49 逃亡
夜の町をクルッカは走っていた。
なんなんだよ、あの化け物は。
聞いてねえ。
聞いてねえよ。
カワカミにゃ悪いが、俺はまだ死にたくねぇ。
女も抱きてえし、美味いもんも食いてぇ。
酒も飲みてぇし、ピアスもつけてぇし、タトゥーも入れてぇ。
だからクルッカは逃げた。
逃げまくっていた。
だって仕方ねぇだろ。
俺が居たって一緒だよ。
あんな化け物相手に、勝てるわけがねぇんだ。
ズドンッ。
不意に、地面が揺れた。
思わず立ち止まり振り返ると、ドンッ、ドンッ、と激しい戦闘音が聞こえてきた。
イエローチャペルの方角だ。
そして、次の瞬間。
クルッカは息を呑んだ。
天にも届きそうなほど強烈な光の柱が、斜めに空へと突き刺さったのだ。
クルッカは胸の辺りに右手を当てて、ぎゅっとシャツを握りしめた。
胸の奥がざわざわした。
もう間に合わねぇんだよ。
どうしようもねぇんだよ。
しょうがねぇんだよ。
彼はイライラして、地面を蹴り上げた。
クルッカは行き先を変えた。
彼は「人形屋」を目指した。
マチルダだ。
マチルダしかいねぇ。
間に合うとか間に合わねぇとかじゃねえ。
どうあれ。
あいつを呼ぶしかねぇんだ。
あの化け物を壊すには。
より強い化け物をぶつけるしかねぇんだ。
――よー、ピンク髪
つと。
声がした。
クルッカは思わず足を止めた。
空耳かと思った。
願望から来る幻聴だと思った。
しかし、彼は耳だけは誰よりも良いという自負があった。
幼い頃より、それだけは誰にも負けたことがない。
クルッカは恐る恐る、声がした方へと振り向いた。
――そんなに急いでどこ行くんだよ。
クルッカの全身の毛穴という毛穴が開いた。
身体中のさぶいぼが立った。
いた。
名もない廃墟の屋上に腰かけて。
まるでお祭りの夜に現れる子供のお化け。
ジャック・オー・ランタンかスリーピーホロウのように。
悪戯げに微笑み。
足を組んで、こちらを見下ろしている。
マチルダだ。
クルッカは思わず眼をこすった。
ほっぺを思い切りつねった。
夢かと思った。
夢ではないことを願った。
目の前の少女の姿が、自分の作り出した妄想じゃないことを祈った。
「何を間抜けなツラしてやがる。返事をしろ、ピンク」
マチルダはよっと言いながら屋上から飛び降り。
クルッカの元へと歩いてきた。
マジで――マジでいやがった!
「マ、マチルダ……?」
情けない話だが。
声が震えた。
涙が出そうになった。
「さんをつけろや。三下」
ケケケ、とマチルダは笑った。
「ア、アンタ、どうしてここに」
「どうしてもこうしてもねーだろ。主役ってのは遅れてやってくるもんだ」
「た、頼む。人形屋が――人形屋が」
「分かってるっつーの。んなことより、あたしは方向音痴なんだ。さあ」
さっさと案内しろ、と、マチルダは八重歯を見せた。




