54 衝動
「自分でも分かりません」
と、アオイは答えた。
「ガロワ様との契約が切れ、私には"行動規範"が無くなりました。生まれて初めて、自由を得ました。しかし、それは私にとって、大きな鎖となりました。"何をやってもいい"と言われると、何も出来なくなってしまったのです。自由とはつまり、"何をするべきか"を自らの意思で決めねばならない、ということ。自分で選択をする、ということの連続。故に、そもそもが意思を持たない私は――本当に、何をすればいいのか分からなくなってしまったのです」
ふむ、と俺は唸った。
なるほど、確かに言われてみればそういうものかもしれない。
自由というのは自らに由る、つまりそもそも本人に"主体"というものが無ければ、逆に動く術がなくなってしまう。
「ガロワ様との"契約"を失った私は、空っぽでした。何をすべきなのか。何をすれば良いのか。何も分からなかった。しかし、その中で、一つだけ頭に浮かんだ衝動があったのです」
「衝動?」
「はい。それはとても頼りなく、すぐに消え去りそうだったので、私は必死に探りました。私がやりたいこと。動機。それが即ち、私が私である唯一の証であるような気がして、何度も何度も探り、確認しました。そして、見つけたのです。私が今やりたいことを。私が今――」
アオイはそこで一度、言葉を止めた。
そして俺の方を見ながら、
「私が今、会いたい人を」
と、言った。
感情は無いけど。
なんだか熱い視線。
俺は反射的に、思わず目をそらした。
「つまりそれが、俺だった、ってことかな?」
俺はこほん、と空咳をした。
「そうです」
アオイは頷いた。
「空っぽだった私に、唯一残っていた衝迫。行動規範。それが、カワカミさん。あなたに会うことでした」
「そいつは、はあ、なんとも光栄なことだけども」
俺は肩をすくめた。
「しかし、どうして、というのはまだよく分からないんだけど。どうして、アオイちゃんは、俺に会いたくなったんだろ」
「すいません。先程も言いましたが、それは私にも、分からないんです」
アオイは無表情のまま、言った。
うーん。
結局、肝心なところは分からず仕舞い、か。
しかし、そこには何か理由があるはず。
俺とアオイの接点は、あの時のバトルのみ。
だからきっと、あの戦闘、もしくはその前後のやり取りの中に、現在の彼女を突き動かす衝動の主因があるはず。
えっと。
あの時、俺とアオイちゃんはどんな会話をしたっけか。
俺はしばし思案した。
すると、店内には短い間、沈黙が落ちた。
カチカチという螺巻き式時計の音しかしない。
「あの、少し話はズレてしまうかもしれませんが」
ふと、アオイが口を開いた。
「今、私がしたいことが一つ、明確にあるのですが」
「したいこと?」
「はい。実は先ほどから、カワカミ様と話せば話すほど、胸の中でその欲望が大きくなってまして」
「うん。いいじゃん。それがキミがここに来た理由を知るヒントになるかも。それじゃあその、アオイちゃんの"やりたいこと"ってのを教えてくれるかな」
「はい。それでは」
アオイは拘束具をつけたまま、居住まいを正し、言った。
「私は今、ここで、カワカミ様と"魂の契約"を交わしたいです」
「……は?」
予想外の言葉に、俺は狼狽した。
な、何を言い出すんだ、この子は。
「カワカミ様、お願いします。どうか、どうか――」
戸惑う俺を余所に。
アオイはさらに、膝を折り、平伏せんばかりの勢いで、こう続けた。
「どうか私の、新しい主様となってくださいませ」




