41 ガロワ
「ただいま、アオイ」
細く長い階段を降り。
地下室の重い扉を開くと、ガロワはそう言って山高帽をハットスタンドに掛けた。
部屋に入ると、麝香を使った薫香の匂いがした。
瓦斯灯に照らされた十畳ほどの室内には、家具、本棚、極彩色の瓶、地球儀、配管の伸びた球官などが雑多に置かれてあり、それ以外のところには、大小様々な人形がびっしりと飾られてあった。
マヌカン人形や球体関節人形、螺巻人形に操り人形、木製の観賞用ドールから小児用ギミックドールまで、様々な形態、様々な外形、形状のものが置かれてある。
共通しているのは、どれもみな人形だということ。
獣や人外を象ったものは一つもなく、どれもこれも、人間を模した人形たちである。
その一番奥には、人間と同じ背高の双子の人形があった。
この二体だけ、少し離れた場所に、綺麗に並べて据えてある。
どちらも美しい顔立ちをした、人間の理想、或いは欲望を雛型にしたような容姿をしていた。
片方が黒髪の髪。
もう一方は銀色の髪。
こちらにはネームプレートが誂えてあり、その銀盤には【アオイ=クスノキ】と刻印されてあった。
「お帰りなさいませ。ガロワ様」
その内の一体――銀髪の方が、言葉を発した。
「お疲れになったでしょう。お夕飯の準備は出来ております。ゆっくり休んでください」
美しい人形はぎこちなく動きだし、ガロワの背後に回り込むと、彼の外套を脱がして折り畳み、腕に掛けた。
そのまま壁の方へと移動すると、今度はそれを木製のポールハンガーに掛け直した。
その頃には既にその人形の動作はスムースになり、彼女の動きは人間のそれと遜色がなかった。
「ありがとう、アオイ」
ガロワはそう言うと、食事の席に着いた。
「すまないが、水を一杯もらえるか」
動きだした銀髪の人形――アオイは、はい、と頷いて、キッチンへと向かい、コップに水を注いでガロワの元へと持ってきた。
「どうぞ。ガロワ様」
ありがとうアオイ、とガロワは礼を言った。
アオイはぺこりと頭を下げると、ガロワのために作った料理を並べた。
彼女はまだ複雑な品は作れないため、簡素なサンドウィッチと卵を焼いて丸めたものだけだった。
ガロワはそれを静かに平らげた。
その間、アオイは黙ってガロワの近くに立っていた。
「アオイ。僕は間違っているのだろうか」
ガロワは何もない壁を見つめながら言った。
「いや、間違っているのだろうな。私は、人道に背いた行為をしているのだ。だが、もう後には退けない。ここで止めては――意味が無くなる」
そうだろう、アオイ、とガロワはアオイを見た。
「アオイ。僕は大きな罪を2つ犯したんだ。決して赦されない罪を、ね。だから僕はいつか地獄に落ちる。しかしその時、僕は一体、どちらの罪で裁かれるのだろうか。人を殺したことと、人を創ったこと。神を否定したことと、神に近付いたこと。神は果たして、どちらの罪にお怒りになるのだろうか」
なあアオイ、とガロワはアオイを見つめた。
「教えてくれ。お前なら、答えが分かるはすだ。僕は、僕は」
「申し訳ございません。私は仕えるためだけに創られたものです。私には、ガロワ様に意見をする権限は与えられておりません」
「……そうか」
「申し訳ございません」
「そうだったな」
「申し訳ございません」
ガロワは俯いた。
彼の頭を抱えた。
そして、まるで寒さに凍えるように、身体を震わせ、奥歯をカタカタと鳴らした。
「アオイ。お前に、人間の心というものがあれば」
「申し訳ございません」
「お前に、"恋心"というものがあれば」
「"恋心"、ですか」
「そうすれば或いは僕も、きっと、もっとまともに生きられたのかもしれない。もっと、良い人間になれたのかもしれない」
「申し訳ございません。ガロワ様。"恋心"とはなんでしょうか」
「……いや、何でもない。忘れてくれ、アオイ」
「畏まりました。ガロワ様」
「アオイ」
「はい」
「僕を、抱きしめてくれ」
ガロワは再び壁に目をやった。
そしてそのまま、いつまでも壁を見続けていた。
「畏まりました」
アオイは彼の背後に回り込み。
ゆっくりと。
優しく。
その震える身体を抱きしめたのだった。




