他の生徒を従わせていること。大人や先生たちを舐めていること。それらは全て、キミの貴族意識、そしてエリート意識に起因していることだ。それはつまり、"貴族制度"を敷いているこの社会こそが、カミラちゃんをカミラちゃん足らしめてるわけだ。そして、キミはそれを絶対だと思い込んでる。貴族社会はなくならない。王政の世の中は終わらない。そう信じこんでる。そうだろ?」
と、俺は聞いた。
カミラは返事をしなかった。
けどね、と俺は続けた。
「けどね、俺はそれが続かないことを知ってる。俺はこの世界だけじゃなく、他の世界も生きてきたからね。だから分かる。人間の構築するあらゆる社会構造には必ず欠点があって、一つのシステムが永遠に続くなんてことはない。いくら安定していても、いつか終わりが来る。そのことを知っている。普く国の正史がそれを証明しているんだ。今、俺たちが生きているこの社会システムも、単なる時代の結節点に過ぎない。今日は貴族が世の中を支配していても、明日には商売人が世界を牛耳っているかもしれない。明後日には庶民が世界を統べているかもしれない。この世界はあやふやで、曖昧で、常に揺蕩っていることを俺は知っている。ヒエラルキーなんてものが、単なるハリボテだってことを知っている。だから怖くない。キミのことなんて、まるで怖くないのさ」
「は。とんだ強がりね」
カミラはせせら笑った。
「いつか貴族の権力がなくなる? だから怖くない? そんなの単なる強がりじゃない。現実的な話として、今、私とせんせーが闘ったら、どっちが勝つと思ってるわけ」
「勝ち負けなんてどっちでもいいさ」
俺は声のトーンを落とした。
「カミラちゃんはさ、そもそも一つ、決定的に間違ってるんだよね」
「間違ってる?」
「キミはさ、"死"こそがこの世で最も重い罰だと考えてる。"死"をちらつかせれば、人間はみんな言うことを聞くと思ってる」
俺はそこで。
約束を無視して手枷を外し、目隠しを取った。
「あ。ずるい」
女生徒のうちの誰かがこぼした。
俺は目にかかった前髪をかきあげながらくつくつと笑い、「黙れ」と言った。
俺の言葉に。
室内は静まり返った。
それから俺はゆっくりと彼女たちを見回して、「ちょっと遊びを変更するね」と言った。
「この部屋にいる全員に命じる。これより先、勝手に喋ることを禁ずる。俺の許可なしには、身動ぎ一つ許さない。これを破ったものには重い重い罰を与える。死を願うほどの――」
重い罰だ。
そう言って。
カミラを視た。
∇
カワカミはうっすらと笑みを浮かべながら、ゆっくりとカミラに近づいた。
カワカミの身体には、この世の全ての不吉を集めたようなオーラが纏わり付いていた。
彼の姿、表情、そして目線は暗黒を想起させた。
カミラは蛇に睨ませた蛙のように身体を硬直させていた。
動けなかった。
さっきまでのカワカミとはまるで別人だった。
ここに至り。
カミラはようやく気付いた。
この男。
ただの臨時教師ではない。
商人でもない。
いや――もしかしたら、"人間"ですらないかもしれない。
この気配はバケモノそのものだ。
底なしの"闇"を抱えている。
この男は――怖い。
カミラはガタガタと震え始めた。
身体中に冷たい汗が噴出した。
カワカミはやがてカミラの目の前までやってくると。
彼女の顔を両手で掴み、動かぬように固定させた。
そして、息がかかるほどさらに顔を近づけて。
カミラの目の奥を覗き込んだ。
「カミラちゃん。キミは人をイジメる達人なのかもしれないけどね。俺は人間に苦痛を与えるプロだ。キミのようなアマチュアとは違って、本物の痛みを与える術を知ってる。肉体的に。精神的に。本物の絶望を味わわせる術を知ってる。気を失うことも狂うことも許さない。俺は古今東西のあらゆる方法を使って、キミを苦しませることが出来る」
カワカミは至近距離でカミラの目を見続けた。
カミラはあまりの恐怖に、涙がこぼれ始めた。
「キミはまだ"死にたい"と願ったことすらない子供だ。とりあえず俺と対等に話がしたいなら、死ぬより恐ろしい想いをしてからだ」
カワカミはそこでようやく。
カミラの顔から手を離した。
カミラはすとん、とその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
さてと、と言って彼はしゃがみこみ、震えるカミラに目線を合わせた。
「それじゃあ、そろそろ"ゲーム"を終わりにしようか」
と、カワカミは言った。
「今からルール通り、一つ質問をするね。約束通り、俺の言うことが当たってたら、正直にそうだと答えるんだ」
カワカミの言葉に、カミラは壊れた人形のように、こくん、と頷いた。
カワカミは人差し指を立てて、
「カミラちゃん。今回の、アンナ先生に毒を盛った事件。あれは――」
キミとセリアちゃんの"共犯"だね。
カワカミはにこりと笑って、そう聞いた。




