52 後日
「どうやら、ガロワの野郎は姿を消したみてーだな」
クルッカは、そう言って肩を竦めた。
まだ生傷が痛々しい。
そこかしこに薬草湿布を張り付け、太股には大仰な包帯が巻かれてあった。
あれから4日ほど経った。
事件の全容はまだ明らかになっていないようだが。
その進展に詳しいクルッカは、こうして時々、捜査の進捗状況を俺たちに報告に来ていた。
「一度は張っていた自警団連中が捕まえたらしいが、別の施設への護送中に姿を眩ましたらしい」
「逃げられた?」
パルテノは良い姿勢で飲んでいたカップを下げ、眉を寄せた。
「それは、はあ、なんとも間抜けな話ですな。あれだけの規模の集団が、ただの男を取り逃がすなどと」
「ただの、かどうかは分からねぇけどな。何しろ、あのアオイを操っていた野郎だ。何か魔法みてぇな方法を使ったのかもしれねぇ」
「ガロワの家にあった人形はどうなった? あの、膨大な人形は」
俺は勘定台の中で、帳面を付けながら二人の話に割り込んだ。
「ああ、遺された人形たちはスクワードんとこの長女がすべて買い取るってよ」
へえ、と俺は短く頷いた。
「そいつは豪気なことだねぇ。ま、マリアナさんとこに行ったンなら、あの人形たちも幸せだろう……よっと」
少し離れたところにおいてある万覚え帳を開こうと手を伸ばす。
すると鋭い痛みが横腹を走り、俺は「いぎっ」と小さく悲鳴をあげた。
まだ身体中がバキバキだ。
それを見て、かかっとクルッカが笑った。
「しかし、自警団はとんだ失態ですなぁ」
パルテノは紅茶を啜った。
「せっかくカワカミ殿が情報をリークしてやったというのに。これでは領主様の面目が丸潰れですな」
「なに?」
クルッカは眉を寄せた。
「人形屋。オメー、ガロワの身元を自警団に確保させようとしたのか」
まあね、と俺は肩を竦めた。
「俺もガロワには色々聞きたいことがあったからさ。ここは確実に身柄を拘束しておきたかった……んだけど、そいつは失敗だったなあ」
俺ははあとため息を吐いた。
「仕方ないですな」
パルテノは呆れたように苦笑した。
「まさか自警団ともあろうものが、ネズミ一匹とり逃すとは私も思いませんでした。王族直属のエリート衛兵も、少し鈍っているのではないか」
「うーん。多分、そういうことでもないんすよね」
俺が言うと、パルテノは「どういうことですかな」と首を伸ばした。
「いやね、俺ぁどうにも得心が行かないんですよ。捕まる前に逃げたのなら分かるんです。しかし、奴は一度捕まってる。それなのに、ガロワは一体どうやって戒めを解き、誰にも見つからず、逃げることが出来たのか。そんなことが果たして可能なのかと」
「何か裏かあると?」
「ま、ぶっちゃけ、そう思います」
俺は頷いた。
「ガロワはクリフ神父と個人的な親交があったようですからね。彼が捕まると、神父にとってなにか都合の悪いことがあったのかもしれない。現にクリフ神父はあれから自警団から査問を受け、その結果、教団からは別の区域に左遷された」
「……なるほど。つまり引いては、マグノリア教にとっても都合が悪かったと」
「あくまでそうであれば辻褄が合う、という状況証拠だけですけど。けど、もしもそうなら、やはりマグノリア教団から資金援助を受けている自警団にガロワを任せたのは失敗でした」
いやーミスったミスった、と俺は後頭部をポンポンと叩いた。
「ただ今回は、どうにも人手が足りなかった。だから仕方ないっちゃ仕方ねーんだけど」
「何れにしても、それじゃあ、これでガロワが連続殺人を犯していた"動機"は分からず仕舞いってわけか」
クルッカは肩をそびやかした。
「かかっ。真犯人不在ときたら、こいつぁいよいよ"首ハネヴィーナス"は市井で風説巷説伝説化しそうじゃねぇか。怪奇好きのブン屋どもが張り切ってあることないこと書き散らかしそうだ。"怪奇! イエローチャペルの怪人!"とかいってよ」
「ま、風評なんてどうでもいいさ。大事なのはあいつが真犯人という事実があって、その上で"首ハネヴィーナス"がいなくなり、これで男娼を狙った連続殺人が止まれば、それで俺たちの仕事は完了だ。それより」
俺はそこで言葉を止め、はあ、と短く息を吐いてから店の奥に目を移した。
「パルテノさん。マチルダさん、今日も朝ごはん食べてませんか」
「はい」
「参ったねぇ」
俺は眉尻を下げて後頭部をさすった。
あれから。
マチルダは元気がない。
ただそれは、悲しんでいるというよりは、拗ねている感じに近い。
朝ごはんは食べないけど、その分、おやつのチョコレートはいつもの倍は食べてる。
話しかけると返事はしないが代わりに頭に噛みついて来る。
もしかすると、自分でも消化しきれない感情に戸惑っているのかもしれない。
と、その時。
店の入り口がコンコン、とノックされた。
目をやると、見覚えのある制服を来た若者が立っていた。
戦闘服のような誂い衣装。
腕にアザミの紋章。
自警団グループ【アマンドール】のメンバーだ。
俺は目顔でパルテノに合図を出した。
パルテノは短く顎を引くと、ドアを開いた。
若い構成員は俺を視認すると、後ろに控えていた人物に何やら報告をし、それから踵を鳴らして敬礼した。
彼の背後から出てきたのはドリトルミだった。
俺は思わず苦笑した。
まだまだ事件の後処理で忙しいだろうに。
律儀に労いの挨拶でもしに来たのか。
或いは、何か別の用事があるのか。
「カワカミ。少し、邪魔するぞ」
ドリトルミは入店すると、クルッカもパルテノも見ず、俺に言った。
いらっしゃい、と俺は肩をすくめた。
「この度は御苦労だったな」
「お役に立てて光栄っす。しかし珍しいね。今日はお供付きっスか」
「ああ。どうしても護衛が必要でな」
「護衛?」
俺は眉を寄せた。
少し、脈が早くなる。
最悪だ。
どうやら、ドリトルミの目的は後者のようである。
「実は今朝、12地区で"人形"を確保した。現場はイエローチャペルから少し離れた別の場所だ」
「人形?」
クルッカが口を挟んだ。
「なんだよ、それ。もしかして、また"自動人形"みてーなバケモンが出たんじゃねーだろな」
クルッカは冷やかすように言った。
するとドリトルミはクルッカの方に目を移した。
それから、そうだ、と頷いた。
「何の動力も外部装置もなく、自動で動く人形だ。往来を裸の状態で歩いていて騒ぎになった。貴様から事情を聞いていたので、すぐにトワイライト人形ではないかと言う話になり、近くにいた警邏隊が緊急出動して捕縛に成功した」
途端に。
クルッカの額に、汗が滲んだ。
「マ、マジ?」
クルッカはごくりと喉を鳴らし、身体を強張らせた。
ドリトルミは外で控える若い構成員に対して、顎をしゃくって見せた。
すると彼は「はっ」とキビキビと返事をし、往来の方へと向かった。
しばらくすると。
今度は4、5人のメンバーがやってきた。
そして彼らに囲まれるようにして、美しい女性が歩いてきた。
「カ、カワカミ殿、これは――」
彼女の姿を見て。
パルテノは絶句し、目を見開いた。
「で、でで、ででで、出た」
クルッカは驚きのあまり腰を抜かし、その場に尻餅をついた。
「やれやれ。こいつはまた、どういう由縁だろうねぇ」
俺は頬杖をついて、目を細めた。
その女性は。
アオイそっくりだった。
目も鼻も口も、本当に瓜二つ。
違うのは。
髪の色だけだ。
アオイが銀髪だったのに対して。
この彼女は黒髪。
「我々が今日、ここに来たのは他でもない」
と、ドリトルミは言った。
「彼女自身が、"カワカミという男に会いたい"と申し出たのだ」
 




