62 授業
教室内はまるで動物園のように騒がしかった。
生徒たちは自分の席に座ることもせず、好き勝手に移動して、友達同士で固まってお喋りをしている。
男子生徒は格闘技の練習をしたりして、悲鳴や雑音がやかましく埃も舞っているという有り様だ。
黒板には大きな文字で「自習」と書かれてある。
俺が書いた。
最初は与えられた教科書を使って、魔法分野の座学の授業を試みたが。
すぐに諦めた。
ハッキリ言って、フリをすることも出来なかった。
適当に誤魔化せなかった。
こんな勉強してんのかと思ったら、子供たちに頭が下がった。
というわけで。
俺はもうすっかり好きなようにさせて。
教室の隅っこで、今回担当することになった我がクラス「特進クラスⅢ」の成績表に目を落とした。
まず、この学校はその能力によって、一般クラスと特別進学クラスの2つに分かれている。
前者は将来、社会システムの名誉職(裁判官や自警団の幹部など)に在職するような人材を育成する生徒たちで構成され、後者は街や国の中枢を担う人間(軍隊の将校や皇帝に仕える文官など)を選出する生徒たちで組成されている。
つまり一般クラスはエリートの種で、特進クラスはスーパーエリートの卵というわけだ。
特進クラスはⅠからⅥまで全部で6つあり、成績表を見る限り、どうやらこの数字はランダムに割り振られているようだ。
俺のクラスはⅢだが、別に学年で3番目に成績が良いというわけではない。
んで。
この「クラスⅢ」の生徒で突出してるのは主に次の3名。
まず、ウィリアム=タンドゥル。
運動能力、学年1位。
魔法能力、学年25位。
学力テスト成績、学年157位。
トータル能力はSクラス。
次に、カミラ=マキナ
運動能力、学年17位。
魔法能力、学年3位。
学力テスト成績、学年6位。
トータル能力はS+クラス。
そして最後に、セリア=キング=ムーア。
運動能力、学年87位。
魔法能力、学年1位。
学力テスト成績、学年1位。
トータル能力、SS+クラス。
うーむ。
どうやらこのクラスにおけるカーストというのは、能力によってある程度決まっているようだ。
俺の担当クラスの3名が、そのままクラスを支配している3人ということになる。
特にこのセリアという女生徒。
この子の潜在能力はどうやらズバ抜けている。
恐らく、将来は街という単位ではなく、国という規模で活躍する人材になるのに違いない。
「あの、先生」
声がして目を上げると、ちょうどそのセリアだった。
不機嫌そうに顔をしかめている。
「あ、はい、なんスか」
「あの、授業はしないのでしょうか」
「えーと、その、あの、そうだね、今日はまあ、自習っつーか、まあその、あれだね」
俺はしどろもどろになった。
するとセリアはますます不機嫌になり、
「本当に無能なんですね。なら、せめてあの野蛮な猿たちを黙らせてください。自習学習の邪魔になって仕方ないんです」
と言って、ウィリアムたちを指差した。
ウィリアムたちはキーキーと笑いながら、技の掛け合いをしていた。
本当に猿のようだった。
俺はそうだね、と苦笑を噛んで、立ち上がった。
∇
「えーと、ウィリアム君、ちょっと良いかな」
俺は仲間のじゃれあいを眺めながらケタケタと笑っていたウィリアムに声をかけた。
すると、ウィリアムは「なんだぁ?」と言いながら顎を上げた。
「えっとさ、まあなんつーか、基本的にはさ、自習だから何してても良いんだけどさ、もうちょい静かにしてくれないかな。ほら、真面目に勉強してる子もいるし」
俺がペコリと頭を下げてそのように頼むと、ウィリアムは目を細め、眉を潜めた。
おームカついてるムカついてる。
「NOだね」
ウィリアムは立ち上がった。
「おっさん、テメーよ、人にものを頼むときはそんなんじゃダメだろうが。教師なのに、んなことも知らねーのか」
ウィリアムは俺の前までやってきた。
俺とウィリアムは、机を一つ挟んで対峙した。
「えっと、頭はちゃんと下げたつもりだけど。これ以上、何をして欲しいのかな」
俺は肩を竦めた。
するとウィリアムはポケットからビスケットの包みを取り出し、それを床にばら蒔いた。
「食え」
と、ウィリアムは言った。
「ただし、手を使うなよ。犬みてーに這いつくばって食うんだ。それが出来たら、言うことを聞いてやっても良いぜ」
ウィリアムが言うと、彼の取り巻きがギャハハと下品に笑った。
また、ウィリアム自身もニヤニヤとニヤついた。
「いやー、さすがにそれは出来ないねぇ」
俺は右眉をほりほりと掻きながら言った。
「でもさ、要するにキミたちは、暇だから"面白いこと"がやりたいわけね」
ウィリアムはまた不愉快そうな顔つきになった。
「なんだ? 何が言いてぇんだ」
「いやさ、さっきからキミたち、なんか格闘技っぽいことやってるよね。それじゃあ、俺とキミで、一つ勝負をしようじゃんか」
「勝負?」
「うん」
俺は一つ頷くと、腕まくりをした。
「俺の故郷にはさ、"腕相撲"って競技があるんだ。こうして机の上で、お互いの腕と腕を組み合わせて力をかけて押し込みあって、相手の手の甲を机につけた方が勝ちってゲーム。ま、腕力を競った疑似格闘みたいなもんなんだけど」
そいつで決着をつけないかい、と俺は言った。
「俺とウィリアム君。どっちの腕っぷしが強いか、勝負しよう。キミが勝ったら、俺は床に散らばったビスケットを這いつくばって食べる。その代わり俺が勝ったら、君たちは俺の言うことをなんでも聞く。どうだい?」
俺が問うと、ウィリアムは「面白ぇ」と口の端を上げた。
「テメー、この俺に腕力で勝てると思ってんのか」
ウィリアムは袖をまくり、二の腕を俺に見せつけるように曲げた。
ムキムキの筋肉が隆起した、極太い腕。
俺の3倍くらいの太さがある。
とても中等部とは思えない。
さすが学年1位。
「うん」
と、それでも俺は頷いた。
「ぶっちゃけ、勝てるんじゃないかなと思ってる」
「なんだと?」
ウィリアムは目の色を変えた。
俺は挑発するように肩をすくめた。
「だって、キミはまだ子供だろ? 俺は大人だ。さすがに勝てるっしょ」
「……お前、この腕を見て、そんなことがどうして言えるんだ」
「ま、とにかくやってみようよ」
俺はそう言うと、机に肘を乗せた。
すると、ウィリアムも少し怪訝そうに顔をしかめながら、肘を乗せて俺の手を掴んだ。
「ちょっと待ちなよ!」
と、その時。
女の子の声がして、クラスの視線は彼女に集まった。
パーリだった。
「ちょっと、ウィリアム。あんたね、そうやってすぐに教師をバカにすんの、止めなさいよ」
「なんだぁ?」
ウィリアムは一旦手を離し、パーリの方を向いた。
「イチイチ口出しすんじゃねーよ。パーリ。テメーはどっちの味方だ」
「どっちの味方とかじゃないじゃん。勉強してる人もいんだから、静かにするのが当たり前でしょ」
「はーん。なんだ。要するに、このクソ庶民の言うことを聞けってのか。俺達貴族が、畜生にひれ伏せってのか」
「そんなこと言ってないじゃん」
「言ってんだろ。いいか。俺たちはこれから、こいつみてーな庶民どもを家畜として飼って行く側の人間なんだよ。飼い主が、ペットに舐められたら終わりだろうが」
「と、とにかく、カワぴょ……カワカミ先生にそんなことはさせない――」
「いいからいいから」
俺は白熱する二人に割って入った。
「とりあえず、ここは腕相撲で決着をつけようじゃんか」
「で、でも」
「まあまあ、パーリちゃん。ここは任せといて」
俺はパーリに向けて、ウインクをして見せた。
まあ見ててよ、と言わんばかりに、俺はもう一度、机に肘を乗せた。
すると、ウィリアムもそれに倣い、今度こそ、腕相撲の準備が整った。
やれやれ、やっちまえ、とウィリアムの子分たちが囃し立てる。
それに混じって、カミラたちのグループも面白そうに立ち上がって見物を始めた。
俺はニヤリとほくそ笑んだ。
かかったな。
腕相撲というのは、一見力のみの勝負に見えるが。
実は、腕力だけでは決まらない。
手首の使い方、体重移動、それから力のかけ方とタイミング。
それら技量が大いにものを言うテクニカルな競技なのだ。
クラス中が注目しているここで。
俺の実力を見せつけ、教師としての威厳を示すのだ。
「俺が"ゴー"と言ったら開始だ」
「良いぜ」
ウィリアムはぺろりと上唇を舐め、余裕たっぷりに頷いた。
俺もニヤリと笑った。
「それじゃあ、いくよ。レディー……ゴー!」
合図と共に、互いの筋肉がぶつかり合った。
すると次の瞬間。
バキャッ、という、嫌な音がした。
俺の腕が、あらぬ方へ曲がっていた。
「ぎゃー!」
俺は無意識に叫んでいた。
右腕に、信じられないくらいの激痛が走った。
テクニックも糞もなく。
ウィリアムの圧倒的な力の前に。
俺は一瞬で負けていたのだ。
「んぎゃー! 痛ってー!」
俺はそう叫びながら。
教室を飛び出して行った。




