59 教師
「えー、みんな静かに」
俺は教壇の上に立つと、そう言って教室を見回した。
先程までざわついていた教室内は急に静かになった。
約40名の視線が、一気に俺に集まる。
俺はごほんと、わざと大きく咳払いをして、一旦、生徒たちに背を向けてチョークを手に取った。
そして黒板に大きく、「カワカミ」と書いた。
「えっと、俺は臨時で来た非常勤教員のカワカミと言います」
俺はもう一度、生徒の方へ振り返った。
「前任のアンナ先生の代わりに来ました。今日から暫くの間、このクラスを担当します」
よろしく、と俺は頭を下げた。
生徒たちは黙っていた。
ほとんどが、興味無さそうだった。
肘をついて眺めるもの。
欠伸をしながらダルそうに見るもの。
うつ伏せて顔も上げないものもいた。
「はーい、せんせー。質問いいっすかー」
つと、一人の女子生徒が手を上げた。
一番窓際の、前から3番目。
俺は席順の書かれたメモに目を落としながら、
「はい、えーと、カミラちゃん、かな」
名指しされた生徒――カミラは、やや斜に構え、少しだらしない姿勢で「そうでーす」と言った。
銀髪のとても可愛らしい女の子だが。
態度は悪い。
「せんせー、随分若いねー。いくつなの?」
「21です」
「へー。わっか」
カミラはちょっと目を大きくした。
それから口の端にイタズラっぽい笑みを浮かべて、
「彼女とかいんの? あんまモテなそうだけど」
「いないよ」
俺が即答すると、カミラは面食らったように目をパチパチさせた。
「はっはー。せんせ、面白いね」
「何がだい?」
「普通、教師ってこういう質問は躱すよ」
「そうなの?」
「うん」
「ま、モテないのは事実だし」
「募集中ってやつ?」
「いや、別に。彼女はいないけど、好きな人はいるから、それで十分」
俺が正直に応じると、カミラはヒュー、とからかうように口笛を吹いた。
「ははっ。なになに? 大人のくせに、純情な片想いってやつ?」
「ううん。多分、両想い」
「は? なにそれ。ワケわかんない。両想いなら、それって彼女じゃん」
「いや、彼女じゃあ無いんだよね」
「なにそれ」
カミラは八重歯を見せて、キキっと笑った。
それに合わせて、周りの数人の生徒もくつくつと楽しそうに笑った。
「せんせー、本当、面白いかも」
「それじゃ、カミラちゃんはこの学校に付き合ってる子とかいるのかな」
俺が冗談めかして問うと、なにそれいるわけないじゃん、とカミラはケラケラと笑った。
「おい」
会話を続けていると、それを遮るように、今度は一番廊下側最後列の男子生徒が手を上げた。
えーっと、彼は――ウィリアムか。
「はい、なんだい、ウィリアム君」
「あのよぉ、くだらねーことグダグダ喋ってんじゃねーよ。誰もオメーなんかのプライベートに興味はねーんだ。んなことより、お前さ、フルネーム教えてくれよ。じゃねーと、家柄がわかんねーから」
「家柄?」
「そうだよ。あんたのセカンドネームは? 父親の名前は? 爵位は? 宗派は?」
ウィリアムは頬杖をついて、不遜な様子で聞いた。
中等部とは思えぬほどガタイが良い。
ガキのくせに威圧感がある。
恐らく、彼がこのクラスのボス的な立ち位置の生徒だろうと、俺はあたりをつけた。
俺は肩をすくめた。
「俺は何者でもないよ。身分なんてないし、ただの労働階級の一般人だ。まして爵位なんて持ってない」
「はあ?」
ウィリアムは明らかに馬鹿にするような顔つきになり、口元を歪めて嗤った。
「なんだよ、それ。おいおっさん。ここは貴族が集まる大学校だぞ。どうして貴族階級の俺たちが、どこの馬の骨かもわかんねー労働階級のオヤジに物事を教えてもらわなきゃいけねーんだ?」
「ごめんね。もう決まったことだから」
「は。良い根性してんな。オメー、覚悟出来てんだな」
「覚悟?」
「上流社会に紛れ込んだ家畜は、何されても助けはねーぞ」
「何をされても、か」
「そうだよ。庶民にゃ何の権限もねーんだから」
「それって、具体的にはどういうことかな」
「は?」
「いや、具体的に、俺は何されるのかなって」
「はっは。カミラの言う通りだな。面白ぇーやつだ。ま、ソイツはおいおい、身を以て分からせてやるからよ」
「それは、はあ、お手柔らかに」
俺が頭をさすると、ウィリアムは偉そうに椅子の上でふんぞり返り、嫌な笑みを浮かべた。
「はい」
今度は一番教壇に近い、最前列の女生徒が手を上げる。
彼女は確か、セリア。
ノーメイクできちんと学校の指定通りに標準的な制服を着こなした、真面目そうな前髪パッツンの女の子である。
「はい。セリアちゃん」
と、俺はセリアに言った。
すると、セリアは律儀に立ち上がり、
「カワカミ先生の、最終学歴を教えてください」
「学歴?」
「はい。私は別に身分とかはどうでも良いんですが、頭の悪い人から学問を教わりたくはないので」
「いやあ、実は、そこを突かれるとちょっと弱いんだけど」
「どういうことですか?」
「いや、俺はあくまで臨時なんでね。こっちの学校ってのはほとんど行って無くて」
「それはその、学歴が無い、ということでしょうか」
「うん、ごめんね」
「……あの」
「うん、なに」
「先生の担当は」
「一応、魔法の座学を担当してるんだけど」
「教えられるんですか? 私たちは将校を目指すエリートです。産まれも頭脳も選りすぐられた選ばれた人間なんです。将来を嘱望されている有能な人種なのです。あなたのような"馬鹿"に、私たちを教える能力があるんですか」
セリアはぴしゃりと言い、睨むように俺を見た。
おおう。
大人しそうなのに、意外とキツイ。
ド直球だ。
「ま、なんとかなると思います」
俺はようようそれだけ呟いて、頭を垂れた。
教える方は確かにキツイ。
つか俺、魔法とか使えねーし。
ま、いざとなったらパルテノのおっさんに頼もう。
臨時の臨時ってことで。
セリアは納得の行かない顔のまま、座った。
明らかに、俺に向けて敵意を剥き出しにした表情である。
「学歴とかどうでもよくない? まったく、真面目ブスはこれだから」
カミラが冷やかした。
しかしセリアは相手にせず、持っていた本を読み始めた。
「こらこら。喧嘩はやめて」
俺が諌めると、カミラは「喧嘩じゃないし」とケラケラ笑った。
「そいつがブスなのは事実じゃん」
カミラが言うと。
カミラと、その周りの女子が一斉に笑った。
うーん。
なんか、荒れてる。
俺ははあとため息を吐いた。
すると、真ん中あたりにいるパーリと目があった。
彼女は、ほらね? 大変でしょ? というような、なんとも嬉しそうな目でニヤニヤしながら、俺を眺めていた。
俺は少し今回の"仕事"を引き受けたことを後悔しながら。
肩をすくめて、苦笑した。




