番外編 パルテノとアオイ
ぐぬぬ。
パルテノは歯噛みする想いで柱の陰からマチルダと、それからアオイを見つめていた。
マチルダは人形を持って何やら楽しげにアオイに話しかけている。
アオイは一定の間隔で「はい」を繰り返して、彼女の相手をしてやっている。
ほのぼのとしたいつもの光景。
だがパルテノにとっては、二人のこのキャッキャウフフはたまらなく感情を揺さぶるものであった。
二人が楽しげにしていればしているほど。
二人が親密にしていればしているほど。
イライラした。
嫉妬である。
アオイは、とても有能な働き手であった。
清掃も家事も在庫管理もマチルダの子守りも。
全て平均以上にこなした。
そのせいで、パルテノは暇な時間が増えた。
カワカミもすっかり彼女を気に入ってしまって。
パルテノのことなど気にもせず、何かあるとアオイに頼んでいる。
そして何よりも。
マチルダが、アオイに懐きまくりなのである。
これが許せない。
納得いかない。
この「人形屋」において。
先輩はこの私、パルテノなのだ。
新参者がノコノコ現れて、大きな顔をされては困るというものだ。
「アオイ殿。少しよろしいかな?」
マチルダがトイレに行ったタイミングを見計らって。
パルテノはアオイに声をかけた。
「はい。なんでしょうか、パルテノさん」
マチルダの人形を片付けていたアオイはつとその手を止め、立ち上がると、パルテノの方へ向いた。
パルテノはこほんと空咳をした。
「えー、アオイ殿。少しばかり聞きたいのだが」
「はい」
「貴殿は、この店に来てまだ数日ですな」
「はい」
「つまり、私の後輩にあたる」
「はい」
「それなのに、少しばかり、幅を利かせてすぎではありませんかな」
「すいません。どのような意味でしょうか」
「例えば今日のお昼休憩のとき、お茶を淹れましたな」
「はい」
「あれは私の仕事なのですよ。カワカミ殿も、いつも私の淹れたお茶を楽しみにしていらっしゃる。アオイ殿。あなたの淹れたお茶ではない」
「そうでしたか。あとでカワカミ様に謝罪をしておきます」
「カワカミ殿に謝る必要はない。あの方は気にしない素振りをするでしょうしな」
「分かりました。ではどうすれば」
「どうすればも何もない。私が言いたいのは、役割分担を守って頂かなくてはということで」
「申し訳ありません」
「それから、マチルダ様の相手。これも、半分は私の仕事だ」
「そうでしたか。しかし、マチルダ様が望まれた場合は」
「その場合は、何かしら用事を作って外に出なさい」
「外に」
「そうだ。適当に嘘を吐いて、マチルダ様から離れる。そしてあとは私に任せて適当に一人で遊んでなさい。カワカミ殿には私から説明を――」
「なーにを小姑みたいなことやってるんスか」
熱弁をふるっていると、突然、丸めた新聞で頭をスパーンと叩かれた。
振り向くと、カワカミが立っていた。
「あ、ああ、カワカミ殿、いえ、その、これは」
パルテノはあたふたした。
「ったく、パルテノさん、新人には優しくしてやってくださいよ」
「だ、だって」
「だってじゃないっす」
「だって、だって――」
だって最近、私だけなんか除け者なんだもん!
パルテノは踵を返し、そう叫びながら、涙を振り切るようにして走り去った。
∇
「すいません。カワカミ様」
パルテノがいなくなると。
アオイはそう言って頭を下げた。
「パルテノさんともめてしまいました。これからパルテノさんにも、謝って参ります」
「アオイちゃんが謝る必要ないってば」
俺は苦笑して、ため息を吐いた。
「ったく、パルテノのおっさん、良い歳して大人げないんだから。放っておけば良いよ。どうせすぐに帰ってくるから」
いえ、とアオイは首を振った。
「パルテノさんの言うことは最もです。私は後から入った後輩なのに、少々、図々しかったです」
「んなことないってば」
「それに、パルテノさんと仲良くすることも、私の職務の一つですから」
アオイはそれだけ言うと、パルテノを追いかけて行ってしまった。
∇
パルテノは店から随分と離れた四つ角を曲がった、一番袋小路にいた。
壁の方を向いて、体育座りでいじけていた。
「パルテノさん」
アオイが声をかけると、パルテノは肩越しにちらとアオイの方へ振り返った。
一目見て、拗ねてることがわかった。
「すいませんでした。パルテノさん」
「……いや、謝る必要はない」
パルテノはまた壁の方へ顔を向けた。
「すまなかった。キミは悪くない。あの店に、私は必要ないのだ。アオイ君。キミは有能だ。よく働くし、気も利く。計算も速いし正確だ。そして何よりも、マチルダ様に好かれている。嫌われてるのに押し掛けている私とは雲泥の差だ」
「そんなことはありません」
「良いんだ。慰めはいらない。カワカミ殿の言うとおり、私は少しばかり偏執なのだ。マチルダ様にとって、負担にしかなれていないのだ」
アオイは困ってしまった。
このような場合、なんと言えば良いのか分からなかった。
私が人間ならなんと言うのか。
どのような言葉が相応しいのか。
考えを巡らせたが、分からなかった。
カワカミ様。
マチルダ様。
そして、パルテノさん。
アオイにとって、みんなが平等に必要だった。
パルテノさんがいないと困る、とアオイは思った。
しかし、それを上手く言い表すことが出来ない。
「お茶を」
アオイは言った。
「お茶を、淹れてくれませんか」
「……お茶?」
パルテノは眉を寄せた。
「一体、なんの話だね」
「私が淹れたのでは、あまり上手くいかないのです。カワカミ様もマチルダ様も、パルテノさんの淹れたお茶をとても美味しそうに飲んでおられます。ですから、パルテノさんは、必要なんです」
アオイは言った。
それがどれだけの慰めになるかは分からなかった。
けど、これが彼女の精一杯だった。
パルテノは壁の方を向いたまま、立ち上がった。
「……アオイ君」
パルテノは振り返った。
「一緒に、店へ戻ろうか」
アオイは、はい、と頷いた。
∇
「ったく、ジジイは仕方ねーやつだな!」
「本当ですねぇ」
その様子を。
俺とマチルダは塀の上から眺めていた。
「でも、ちょっとだけ、おっさんにも優しくしてあげましょうよ」
「やだ」
「そんなこと言わずに」
「やだ。あいつキモいし。暑苦しいし」
「確かに気持ち悪いっスけど。でも、マチルダさんがそんな態度だと、アオイちゃんが困るだけですよ。良いんですか? アオイちゃんが困っても」
「それはやだ」
「なら、優しくしてあげてください。ほんのちょっとで良いですから」
「……分かった」
マチルダは頷いた。
俺はにこりと笑った。
「じゃ、俺らも帰りましょうか」
「うん」
マチルダはよっと塀から降りた。
それから俺を見上げて、言った。
「カワカミ。帰りに、ルルのチョコパイを買いにいくぞ。あそこのやつ、パルテノのジジイも気に入ってたろ」
マチルダはそう言うと、往来を駆け出した。
俺はその後ろ姿を見ながら、そうですねと言って苦笑した。




