63 保健室
「なにそれ。ダサすぎじゃない?」
俺が先ほどの顛末を説明すると、眼鏡をかけたお姉さんが俺の肩に包帯を巻きながらケラケラと笑った。
彼女はリンダという名前で、学園で保健の先生をしている。
職員室付近の廊下で俺が腕が痛くてのたうち回っているところを見つけて、ここに引きずって来てくれた。
サバサバしてるけど、美人で優しい女性だ。
年齢は俺より5つくらい上だろうか。
「あーほんとウケるわ。自分から調子こいて誘っといて、返り討ちにあうなんて。間抜けねー、あなた」
事情を聞いた彼女はいいだけ笑い、涙の端を拭った。
「いやでもね、リンダ先生、さすがにあの馬鹿力は想像出来ませんよ。あれでローティーンとか信じられないっス。ゴリラの息子じゃないんスか、あれ」
俺は言い訳して口を尖らせた。
するとリンダはいやいやと首を横に振った。
「いやいや、あなた、ここは天下のウェンブリーだよ。国中から優秀な遺伝子が集まって来てるんだから、そりゃあ中にはバケモノみたいな生徒もいるわよ。ま、学年一位の力自慢を相手にして骨が折れて無かっただけよかったじゃない」
リンダははい、終わりと俺の肩をぺしりと叩いた。
「骨には異常ないけど、肩と肘の腱がかなり伸びてるからね。あんまり無茶しないように」
俺は自分の肩をさすりながら、ありがとうございますと肩越しに頭を下げた。
「しかし、あなたも変わり者ね。勇気あるわ。いくら臨時とはいえ、ううん、っていうかわざわざ臨時なんかのために、特進の3組なんて受け持ちたいなんて」
「どういうことです? あのクラス、なんか曰くでもあるんスか」
「あらま。何も知らないで受け持ったわけ?」
「はあ、まあ、事情がありましてね」
「ま、事情が無かったらあのクラスを受け持たないわよね。あそこは色々と大変だし。というか、ハイソ過ぎて受け持ちたくても受け持たせてもらえないとも思うし。あなたが特進クラスの担当になれたのは、あくまで"臨時だから"ってことなんでしょうね」
リンダは察したように語った。
ま、それはそうだろう。
スクワード家からの推薦が無かったら、俺のような風来坊がこの学園に入り込めるはずもない。
俺がここで教師の真似事なんてことが出来ているのは、あくまでもパーリからの依頼、つまり"アンナ事件の調査"という名目があるからに過ぎない。
「しかしあの子たち、そんなヤバい家柄なんスか」
「そ。あたしなら絶対にやだね。特にほら、マキナ家の長女がいるでしょ? カミラだっけ? あそこの家、領主様の直系だからさ。下手打つとマジでヤバいわよ。お偉いさんに注意されなかった? マキナ家とは絶対にもめるなって」
「というか、誰とももめるなって言われてますから」
俺が言うと、なるほど、とリンダは苦笑した。
「確かに、あなた――カワカミって言ったっけ――カワカミ先生みたいな身分はここじゃあ珍しいからね。変にマキナ家ともめたらこの街じゃ生きていけないし、そもそも命そのものも危ういかもしれない」
「そんなこと言って、脅かさないでくださいよ」
「あはは。だから言ったでしょ。あなた、勇気あるねって」
「後悔はしてますけど」
俺は項垂れてみせた。
しかし、ふむ。
どうやらカミラとセリアは各々違う理由で少し厄介そうだ。
となると――
やはり、まずは単純そうなあいつから手をつけてみるか。
「ああ、リンダ先生」
俺は治療を終えて出ていこうとするリンダに声をかけた。
扉に手を掛けていた彼女は、半身だけこちらを振り返った。
「なぁに?」
「あの、今お休み中のアンナ先生のことですけど」
「うん」
「あの先生、随分と色んな活動をなさっていたそうですが……先生方からの評判はどうだったんですかね?」
リンダは口許に指をあて、そうねぇと少し艶かしく考えた。
「とても良かったわよ。ちょっと熱血すぎるところがあったから賛否はあったけどね。ただ、思想家だったから敵もそれなりにいたかも。でも、とても真っ直ぐな人柄で、私怨とかで誰かに恨まれるような人じゃなかった」
「思想家ってのは、やっぱり地方貴族の地位がどうのとかいう、あれですか」
「詳しいのね」
リンダは少し首を傾げて苦笑した。
「ま、貴族にもヒエラルキーはあるからね」
「ヒエラルキー、ですか」
「ヒエラルキーっていうか、まあ派閥よね。アンナ先生は中央集権の学閥体制に疑問があったみたい。たださ、もちろん、そんな上に楯突くほど過激なことはやってなかったよ。今の学長は結構頭が柔らかいからさ。ちょっとお伺いを立てたり、お願いしてたって程度」
そうですか、と俺は頷いた。
「中々の人物だったみたいですねぇ、アンナ先生って。リンダ先生も、今回のことはショックだったんじゃないですか」
「うん。それは、ね。でも、アンナ先生、ちょっと危ういなって思ってたから、やっぱりねってところもあったかな」
「危うい、というと」
「ほら、3組って問題児ばかりって言ったでしょ? そこに熱血教師なんて、最悪の組み合わせじゃない」
「そうですか? なんか、問題児と熱血教師って、相性良さそうだけど」
「そんなわけないでしょうよ。現実は戯曲じゃないんだから。アンナ先生、あの癖のある生徒たち相手に、かなり精神的に参ってたんじゃないかしら。きっと、一人で抱え込んでいたんだわ。そこに来て、あの薬物混入事件でしょ? さすがのアンナ女史も限界だったんでしょうね」
リンダは少し物憂げに吐息をついた。
「私みたいにちゃらんぽらんな性格なら、きっと適当に流すんだろうけどね」
「そうですねぇ。俺も、アンナ先生みたいに真剣にはなれねぇです」
「あはは。そんな感じ、するする」
「しかしアンナ先生は、このままこの学校を辞めちゃいますかね」
「さあね。でも、多分、復帰なさるんじゃないかしらね。あの人は、それくらいバイタリティーがある人だから」
「そうですか。ホッとしました」
俺は適当なことを言って、にこりと笑った。
すると。
リンダは「多分だけどね」と愛想笑いを返して、それじゃあまたね、カワカミ先生、と言って、保健室を出ていった。




