46 変形
アオイの操る全ての鉄糸を斬り終わったとき。
俺とクルッカは血塗れだった。
アオイの動きは素早く、かつ鉄糸の運動を完全に把握することはとても不可能で、身体の至るところに生々しい切り傷と擦過傷が出来ていて、そこから真っ赤な血がいいだけ流れ出ていた。
ただ幸いにも、二人ともなんとか致命傷だけは避けた。
クルッカは太ももを大きく切り裂かれたが、傷は太い動脈までには至らず済んだようで、大事にはならなかった。
「お疲れ様です」
パルテノはにやりと口の端をあげた。
「どうにかなりましたね。さすがです、カワカミ殿」
「いや、さすが、じゃないっス。ヤバいっス」
俺は肩で息をしながら、しんどー、とその場にへたりこんだ。
「っとによ。やってらんねぇ。めちゃくちゃ痛ぇよ」
クルッカは顔をしかめながら自らの傷だらけの身体を視認した。
同意だった。
身体中が痛かった。
多分、俺達はそれぞれ三桁は斬られた。
他方。
パルテノはほとんど無傷だった。
彼は経験なのか見切りなのか、ほとんどランダムで規則性のない鉄糸の動きを避け切った。
このおっさんこそ"さすが"の一言だ。
もちろん。
アオイの方も俺達3人相手では無傷というわけにも行かず、ダメージを食らっている。
まず、先にも言ったように彼女の武器である鉄糸は全て切断した。
さらにクルッカの炎と、パルテノの打撃+魔法による攻撃で、その身体の節々が焦げたり身切れを起こしたりしている。
しかしそれでも彼女は無表情でケロリとしており、その外見からどの程度ダメージを与えているか類推することは困難だった。
だが、それでも。
アオイの攻撃の9割を占める"糸"が無くなった今。
既に決着はついたと言えた。
あの鉄糸は武器と同時に、防具でもあった。
ここから先。
丸腰で俺達と戦わなければならない。
現時点でこちらのダメージは大きくとも。
少なくともパルテノはまだピンピンしているし、俺とクルッカもまだまだ戦闘には参加出来る。
"糸"を無くした彼女に、勝機はない。
俺たちは無防備となったアオイを取り囲んだ。
「ここに至っても、降参はしねぇんだよな?」
クルッカが、顎を上げながら言った。
アオイは無言だった。
戦闘態勢を崩さないその姿勢が答えだった。
「既に勝敗の決まった上での戦闘は本意ではないが、仕方無かろう。これもまた、運命」
パルテノはそう言うと、両手を合わせて陣を組んだ。
「ねーちゃんよぉ、本当に良いんだな?」
クルッカも、スーと息を吸い込み、両手に炎を纏わせた。
俺もそれらに倣い。
無言で、刀を構えた。
アオイはその姿を視認すると。
突然、脱力したように両手をぶらりと下げた。
一瞬だけ、降伏の合図を出したのかと思った。
さすがに諦めたのかと、刹那、感じた。
だが。
そうではなかった。
「……戦闘様式へ移行」
背を丸め、アオイは呟いた。
「バトルモード?」
俺は眉を寄せた。
なんだそれ、と続けようと口を開けたが、次の瞬間に起こったことを見て、そのままあんぐりと、短い時間、自失した。
アオイの瞳がぐるんと回り。
白目が無くなり、瞳が全て真っ赤に染まった。
それから「クキキキ」と気味の悪い音を立てながら、肩、肘 腰などの関節が変形していく。
ジャコン、という機械的な効果音がして、腕が六本に増えた。
それぞれの関節からは銃口のようなものが剥き出しになり、キュイイイインという、エネルギーを充填するような音がした。
ヤバい、と思った。
しかし――その"兵器"はアオイのヤバさの始まりに過ぎなかった。
ほとんど同時に。
アオイの身体全体から凄まじい量のエネルギーが発露された。
それは質量を持って可視化したオーラとなり、淡い紫の光が彼女を包み込んだ。
こいつがマジでヤバかった。
このオーラ量。
マチルダと闘った時のパルテノの魔力を遥かに凌いでいる。
とてつもない強さ。
背骨に氷柱を突っ込まれたように、身体がぞわりと戦慄した。
「な、なんかヤバくね?」
クルッカはごくりと喉を鳴らし、ジリジリと後ずさった。
「これ、もしかして本気で超絶ヤバいやつじゃね?」
「不味いな」
パルテノは額にびっしりと、玉のような汗をかいていた。
「非常に不味い」
「パルテノさん」
俺はアオイを見つめながら言った。
「あんた、マチルダさんと闘ってから、どれくらい力が戻った?」
「5割……いや、せいぜい4割と言ったところでしょうかな」
パルテノは苦笑した。
俺も苦笑した。
形勢は一瞬にして翻った。
それも。
圧倒的に。
隠し持っていた力の差が、あまりに大きすぎた。
俺の認識が甘かった。
錬金術により誕生した生命体が、よもやここまで強かったとは。
不味いな。
こりゃあ、勝てない。
と、その時。
アオイから発せられていた音が止んだ。
「二人とも、私の後ろに!」
パルテノが叫んだ。
いつの間にか、彼は防御壁を顕現させていた。
俺とクルッカは咄嗟にそこに逃げ込んだ――
その直後。
アオイから、強烈な光が放射された。
その光矢は凄まじいエネルギーの塊だった。
軌道上を石畳が抉れ破壊されるほどに強力な光線だった。
激しい爆風を伴いながら、その光は俺達に向かって飛んだ。
パルテノは魔法壁を斜めに傾けて、エネルギーを上方へといなした。
光はパチュン、という音を立てて後方の時計台に突き刺さった。
石造りの建造物はあたかもチョコレートのようにどろりと熔けて、その遥か後方までをも焼き貫いた。
街に――風穴が空いた。
まるでSF映画で見たレーザービーム。
ヒュー! とクルッカが悲鳴に似た口笛を鳴らした。
「なんつー威力だよ! おっさんがいなきゃ死んでたぜ!」
「残念だが、今の一撃を防いだことに――さして意味はない」
「どういうことだよ!」
「そのままの意味だよ。どの道、私たちに助かる道はない、ということだ」
パルテノはククと笑った。
何かを察したような笑みだった。
俺ははあと大きく息を吐いた。
パルテノの読みはほとんど俺と同じだ。
先ほどのレーザー砲。
あんなために時間を要する技なんか怖くない。
どれだけ強力な力であろうと、避けて逸らしてしまえば対処出来る。
本当にヤバいのは。
あれだけの超エネルギーを放射した直後なのに、彼女を包むオーラが微塵も減少していないところだ。
この超回復力からして。
彼女の気力は無尽蔵と思って良い。
つまり。
今より彼女は、先ほどの一撃と同様の破壊力を持って肉弾戦を挑んで来る。
これから先。
アオイの一撃一撃は、全て俺たちの命を根刮ぎ刈り取る文字通りの"必殺の拳"というわけだ。
まともに食らうのはもちろん。
かするだけでも致命傷となる。
触れるだけで肉は焼け落ち。
内腑は裂け。
骨は砕ける。
完全に見誤っていた。
さすがにここまで強いとは考え及ばなかった。
「お、おい! おっさん! カワカミ! なんか秘策はねーのか! このままじゃ、俺たちゃ全滅だぞ!」
「残念ながら、無い」
パルテノは応えた。
パルテノは既にチョーカーを外している。
つまり、すでにリミットは解除した状態。
それでも、これだけの差があるのだ。
「カワカミ殿」
パルテノは苦笑した。
「マチルダ様を置いて来たのは間違いでしたな。どんな理由があろうと、彼女は連れて来るべきだった」
「お、おい! なんだよそのセリフ! もう諦めたのかよ! 俺ぁまだまだ死にたかねぇぞ!」
クルッカは地団駄を踏みながら喚きたてた。
「諦めはしないさ。最後まで足掻く。だが、私は現実主義者でね。白状すると、先ほどの魔法障壁に全て持っていかれた。もう、魔力がほとんど残ってない。最後の一撃すら撃てそうに無い」
パルテノはそれでもなお、戦闘姿勢を取った。
それは戦士としての誇りのように見えた。
クルッカはヤベーヤベーよと喚きながら、尻餅をついた。
アオイは悠然とこちらに歩いてきた。
完全な異形な容となった、人形が。
俺たちを殺すために、向かってくる。




