58 ギャル
「ただいま」
俺が仕入れから戻ると、店内には誰もいなかった。
西日に照らされてオレンジに染まる室内。
少しすると、奥の方からエプロンをつけたアオイが楚々と歩いてきた。
彼女は俺の前まで来ると、「お帰りなさいませ、店主様」と言って頭を下げた。
嗚呼。
なんつーか。
良い。
すげぇ……良い。
俺は思わず、荷物を下ろすのを途中で止め、しばしアオイに見惚れた。
緑のロングスカートに白いエプロン姿がよく映えて、彼女の細身の体によく似合っている。
従業員というより、まるで超美人のメイド。
どこかのゲームか御伽話から抜け出してきたような容姿。
そんな彼女のお出迎えは、どこか背徳感があって心がムズムズした。
うーむけしからん。
メイドってぇのは、なんでこんなに"けしからん"のだろう。
雇って良かったなあ、と俺はしみじみ感じた。
「えっと、パルテノさんは」
俺が問うと、アオイは「裏口で問屋さんと」と短く答えた。
俺はああと頷きながら担いでいた荷物を木椅子に下ろした。
そういえば、今日は修復用の細々とした商品を卸しに来ると言っていた。
「マチルダさんは?」
「寝てらっしゃいます」
「はあ、呆れた。もうとっくにお昼過ぎっスよ。あの人、まだ寝てるんですか」
「はい」
「アオイちゃんも、もうちょっとビシッと言ってやった方がいいよ。マチルダさん、放っといたら一日中ダラダラしちゃうから」
「はい。けれど」
「けれど?」
「私にそのような権限があるのでしょうか」
「権限って?」
「私の仕事はカワカミ様マチルダ様のプライベート空間及び"人形屋"店舗内外の清掃、食事の用意、マチルダ様のお世話、及びそれらに附随する雑事で御座います。主たるマチルダ様に対し、生活態度に関して意見するような真似は、私に与えられた権限を越えた行為ではないかと」
「んなこたないよ」
俺は苦笑して、アオイの肩をぽんと叩いた。
「俺はアオイちゃんの判断に全部任せてるから。君が正しいと思ったことは何でもやって良い。ムカついたら喧嘩したって良い」
「喧嘩、ですか」
「そ。あとでちゃんと仲直りするならね」
俺がそのように言うと、アオイはその場で無表情で佇立し、「喧嘩。仲直り」と呟いて、しばらくそのままフリーズしていた。
瞬きもせず、ただ目の前をじっと見ている。
多分、めちゃくちゃ色々考えてる。
俺はくすりと笑った。
ま、二人して成長してくれたらそれでいいや。
「かー、気持ち悪ぃなあ、もう」
声がして目をやると。
クルッカが部屋の隅の丸椅子に座っていた。
「なんだ、いたのかクルッカ」
俺は荷物を下ろして、目線を外した。
「いたのか、じゃねえよ。オメーよ、若い女に、つーか人形相手に、デレデレと鼻の下を伸ばしがって」
クルッカはいかにも嫌そうに鼻に皺を寄せた。
「別に。鼻の下なんか伸ばしてないだろ」
言いながら顔を赤らめた。
図星だった。
「んで、クルッカ。今日は一体、なんの用だ」
「こないだの事件の続報だよ。あの悪徳神父の顛末とマグノリアの反応、それから市井の騒ぎについて教えてやろうかと思ってよ」
「んー、ま、どうでもいいかな。クリフ神父についてはちょっと興味はあるけど」
「そうだろ? いや、それがよ、あのおっさん、やっぱり中々狸野郎みたいで――」
クルッカが前のめりになり、鞄から何やら取り出そうとしたとき。
からんからん、と戸口の鈴が鳴った。
「ハロハロー。超ハロー」
現れたのは若い女の子だった。
指をキツネみたいにして、それをパクパクと動かしながら、ヨタヨタと歩いて目線を巡らせ、俺たちの方までやってくる。
陽気な挨拶とは裏腹に、態度は気だるげだった。
「いらっしゃい」
俺は彼女に声をかけた。
この店に来る客層としてはなかなか珍しいタイプの子だった。
かなり若そうだが化粧が濃く、服装もどこかの学校の制服を少しルーズに着崩している。
手首にはジャラジャラと装飾品をつけ、髪の毛は派手な金色。
スカートがくそ短い。
そこから伸びる白い太ももに、男なら誰しも目を奪われそうだが、彼女が誰よりも目立つのはその胸の大きさだった。
ブレザーの中に覗く仕立ての良いシャツがパッツンパッツンにはち切れそうなほどに豊満なバスト。
先ほどまで話していた話題が吹き飛んだ。
ギャルだ。
こっちの世界にも、ギャルがいた。
「お嬢さん、どこから来たのー?」
思い切り鼻の下を伸ばしたクルッカが、頼んでもないのに接客を始めた。
「何か人形が欲しいのかな? おじさんが買ってあげよっか?」
クルッカはヨダレを垂らしながら揉み手をし、見ていて情けなくなるくらいに擦りよった。
完全におっぱいに釘付けである。
お前、さっき俺になんて言ってた?
ギャルは少し顔をしかめて「うざ」と呟いた。
俺はちらと彼女を見た。
しかし。
いや、まあ、これは確かに。
ちょっと気持ちは分かってしまう。
服の上からでも分かるほどの、ここまで見事な胸というのは――なかなか見たことがない。
「クルッカ様。カワカミ様。あまりジロジロと見ては、お客様に失礼です」
声がして振り返ると、アオイが俺を見ていた。
無表情で、声も普通なんだけど。
どこか、迫力があった。
ちょっと――いや、かなり怒っている。
俺は慌ててごほんと空咳をした。
「えーと、お客さん、今日はどんな御用事で」
改めて声をかけると、ギャルは腕を組み、つま先をパタパタさせながら、睨めつけるように俺を見た。
「あんたがカワカミって人?」
「うん、そうだけど」
頷くと、ギャルは俺に近づいた。
香水の良い香りがした。
「あんたが、こないだスラムの方で起きた"首ハネのヴィーナス"事件を解決したって聞いたんだけど」
「いや、まあ、したっちゃしたけど」
俺は肩を竦めた。
さて。
誰の知り合いだ。
「なんだい? その話、どこから聞いたの? つかキミ、誰からの紹介でここに来たのかな」
俺は聞いたが、彼女はそれには答えず、
「あんた、"嘘"が見抜けるって、本当なの」
そのように、重ねて聞いた。
俺は怪訝に思った。
俺の"能力"まで知っているとは。
「さて。なんの話かな」
すっとぼけると、ギャルは短く息を吐いて首を振った。
「なるほど。こっちの素性が分かるまでは話せないってことね」
「人を訪ねたらまずは自分が名乗る。社会の常識でしょ」
俺はにこりと微笑んだ。
は、とギャルは半目になって肩を竦めた。
「あいにく、私はまだ中等部の学生だからさ。社会人のマナーとか知らないし」
「ち、中等部かよ。こ、巨乳で」
ヤバすぎるだろ、とクルッカはごくりと喉を鳴らした。
今度はその場に屈み込み、下から見上げるようにおっぱいを眺めている。
アオイが「お客様に失礼ですよ」とクルッカの首根っこを掴み、店の外に放り出した。
「とにかくさ、名前を聞かせてくれないかな。話はそれからだ」
俺は言った。
すると彼女は、自分の胸に手を当てて、「私はパーリ」と言った。
「パーリ=スクワード。第一地区にある魔法学校の中等部で2年生やってる」
「スクワード?」
俺は思わず、眉を寄せた。
「スクワードってことは、キミ、マリアナさんの親戚筋かなにか?」
「うん。けど、別にマリアナさんの伝手じゃないよ」
「ふむ。それじゃ、誰の紹介だい?」
「シャーロット姉さん」
「シャーロットさん?」
これはまた意外な名前が出た。
うん、とギャル――パーリは頷いた。
「姉さん、私が通ってる教会で修道女やってんだけどさ。私が悩んでること相談したら、あんたを紹介してくれた」
「なるほど。そういうことですか。しかし、まいったな。人形屋は別になんでも屋ってわけじゃないんだけど」
俺は自分の後頭部をぽんぽんと叩いた。
「しかしまあ、シャーロットさんの紹介じゃあ無下には出来ないね」
俺は短く息を吐いてから。
それじゃあ用件を聞こうか、と言った。
 




