66 本懐
「えー、つまり魔法の発露とは精神と身体の両エネルギーと密接に関係しており、それは現在の魔法科学の分野において帰納法的・演繹法的に証明されている公理だ。具体的には、発露される対人魔法の威力は詠唱者の精神状態や体力・体調に定数依存していることなどが分かっている。この定数を"魔連度定数"と呼び、それらを数値化した計算式が図のBに記されているが、こんなものを覚える必要はない。試験が終わればすぐに忘れなさい。ただ、この公理・前提は、時に詠唱者の生来的な魔力の多寡よりも相関が深くなるほどに強力だということは知っておきたまえ。故に、諸君らはこれから精神も鍛えねばならない。いくら身体や魔力を鍛えていても、実戦においては、心が揺れていてはその潜在能力は出しきれない。これは教訓のための教訓、つまりは精神論や根性論などといった曖昧な概念ではなく、実に物理的で物質的、そして実戦的な学問だ。戦場では、精神が弱いものは科学的に戦闘能力も下がる。覚悟の弱いものは論理的に威力も低下する。それは即ち、数学的に諸君らの戦死率が高まるということだ。つまり事程左様に、魔法という分野における精神修行というのは効率的かつ実用性のある訓練であり――」
パルテノが滔々と語りながら、教科書を片手に、整然と並んだ生徒たちの席の間を歩いている。
生徒たちはパルテノの話に聞き入ったり熱線にノートにとったりしている。
確かに彼の話は面白かった。
勉強になるだけではなく、なんというか、興味深いのだ。
勉強とか大嫌いな俺でも思わず聞き入ってしまう。
それは恐らく、パルテノが自分の体験を通して語る彼自身の言葉であるからだろうと感じた。
経験を伴う話というのは頭ではなく心に響く。
しかも彼は俺とは違い、国王軍出身の元エリート軍人だ。
頭がよく生まれの良い生徒たちからしたら、"教えを乞うに値する人物"と言えるだろう。
また、パルテノ自身も満更ではない様子だ。
ものごとを子供たちに教えることを楽しんでいるように見える。
自分が出来ないから苦肉の策で呼んだだけだったけど――意外と、パルテノは教師に向いているのかもしれない。
まあ、それだけに。
俺の威厳はさらに下がってしまうんだろうけど。
と、その時。
授業の終わりを報せる鐘が鳴った。
パルテノは「それじゃあ今日はここまで」といって授業を終わらせた。
終業の礼を済ませると、何人かの生徒がパルテノの元へと近づいた。
それから教科書やノートを持ちより、ここはどういう意味ですかあそこはどのように解釈すれば良いのですかなどとパルテノを質問攻めにした。
他方。
俺の元には誰も来なかった。
この前怒らせちゃったからか、パーリすら来ない。
……あれ?
悲しくないのに、なんかちょっと涙が。
「カワカミ先生」
声がして顔をあげると、ウィリアムだった。
一目見て。
違う、と思った。
昨日までの、あの人を喰ったような目をしていない。
「なんだい、ウィリアム君」
俺は微笑んだ。
これは作り笑いではなく、本当に嬉しくて思わず出た表情である。
「その……昨日までは悪かった。寝ずに一晩考えた。反省した。もう、あんたを馬鹿にしない。クラスの男連中にもさせない」
「マジですか。そりゃあ助かる」
「うん。その代わり、あんたも、色々教えてくれ」
「教える? ああいや、その、実は俺は本物の教師じゃなくて――」
「勉強とかの話じゃない。"世の中のこと"を教えて欲しいんだ」
ウィリアムは真剣な目で俺を見た。
「先生。上手く言えねーんだけど、あんたは世の中のことを知ってる気がするんだ。裏も表も知ってる気がする。俺は何も知らねぇ。上手く言葉が出てこねぇけど、社会や現実が分からないんだ。これは勉強とか試験とか、そんな話じゃない。俺は外に出たことがない。家と庭と学園のことしか知らない。だから分からない。上品で上っ面な日々が続いて、毎日毎日大した問題も起こらない。けど世界がこんなはずがないと俺はずっと考えていた。薄い被膜に包まれたような毎日で、真実が全然分からねぇんだ。親も教師も嘘くさいことしか教えてくれない。だから知りたいのにどうやって知れば良いのか分からない。その内に俺の人生はすっかり型にハマっちまうんじゃねえかと思って、その事がもどかしくて堪らないんだ。机上の話じゃなく、俺たち貴族に都合の良い話じゃなく、"外"の話を教えてくれ。本当の人間の話を聴きたいんだ」
俺はほお、と唸った。
本当に昨日とは別人だ。
思わずにやり、と口の端っこを上がった。
なるほど。
教師の本懐とはこういうことかと思った。
若者の成長を目にするというのは、なかなかに快感だ。
「もちろん、いいよ」
俺は立ち上がり、手を差し出した。
「実は俺もね、色々と調べたいことがたくさんあるんだ。この学園やこのクラスについて、知りたいことが山ほどね。だから今日から俺とキミはギヴアンドテイク、お互いに知らないことを教え合う。そいつで行こう」
ウィリアムは嬉しそうに、ちょっとだけ笑った。
そして、俺の手を握り返したのだった。




