67 職員室
「しかし教師というものは大変ですな。休憩中、ずっと質問攻めでしたよ」
職員室に戻ると。
隣の席のパルテノが嬉しそうに、そのように言ってきた。
コーヒーをずずと啜り、ドヤ顔で小首を傾げる。
「その点、カワカミ先生は気楽で良いですなァ。休憩に入っても誰一人近寄ろうとしなかった。ああいや、一人、例のウィリアム君がいましたな」
んふう、と微かに鼻から息を吐き出す。
うーん。
ひっぱたきたい。
なーにを一丁前な教師面してるんだと。
なーにがカワカミ先生は気楽ですなあだと。
そんなに生徒に慕われたのが嬉しいのかと。
女子生徒に囲まれたのが誇らしいのかと。
危うく手が出そうになった。
しばきたかった。
早い話。
羨ましかったのである。
だが、と俺は踏みとどまった。
だがちょっと待て。
パルテノに悪気はない。
ここで怒ったら俺の負け。
嫉妬に負けてヒステリックになる情けない男に成り下がる。
そんな男が、曲がりなりにも教師を名乗って良いはずがない。
俺は下唇を噛んで必死に耐えた。
俺の道徳が。
倫理が。
なんとか機能してくれた。
相手に非がないのに怒ったら。
人間として、こっちの敗けだ。
「で、どうだったんですか?」
と、パルテノ。
「カワカミ先生、ウィリアム君はなんと言っていたんですかな。先ほど、二人で話し込んでおられたようですが」
などという心の葛藤はつゆとも見せず。
俺は「そっスねぇ」と言った。
「なかなか良い青年でしたよ。俺の聞いたことには全部応えてくれた」
「ほぉ。それはさすがですな」
パルテノは感心したように顎をさすった。
彼には、これまでの事情は全て伝えてある。
「とりあえず、彼と彼のグループは完全にシロだ」
と、俺は言った。
「ウィリアムはアンナ先生に対し毒物を盛っていない。恨みや怒り、蔑みなどの感情も抱いていなかった。ただ、苛立ちの捌け口に少しイタズラめいたものはしたことがあったらしいけどね、そんなことでアンナさんが傷つくとも思えない」
パルテノはふむと短く頷いた。
「ウィリアムは男子生徒を全て束ねておりますよね。であるなら、やはり犯人は女生徒ということですか」
「そうなるね。この学校は貴族の生徒が大半だから、恋愛も厳しく禁止されている。だから、男女の共闘というのも考えにくい」
この世界では、貴族同士の恋愛というものは個人間だけで自由に行われることは滅多にない。
ほとんどが家柄との結びつきを意識させられ、親や血統の都合を強いられる。
故に、子供たちだけで隔離されるこの学園でも、基本的に色恋は御法度である。
この中等部も3年になれば完全に男女のクラスは分けられる。
来年からはパーリちゃんたちも"大人"として見られるということだ。
具体的に言えば、と俺は続けた。
「怪しいのはクラスの中心にいるカミラちゃんかセリアちゃんのどちらか、或いはそれぞれのグループだろうと見てます」
「あの二人か」
パルテノは少し苦く笑った。
「彼女たちだけは、私に近づきもしなかったですな」
「どうやらこのクラスのラスボスみたいだからね」
俺はうんと伸びをした。
「しかもそのラスボスたち。互いに互いのことが大嫌いと来てる。そして、俺のことも、ね」
「調べてみたんですか」
「セリアちゃんのほうに、軽くね。でも、全く相手にされなかった」
「私が探りを入れてみましょうか」
「いや、下手に勘繰ると一切の口を閉ざしてしまうかもしれない。彼女たちは硝子のように繊細だ。そして、驚くほどに賢い。ウィリアムのようには行かない。知ってるだろうけど、俺の"能力"は別に心を読むわけじゃないからね。受け答えそのものを拒否されたら発揮のしようがない」
なかなか厄介ですなあ、とパルテノは天を仰いだ。
「そういえば、肝心のアンナ女史はどうなのですかな。面会は叶いそうですか」
「いやあ、そっちも、なかなかね」
俺は短く息を吐いて、首を振った。
「頑なに面会謝絶です」
「それがどうにも引っ掛かる」
パルテノは難しい顔をした。
「彼女はどうして我々にも会いたがらないのでしょうかな。いや、無論、身体と精神両面の具合が悪いのかもしれないが、会って話をするくらいなら出来そうなものだが」
「医者の話では"心の病"ということらしいス。心的外傷というやつですか。今は人に会うのが怖いようです」
「まあ、愛する生徒たちに毒を盛られたのですからな。そのショックも分からないではないが。しかし、聞き及んだアンナ女史の性格から言って、犯人の目星くらいは伝えそうなものだが」
「それは、はあ、つまりアンナ先生が生徒を庇ってるんじゃないかと」
「そうです」
パルテノは大きく頷いた。
「毒を盛られた本人なら、一番、犯人について心当たりを持っているはず。そして彼女が本気でその犯人を捕まえたいなら、事件を公にしたいなら、少々無理をしてでもカワカミ殿に会いたがると思うのですが」
「ま、妥当な考え方っスね」
俺は肩をすくめた。
「アンナ先生は貴族組織に楯突いた運動をするほど行動力と正義感を持った人だ。その彼女が、この事件に関しては不可解なほどに消極的。まるで彼女自身にも後ろめたい何かがあるようだ。この不自然には、何かしらの事情がある気はしますねぇ」
うーむ、とパルテノは腕を組んで唸り、コーヒーカップに口をつけた。
「そういえば」
と、俺はそのカップを見ながら言った。
「パルテノさんも、気をつけてくださいね」
「なにが、ですかな」
「そのコーヒー、大丈夫ですか」
「何の話でしょうか」
パルテノは怪訝そうに眉をひそめた。
「言ったでしょ。セリアちゃんは恐ろしく頭が良いって」
と、俺は言った。
「多分、彼女は俺の正体に気付いてます。無論、正確に把握をしているわけではないでしょうが、俺がアンナ先生について調べていることに察しがついてるはず。もしも彼女が"犯人"なら、俺や俺の仲間は排除しようとするかもしれない。それはもしかしたら――」
アンナ先生の時と同じ方法で。
そういって、パルテノの持っていたカップを指差した。
パルテノは口をつけようとしていたそれを、寸前で止めた。
それから、気味の悪いものを見るようにして、口から離した。
「……ちょっと、洗浄ってきます」
パルテノそう言うと、キッチンのほうへと向かった。
少し笑いそうになったが、すぐにその気は無くなった。
自分たちが、なかなか笑えない立場にいることに改めて気付いた。
考えてみれば。
仮に俺達がここで何者かに殺されても。
それは子供たちの未来という美名の元とことん隠蔽され、ろくに調査もされず人知れず闇に葬られるわけだ。
つまりこの"学園内"にいる限り。
未来ある生徒たちは無敵なのである。
そして何よりも恐ろしいのは。
彼ら彼女らが、そのことを自覚しているであろうということだ。
俺は教壇に立ったときに、俺を見つめるあの子供たちの瞳を思い出して。
少し、ゾッとした。




