50 参上
アオイは俺を睥睨していた。
その目は紅く染まり、感情は読み取れなかった。
しかし、その意図は解っていた。
彼女の手に握られた"鉄糸"。
あれを引っ張り上げれば――俺の首は飛ぶ。
アオイは、ゆっくりと腕を上げた。
俺にはそれがやけにスローモーションに見えた。
やっぱ、死ぬ間際というのはこういう感じなんだろうか。
そして彼女は。
何事か呟いたあと、その手に力を込めた。
――その刹那。
「ドッカーン!」
聞き覚えのある幼女の威勢の良い声と共に。
俺にトドメを刺そうと見下ろしていたアオイが、一瞬にして後方に吹き飛んだ。
その時には既に首に巻かれた鉄糸は千切れており、俺は解放されていた。
「ニャハハ! あたし! 参上!」
アオイの代わりに、よく見た顔が視界に入ってきた。
倒れた俺を、顎下にピースサインをあて、ヤンキー座りをして覗き込んでいる。
ああ。
天使だ。
その刹那。
本気でそう思った。
俺は思わず口の端っこを上げて、
「はしたないですよ、マチルダさん」
と、言った。
「女の子なんだから、そんな不良みたいな座り方しないでください」
「うるせー。助けてもらっといてなんだその口の利き方は」
「だって、パンツ見えそうですし」
「カワカミなら見られてもいい」
「そういう問題じゃなくて」
「うるせーな。んなことより、言うことあんだろが」
「すいません。助かりました」
「おーよ」
「ありがとうございました」
「おーよ」
「もうちょいで死ぬことでした」
「ったく、テメーら、相変わらずマジ弱すぎなんだけど」
「お手数かけます」
「あとでチョコな」
「はい。ルルのやつを、たっぷりと」
「うし」
「しかし、よく俺のピンチが分かりましたね」
「言ったろ。あたしとカワカミは一心同体だって」
「あらま。そりゃ光栄です」
「おーよ」
「ちょっと疲れました。それじゃ、後は頼んでもいいスか」
俺が頼むと、おー、と言いながらマチルダは立ち上がり。
アオイの方を見た。
他方。
マチルダに吹き飛ばされたアオイは瓦礫の山から起き上がり、何事も無かったかのようにスタスタと彼女の方へ歩み寄った。
相変わらず、ダメージの有無は不明。
二人は満月を挟んで対峙した。
「よー。テメーが噂のトワイライト人形か」
マチルダは腰に手を当てて言った。
「私は人形ではありません」
アオイは無表情で答えた。
「そして、人間でも、ありません」
マチルダはなにか言おうと口を開いたが、結局なにも言わずに、そのまま黙り込んだ。
俺は少々、驚いていた。
言葉を呑み込むマチルダを見るのは初めてのことだった。
だがやがて。
彼女は「……そっか」と短く応えた。
「あたしは馬鹿だから。頭が良くないから。よく分かんねー。よく分かんねーんだけど」
マチルダは続けた。
「あたし、本当は、お前を殺したくない。お前が何者だろうと、殺したくない」
マチルダは俯いた。
そしてドレスの裾をぎゅっと握り、地面を見つめた。
「でも、あたしはお前よりカワカミの方がもっと好きだから。もっと大事だから。だから、カワカミを殺そうとするお前を殺さないといけない」
ごめんな、とマチルダは言った。
ずきり、と胸が痛んだ。
身体中、痛いところだらけなのに。
今のマチルダの言葉が、一番、痛かった。
彼女にとっては。
人形も人間も、等価値なのだ。
生物と無生物の境界はどこにあるのかしらと、マリアナは言った。
きっとマチルダも同じ気持ちなんだろう。
だから殺したくない。
存在が揺らいでいるのは。
自分も同じだから。
どちらでもあり、どちらでもない"アオイ"という存在に。
自分自身を投影しているのかもしれない。
事実。
アオイとマチルダはどこか似ている。
「一瞬で終わらせてやるよ」
マチルダは瑪瑙の付いた短刀を、大鎌へと変化させた。
そしてそれをクルクルと回して、踊るようにして肩に背負った。
満月に。
ドレスを纏い鎌を担いだ幼女の影法師が張り付いた。
「せめて、悪夢が短くて済むように」
アオイは無言だった。
キュィイイ、と、またぞろ、エネルギーを充填させ始める。
しかし今度は。
6つの腕、全てからその音が発せられている。
全力だ。
どうやら彼女も。
マチルダの力を見切っている。
持っているエネルギー全てを、この幼女にぶつけるつもりだ。
「抹殺します」
アオイが言った。
「来い。アオイ」
マチルダが言った。
やがて。
充填音は止み。
全ての銃口から、榴弾砲のような光線が照射された。




