57 平日
くあ、と欠伸を噛んだ。
なにもない平日。
久しぶりに、平常運転の「人形屋」である。
雨のせいか、今日は来客もゼロだ。
パルテノは在庫チェックをしながら、店内の掃除をしている。
アオイは店の奥でマチルダの遊び相手になっている。
先ほどから少し芳ばしい香りがしているので、なにか料理をしているのかもしれない。
そして、俺は。
なにもしていない。
さらに言うと。
なにも考えてない。
暑くも寒くも無く、乾いても湿ってもいない部屋で、うかうかと目を瞑り、店の奥から聞こえるマチルダの楽しげな声と、外の雨音と、ドアの隙間から入ってくる濡れた土の匂いに浸っている。
実を言うと。
こういう時間が、俺は結構、好きだった。
ああ。
なんつーか。
いい感じだ。
「カワカミ殿」
ふと。
パルテノが、掃除をしながら俺に話し掛けた。
俺はんー、と返事を返した。
「あの、ちょっと今、お時間よろしいですかな」
「んー、まー、ダメ、とは言えないっすね。見ての通り、なんもしてないんで」
「では、あの時の続きを、教えてくださいますかな」
「あの時の続き?」
俺は右目を開いた。
パルテノははい、と言って、俺の方を向いた。
「ほら、例の"鈴"のことです」
「ああ」
俺は再び、目を瞑った。
「あんま人に話すよなもんじゃないっすけど」
「それは申し訳ない。ただ私はどうしても、あの不思議な魔具が気になってまして」
「は。全く、物好きっスね」
俺はくすりと笑った。
すいません、とパルテノは律儀に頭を下げた。
「言っときますけど」
俺は目を閉じたまま、肩をすくめた。
「俺は、聞かない方が良いと思いますよ」
「ほう、それは何故」
「面倒だからっス」
「面倒」
「はい。"鈴"のことは、俺達の"事情"と切っても切れない話ですから。そいつを聞いちまうと、あなたも、俺達と切っても切れなくなっちまうかも」
「カワカミ殿たちとの縁が切れなくなる」
「へえ、そうです」
「私としては、それはむしろ臨むところですが」
パルテノは口髭をさすりながら、にやりと笑った。
「そんな軽はずみに返事をしていいんですかい? 俺たちとあなたはまだ浅い縁だ。まだまだ因縁は軽い。しかし、これ以上は、引き返せなくなるかもしれねぇスよ」
「ここは平気だと言わせていただきましょうか。話を聞いても、私は絶対に後悔はしない。私には、そう言える根拠がありますから」
「へえ。何です? その根拠ってぇのは」
「心からマチルダ様に惚れているからです」
パルテノは躊躇いなく言った。
真顔である。
俺は肩をすくめた。
「まったく、はあ、呆れたことを言いますね。いい年をしたおじさんが」
「愛に年齢は関係ありますか?」
「へいへい、分かりましたよ」
しょうがないなあ、と俺は息を吐いた。
どうやら引き下がりそうにない。
「あれはエネルギーを貯蓄するタンクタイプの装置です」
と、俺は言った。
「古代宝具【メッサーの鈴】を改良して造られた貯槽型の古代具。"特殊な状態にある人間"が発するエネルギーを吸い取り、溜めることが出来るんです」
「特殊な状態、ですか」
「はい」
「それはどのような」
「知りたいっスか」
「是非」
俺は薄目を開けた。
それから「死です」と言った。
「死」
「そうです。人の"死"。人間が息絶えるその瞬間に発生する生命エナジー。そいつを丸ごともらい受けることの出来る呪術具です」
「人間の死をエネルギーに変える――そ、そのような禍々しい魔導具がこの世にあるのですか」
パルテノの額に、じんわりと汗が滲んだ。
あるんです、と俺は頷いた。
「こいつを創った人間は発狂して死んだと言われています。ま、扱いのすこぶる難しい下手物っすね。鈴の使用は世界の国際法で禁じられていて、もちろん所持も赦されません。故にその所持や使用がバレたら、裁判なしで即有罪、いかなる使用意図があろうと酌量はありません。つまりこの話をきいてしまったパルテノさん、あなたはもう、共犯者ということになります。もう、善意の第三者ではいられない」
パルテノはごくりと息を呑み、真剣な瞳で俺を見た。
俺はニシシと笑った。
「ほら、聞くんじゃなかった」
「……いえ、そんなことはありませんよ」
パルテノは微かに笑い、首を振った。
「しかし――では、つまりカワカミ殿とマチルダ様は、そのために、即ちその"死のエネルギー"を溜めるために、この暗殺業をやっておられるワケですか」
「そういうことっすね」
俺は肩をすくめた。
「だから俺たちは善人なんかじゃないンすよ。これは謙遜でも卑下でもなくて。正真正銘、俺達は悪党なんです。文字通りの死神なんです。自分達のために、人の命を"頂戴"してるンだから。だから、依頼主から感謝される謂われもない」
「……なるほど。あなたたちが、目標を"悪人"に限定する理由も、得心が行きました」
「ま、そりゃね」
俺はうん、と伸びをした。
さすがに、目が覚めてきた。
「しかし、この間の闘いで、せっかく溜めていたエネルギーをかなり消費してしまいました。また、溜め直しです」
「そうでしたか」
「うん。これからまた、たくさん働かなきゃね」
俺は自らの額をぺしりと叩いた。
話に区切りをつけたつもりだったが、パルテノはさらに半歩、俺に近づいた。
「もう一つだけ、聞いても良いでしょうか」
「なに?」
「カワカミ殿は、鈴を使ってエネルギーを溜め、一体、何をするおつもりなのでしょうか」
「知りたい?」
「出来ることなら」
俺はうーん、と唸った。
「ま、そいつは、止めておくよ」
「……そうですか」
「パルテノさん。あなたのためにも、ね」
俺が人差し指を向けると、パルテノは首を傾げて、「どういう意味でしょうか」と、問うた。
「言葉のままです。世の中には、知らない方が良いことってもンがある。それはパルテノさん、あなたがどれだけ歴戦の猛者であろうとも、ね」
「それは……そんなに危険なことなのでしょうか」
「というより、マチルダさんの出自が関係してますから」
「マチルダ様の――出自?」
「ええ。あの人、実は結構、色々とややこしい人でね。ただ憧れるだけなのは良いけど、それ以上は、本気で深入りはしない方が身のためです。"鈴"の秘密なんか比べ物にならないほど、マチルダという人間は複雑で深刻ですから」
「先にも言いましたが、覚悟は出来ております。マチルダ様を敬愛しておりますから、どんなことでも知っておきたい」
「マチルダさんが好きなら、なおのこと聞かない方がいい」
「それはどういう――」
と、パルテノが前のめりに聞いてきたとき。
「カワカミー!」
とてとてと、マチルダが走ってきた。
「なー、カワカミ! これからおままごとすんだけど! お前もやれ!」
「おままごと、ですか」
「そうだ!」
マチルダは何故か胸を張った。
その後ろから、足音もなくアオイが歩いてきた。
「お前が父親だ! んで、アオイが母親!」
「マチルダさんは何役をするんです?」
「あたしはお前らの子供で、名門高校のエースの役だ! ガラスの肩を持ってて、本気を出せない悲劇のヒーロー役だ! んでもやっぱり無理して、そこからは打者に転向してまた甲子園目指す役だ!」
「その王道スポ根設定いります?」
「私とカワカミ様が夫婦」
つと、アオイが口を挟んだ。
頬に両手を当てて、微かにはにかんでいる。
表情には乏しいが。
彼女はなんだか嬉しそうだ。
つかアオイちゃん、夫婦の意味知ってンのかな。
「ほい。じゃ、家族みんなでお買い物いこっか」
「買い物?」
「うん。今日はみんなでお出かけなのだ」
マチルダはそう言うと。
俺とアオイの間に入り、右手をアオイ、そして左手は俺、という具合に3人で手をつないだ。
そしてそれから。
俺たちは店内や台所や廊下を巡ったりして、その都度都度に店員や客の役割なんかを交互に立ち回り、そうやって拙い買い物ごっこをし、最後にまた店の売り場に戻った。
なにこれ、と俺は思った。
なにこれ。
なんか、スゲー幸せなんスけど。
「ああ、そうだ。パルテノさん。さっきの話ですけど、やっぱり今日はもうやめて、あれはまた今度に話しましょう――」
俺はパルテノのことを思いだし、ふと彼の方に振り返った。
すると――
「マチルダ様。このパルテノのことは、おままごとに誘ってくれないのですね。親戚のダンディな叔父さんの役とか架空の店員の役とか、この老兵にも色々と役回りはあったはずなんですけど」
パルテノは部屋の隅で背中を丸めて泣いていた。
いい年をしたおじさんが。
ままごとに入れてもらえず、涙をボロボロ流していたのだった。
俺はくすりと笑った。
今日ってなんもない、超フツーの平日のはずなのに。
特に特別なイベントはなにもないのに。
思い掛けず、労働意欲が出てきていた。
うし。
んじゃ、また明日から適当にやっていきますか。
ありがとうございました。




