40 トワイライト
「……自動人形、ですか」
マリアナはしばし考えてから、ほつりと、そのように答えた。
「確かに――そのような風説は遺っておりますわね。トワイライトは幼少期のころより"からくり"で動く人形に興味を持っていたとされています。故に、彼の初期の作品はそのほとんどが螺巻式のものか、水圧機式歯車を使用した機械人形でした。中期に差し掛かると、彼の創る人形は精密さを極めて行き、その動きは他の自動人形とは比較にならぬほどに精緻で繊細、その動作の滑らかさはまさに芸術の域にまで達しておりました。……しかし、トワイライトはある時期から、パタリと自動式人形の作成を止めます」
「止めた?」
俺は首を傾げた。
「そいつはどういうことですかね。彼は、自動人形への情熱が冷めてしまったんですかい?」
いいえ、とマリアナは首を振った。
「それはまるで反対ですわ」
「反対?」
「ええ。トワイライトは、螺巻き式自動人形を極限まで極めてしまってなお、その情熱を絶やさなかった。いいえ、むしろそれ以上でしたわ。彼の情熱はいよいよ燃え上がり、ほとんど欲望と呼べるような衝動に支配されたのです。もっと生々しく。もっと人間らしく。もっともっと、もっともっとと、彼は研究に没頭していった。そしてやがてトワイライトは――究極の自動人形を創り出す方法を導き出したのです」
「究極の自動人形――?」
俺はその言葉を繰り返した。
心の内がざわついた。
「カワカミさん」
マリアナは少し目を細めて聞いた。
「カワカミさんは人形というものを見て、"怖い"と感じたことは御座いませんか」
唐突にそのように聞かれ、俺は少し戸惑った。
しかしすぐに、自らの記憶にある畏れを想起した。
夜。
閉店後の店内。
暗闇に並ぶ人形たち。
彼女たちの視線。
彼女たちの顔。
彼女たちの存在。
俺はそれらに、恐怖に似た感情を持った。
確かに――
怖かった。
「……ありますね」
と、俺は答えた。
そうでしょう、とマリアナは微かに笑った。
「それは、人形に魂を感じているからなんです。人形に、意思や意志を感じているからなんです。それは即ち、人形と人間の境界があやふやになっているということ」
「人形と人間の境界、ですか」
「そうです。人形をまるで人間のように感じる。反対に、人間をまるで人形のように感じる。ないはずのものがある。あるはずのものがない。その恐怖。生きているものと生きていないものが曖昧となり模糊となる。その畏れ。人形を愛しているだけの私たちですら、本能的にその感情に脅かされることがある。毎日毎日、何年も何十年も、人形のことばかり考えていたトワイライトが、そのような考えに至ったのは、むしろ自然の成り行きだったのかもしれませんわね」
マリアナは近くにあった小さな布製のお人形を手に取った。
そしてその腕を持ち、俺に向かって手を振らせた。
「トワイライトは」
俺は聞いた。
「トワイライトは、何を創ろうとしたんですか」
マリアナは目線を強くして、俺を見つめた。
それから、静かに、呟くように言った。
「自らの意志を持つ人形。生命に似た力を持つ人形。そして、魂を持った人形――」
∇
「魂を持った人形?」
俺は眉根を寄せた。
「なんですか、それは。そんなものを、どうやって創るというんですか」
マリアナは苦笑を浮かべて肩をすくめて見せた。
「そうですわね。ここからは少々、オカルト染みたお伽噺になってしまいますけれど」
マリアナはそのように前置きを置いて、話し始めた。
「トワイライトが一般的な自動人形を創ることを止めたのは、ある学問に出会ったことがきっかけでした。その学問は無から有を創り出すという、彼にとってはまさに探し求めていた学殖領域でした。それが――」
錬金術です、とマリアナは言った。
俺は思わず、眉根を寄せた。
「なるほど。錬金術、ですか」
「そうです。トワイライトは人形を人間に近づけようとするあまり、ついに魂そのものを精製しようという考えに至ったのです。無生物を生物のように見せるのではなく、無生物を生物そのものにしようとした。この時点で、彼は既にまともでは無かった。人形と人間の区別が、付かなくなっていたのです」
マリアナはそこまで一気に話すと、テーブルに置いてあったワインを口にした。
それからベッドに座り直し、人形を大事そうに抱えた。
俺はなるほど、と呟き、思案した。
ガロワが操っていたあのマリオネット。
あの人形は"自分の意志"で動いていたのではないか。
トワイライトの研究は完成しており、魂を持った人形は実在するのではないか。
であるなら――
「と、言われておりますわね」
マリアナの言葉で、俺は物思いから覚めた。
「まあ、最初に申し上げた通り、これはあくまでも風説・伝承の類いですわ。何一つ証拠は御座いません」
マリアナはふふと目を細めて微笑んだ。
俺は少し首を傾げて、
「マリアナさんは、どう思われますか?」
「どう、とは」
「つまり、トワイライトの研究は成功したと思いますか。即ち、魂を持った"自動人形"は実在すると」
「さて。どうかしらね」
マリアナは肩を竦めた。
「正直に言って、検討も付きませんわ。あまり興味のない話ですので、考えたこともございませんし」
「興味ありませんか」
「ありませんわね」
マリアナはキッパリと答えた。
「人形は人形だから完全なのです。既に完全であるものを、わざわざ不完全な人間に近づけようなどと、私には理解出来ません」
「なるほど」
俺は思わず苦笑した。
さすが筋金入りの人形マニア。
「では、私からも一つ、質問をしてもよろしいかしら」
「どうぞ」
「カワカミさん。あなたはイエローチャペルの事件を調べていらっしゃるのですわよね」
「ええ」
「では、この"トワイライト人形"と"首ハネヴィーナス"が、一体どう繋がるのかしら。あなたはもしや、この事件の犯人を―――」
「その通りです」
マリアナを遮り、俺はそう言って肩を竦めた。
「俺の考えは、おおよそマリアナさんが考えている通りです。言ったでしょう? すっとんきょうなことを言うって」
「しかし、操り人形が一人でに動いていたから、というだけで」
「もちろん、それだけではありません」
俺は人差し指を立てた。
「実は、ガロワの自宅を突き止めましてね。そして彼の留守中に、ネズミを一匹、忍ばせたんです」
「ネズミを?」
「へえ。その男はこそ泥やらピッキングやらが得意な小悪党でしてね。バレねぇように、部屋を調べさせたんです」
俺は肩を竦めた。
「そうしたら、出てきたんです」
「出てきたって――一体、何が」
俺は少し目を細めて、こう言った。
「とても美しい女性型の人形と、血塗れのドレスです」




