43 パルテノとマチルダ
パルテノは閉店作業を済ませると、店の戸張を落とした。
あとは店の入り口を施錠して帰るだけ。
彼は手荷物を肩にかけると、引き出しから鍵を取り出した。
パルテノは生まれてからずっと戦場で生きてきた。
ものを壊すこと。
人と闘うこと。
人を殺すこと。
己の力のみを恃み、それを生業として生きてきた。
そんな彼が齢50を越えてから、まるで商人の追い回しのような仕事に従事している。
店を掃除して。
一見客の相手をして。
お得意がくればお茶を出し。
仕入先と談笑して。
夜になれば金勘定と在庫管理。
日々、そんな仕事に追われている。
パルテノにとって驚きだったのは。
今の生活に充実感を得ている"自分"であった。
血と砂塵と硝煙とは無関係な暮らしに、満足している自分。
ましてや、喜びすら感じている自分。
自己の中に、よもやこのような一面があるとは。
マチルダという神に近付きたい一心でこの店にやってきたが。
もしかすると、自分は生来このような性格だったのではないかとさえ思い始めていた。
最近。
カワカミは店のことをパルテノに任せるようになっていた。
最初はものすごく嫌がられていたが、真面目に働いていると、彼は信頼を置いてくれるようになった。
カワカミには特殊能力があるようだった。
あの男は、人の嘘を見抜く。
それはどうやら心情を読み取るとか心の内を見透かすというような曖昧なものではなく、彼は、"嘘"を吐いている人間のことを物理的な"色"で識別しているようだった。
カワカミが自分を信用しているのも、恐らくはこの能力が関係しているのだろうとパルテノは感じていた。
パルテノがカワカミと接するときに、彼は一度たりとも、カワカミに"嘘"を吐いたことがなかった。
「さて、帰るとしようか」
銅製の鍵をチャラチャラと鳴らしながら勘定台を回っていると、「おい」と声を掛けられた。
振り向くと、マチルダが立っていた。
「マ、マチルダ様」
パルテノは危うく鍵を落としそうになった。
表面上はなんとか平静を保ってはいたが、彼のテンションはぶち上がった。
パルテノにとって、マチルダは女神そのものである。
彼女の姿を日々見られるだけでも至福なのに。
声まで掛けていただけた。
それだけで、パルテノは絶頂に達するような快感に支配された。
「おい、おっさん」
「は、はい、なんでございましょうか」
「お前、今度の"仕事"で、あたしの代わりをするんだろ」
「え、ええ、まあ。カワカミ殿からは、そのように仰せつかっておりますが」
「なあ。どーして、今回、あたしは仲間外れなんだ」
「え、えと、申し訳ありません。それは、私にもよく分からなくて」
パルテノは頭を下げた。
嘘だった。
カワカミから、本当のことはまだ言うなと口止めをされていた。
なんと答えようか迷っていると――
「人形を」
と、マチルダは言った。
「人形を、殺すのか」
どきりとした。
パルテノは思わず、目を見開いた。
マチルダ様。
私たちの作戦会議を聞いておられたのか。
そして、それらを理解しておられたのか。
その上で――納得したフリをしていたのか。
「だから、カワカミはあたしを外したのか。あたしが、人形を殺せないと思って」
「……さて。どうですかな」
パルテノは思わず目を逸らした。
それから、「ただ」と言った。
「ただ、私も、今回はマチルダさんは参加されない方が良いと思います」
「なんで」
「今度の"標的"は、恐らく、いつもの標的ではない。いつもマチルダ様が討伐している者たちとは、決定的に違う」
「どー違うんだ。説明せー。どー違うんだ」
「それは……」
パルテノは言葉を探した。
なんと答えるべきか。
どのように伝えるべきか。
どうすれば、彼女に判ってもらえるか。
「申し訳ありません。やはり私にも、よく分かりません。しかし」
パルテノはマチルダを見た。
「しかし、私も、カワカミ殿に同意でございます。どうか、今回は人形屋で待機していてください」
マチルダは半眼になり、むー、と不満げに唸った。
それからトテトテとパルテノに近づき、彼の脛あたりを、蹴った。
「痛っ」
パルテノが小さく呻くと、マチルダは「バーカ」とだけ言い残して、店の奥へと戻って行った。
パルテノはマチルダに申し訳なく思いながらも。
彼女と少しだけ距離が近づいた気がしていた。




