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暗殺幼女  作者: 山田マイク
「首ハネのヴィーナス」編
56/85

56 恋心


「こんにちは」


 俺が声をかけると、ちょうど物干しロープに洗濯物を干していたその女性は、シーツを広げたまま首だけこちらの方に振り向いた。

 それから一瞬だけ怪訝そうに眉をひそめると、持っていたシーツにフックをかけてから、ようやく身体を俺の方へと向けた。


「誰だい、あんた」


 女性は怪訝そうに俺を見た。

 

「カワカミというものです」

 俺は胸に手を当てて、ぺこりと頭を下げた。

「覚えてませんかね。半月ほど前、一度、"首ハネヴィーナス"事件のことを聞きにやってきたんですが」


 女性は首をひねり、覚えてないね、と少し笑った。


「この一ヶ月、警備隊やら新聞屋やら、色んな人間にその事件について、話を聞かれたからね。悪いけど、いちいち覚えてない」

「そうですか」

 俺はにこりと笑った。

「今日は、もう礼拝堂――イエローチャペルの方には行かれたんですか、アヴァ=リーベルトさん」


 俺が聞くと、その女性――アヴァは少し眉を寄せた。


「どうして私がチャペルに行ってること、知ってるんだい」

「ああ、それは、前に取材をしたときに仰っていたんで」

「覚えてないね」

「仰ったんです」


 俺はにこりと笑った。

 そして懐からメモ帳を取り出し、それを読んだ。


「織物工場勤務のアヴァ=リーベルトさん。年齢は23歳。熱心なマグノリア教信者で、毎日の礼拝をかかさない。2人の子持ちで、旦那さんとは1年前に死別。そうですよね?」

「そうだよ」


 アヴァは腕を組み。

 口を尖らせて、不機嫌そうに俺から目を逸らした。


 美しい亜麻色の髪の毛に、大きな胸。

 くびれた腰に、長い足。

 切れ長で美しい両目。

 シャープな輪郭。

 アヴァ=リーベルトはかなりの美人だ。


 彼女は前にジラールと第12地区を捜査したとき。

 俺が一番、容疑者として近いと感じていた女性だった。

 

「なんなんだい」

 アヴァは不機嫌そうに言った。

「今さらあんた、何を聞きに来たんだい。男娼を狙った殺人事件は終わったらしいじゃないか。もう、事件は終わっちまったんだろう」

「そのようですね」

「なら、もう良いじゃないか」


 アヴァは足元にあった籐の籠から別のシーツを掴み上げ、それを干し始めた。


「その話はもうしたくないんだよ。ったく、せっかく薄汚い夜鷹どもがいなくなったと思ったのに、あいつら、事件が終わったらすぐに商売を再開してる。クリフ神父もいなくなったし、もうすっかり元通りさ。あんな穢れた人間が溢れたら、この世界は終わりだよ」


 あーいやだいやだ、とアヴァは顔をしかめた。

 すいませんねぇ、と俺は頭を下げた。

 

「どうしても1つだけ、お聞きしたいことがありまして」

「しょうがないね。早く言いな」


 アヴァは忙しく手を動かしながら言った。

 俺はばたりとメモ帳を閉じた。


「アヴァさん。あなた、毎日、イエローチャペルへ礼拝に行ってましたよね」

「そうだよ。今も通ってる」

「その時、ガロワという男と知り合いませんでしたか」

「ガロワ? 知らないね」

「イエローチャペルの前で人形を使った芸をしていた男です」

「ああ、あの人か。あの人なら知ってる」


 アヴァは洗濯物を干す手を止め、俺の方を見た。


「そういや、彼、見なくなったね。もう長いこと、ずっとあそこにいたのに」

「ええ。どうやら遠くに行ったみたいで」

「そりゃあ残念だね」

「残念ですか」

「うん。何度か話をしたことがあったからさ」

「何の話をしましたか」

「……どうしてそんなことを聞くんだい」

「すいません、ちょっと」


 俺が眉を下げてお願いすると、アヴァは、そうだねぇと考える素振りを見せた。


「単なる世間話さ。たしか、あの辺の治安についてよく話をしたね。私はね、男の立ちんぼが好きじゃないんだ。あいつらは神様の教えに背いている異端者だ。うちの旦那も、ああいう不徳者がいるから死んじまったんだ。だから、あの辺りで商売をしてる奴らが大嫌いだった。イエローチャペルは神聖な場所。そこで売春をするなんて、どうしても許せなくってね。あんまり腹が立つから、ここに来る気も失せてくる、なんてそんな愚痴をよくこぼしてた」

「ガロワは何か言ってましたか」

「別に。あまり喋らない男だったからね。いつも私が一方的に愚痴ってた。でも、そう言えば一度だけ、珍しく向こうから話し掛けてきたことがあったね」

「ガロワの方から、ですか」

「うん」

「その時、彼はなんて」

「花は好きですか、と」

「花?」

「うん。そう言って、どこかで摘んできた花の束をくれた」


 当時のことを思い出したのか、アヴァはちょっと笑った。


「なんだか少し恥ずかしそうにしてたね。ふふ。暗い男だったけど、可愛いところもあったかな」


 そうですか、と俺は言って。

 改めて、アヴァを見た。

 そして、やはりそうだと思った。


 彼女は、アオイに似ている。

 そっくりという訳ではない。

 髪の色も目の色も違う。

 でも、どこか似ていた。

 目や鼻の造作など全体的な雰囲気が、なんとなく。


「ありがとうございました」


 俺はそう言って、頭を下げた。


「もういいのかい」

「はい」

「それじゃ、もしもガロワ(あの人)に会うことがあったら、よろしく伝えといて」

「分かりました」


 俺はにこりと微笑んで、踵を返した。


 歩きながら、ガロワのことを考えた。

 ずっと一人きりで人形のためだけに生きてきた男。

 人形と暮らし続けた男。

 彼はアヴァに花をプレゼントしたとき、何を想っていたのか。

 "人間"というものを知らない孤独な男は、何を決断したのか。


「恋とは状態であり、愛とは行動である、か」


 俺は何かで読んだ一説を思い出し、呟いた。

 ふと、空を見上げた。

 家と家との間にはたくさんの洗濯ロープがかけられており、等間隔に干された無数のシャツやシーツが風にはためいていた。

 その向こう。

 晴れ渡る蒼穹には、雲一つ浮かんでいなかった。



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